イチジクは人間が栽培した最古の果樹?!
-古代のイチジクや歴史、神話を紹介

イチジクは人間が栽培した最古の果樹?!<br />-古代のイチジクや歴史、神話を紹介

自然な甘みからお菓子作りにもよく使われるイチジク。地域によっては故郷の味と感じる方も、雑学が好きなで「アダムとイブの股間の葉w」と思う方もいるかもしれません。お婆ちゃんの知恵袋のような民間療法でも使われていて“外国のフルーツ”感は薄いイチジクですが、ヨーロッパでもイチジクとチーズの取り合わせがあったりと、原産地や主産地のイメージが薄い果物の1つでもあります。

調べてみると、イチジクは人間が栽培した最古の果樹、最古の作物なんて説もあるくらい、古くから人と共にあった植物。そのせいか、神話や宗教的にも大切にされています。

イチジク(無花果)とは? 概要と語源

イチジクの概要

リンゴイチゴなどと比べると、生での流通量が少ないイチジク。ドライフルーツコーナーで目にする機会の方が多い果物で、パンや焼き菓子のフィリングによく使われています。甘露煮やジャムなどもありますね。民間療法や伝統医療の中で使われた“食べる生薬”や、お砂糖を使わない自然な甘みとして、など味プラスαの意図で使用されることもあります。

そんな、日本国内でも地域によって馴染みの有り無しが分かれるイチジク。植物として見るとクワ科イチジク属に分類されている植物で、学名はFicus carica。同じイチジク属の植物には、ガジュマルや、台湾デザート“オーギョーチー(愛玉子)”の原料となるアイギョクシなどがあります。

一般的なイチジクの果皮は、暗めの赤紫色~茶色の渋めなカラー。しかし、イチジクの栽培品種は700以上あり、熟しても果皮の色が白っぽい緑色や黄色のままの種類もあります。果肉の色も赤色系だけではなく、黄緑色・琥珀色と様々。また、生のまま食べて美味しいように作られた品種、ドライフルーツやジャムなど加工用の品種もあります。

イチジクの主要生産国は、地中海に面する国

生薬としてや、民間療法で使われることもあることから、イチジクはアジアの食材のようにも思われがちですが、実は、世界中で栽培されている果樹の1つ。それもそのはず、イチジクは「最も早く栽培された果樹の1つ」や「人間が栽培した最古の作物」と称されることもある果物[1]なのです。

原産は南西アジアから中東にかけての地域あたりと推測されていますが、栽培の歴史が古いこともあって断定はされていません。ヨーロッパでも古代から親しまれていましたし、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に移住したときに持ち込まれ、今も栽培されています。とは言え、イチジク生産が盛んなのは、原産地とも近い地中海沿岸の国々。特にトルコと、エジプトなどの北アフリカの国々で多く栽培されています。

イチジク(無花果)の語源・由来は?

イチジクは漢字で書くと無花果。
知らない方が初見で読める漢字ではないですよね。しかも、果物なのに“花が無い”という漢字のチョイスを不思議に思った方もいらっしゃるのではないでしょうか?

無花果=花が無い果実という漢字は、文字通り、花を咲かさないまま実をつけるように見えた事が由来。実際にイチジクは外側から見える形で花を咲かせません。Syconium(隠頭花序)と呼ばれる、私達が“果実”と呼んでいる部分の内側で花を咲かせます。それぞれの花に種ができるので、イチジクは複数の果実が集まって一つの果実のようになった“複合果”に分類されています。

イチジクの語源は?

ちなみに、無花果という漢字は中国で名付けられた漢語。
映日果と表記されることもあります。

語源は中世ペルシア語“anjīr(アンジール)”で、中国の人たちがこれを音写+果物を示す「果」を付けて“インリークオ(映果日)”と変化しました。中国の漢字表記は、日本でもそのまま使われました。

イチジクという日本独自の言葉(呼び方)の由来は諸説ありますが、1ヶ月で実が熟す、毎日1個ずつ熟すなど、食べられる期間を示していた「一熟」が 変化して「いちじく」になった説が定説とされています[2]。その他、インリークオが、日本人が言いやすい音に転訛したなどの説もあります。

イチジクの英名figの語源

イチジクの英名fig(フィグ)の語源は、古典ラテン語のイチジクを指す言葉“ficus”とされています。これがフランスでfigueとなり、英語に取り入れられてfigと現在の形になりました。 古典ラテン語“ficus”は、古代ギリシア語の“ σῦκον”や古典アルメニア語“թուզ‎”という言葉と関係があると考えられています。どちらもイチジクを指す言葉であると同時に、外陰部を指す言葉でもあります[3]。

イチジク(無花果)の歴史と神話

イチジクは最も古い農作物?!

人間がはじめて栽培した作物の1つ、最も古い果樹のグループ…。食べ物の歴史を調べると、そんな紹介をされる作物(植物)は結構存在しています。イチジクもまた「最も古くから栽培されている」「世界最古の栽培果樹」と称される存在。しかも、栽培され始めたのは小麦、大麦、マメ科植物などよりも更に古いという説もあるほどです。

これは、ヨルダン渓谷にある新石器時代の遺跡から、1万1千400年~1万1千200年前のものとみられる、炭化したイチジク果実が発掘されているため。ハーバード大学とバル=イラン大学の研究では、この発掘されたイチジクが単為結実する種類であることが分かっています[4]。

単為結実というのは、受粉が行われなくても果実が作られること。つまり、単為結実のイチジクは種子ができません。突然変異で誕生することはあっても、種子が出来ないため自然に繁殖することはないわけです。単為結実するタイプの植物を増やすには、人間が挿し木(挿し芽)をする必要があります。

このため、イチジクの木の特定の変種を植える=人が自然に介入して、特定の植物を育てる“農業の始まり”ではないかとの見解もあります[1]。何が最も古い農作物であるのかは断定されていませんが、少なくとも1万年以上前に人間はイチジクを育てていた可能性が高いですね。

イチジクのイメージ画像

メソポタミアでも、今から6500年年ほど前にイチジクを栽培していたというのが定説となっています。フェニキアやクレタなどを中継して紀元前2000年には古代エジプトへ到達しました。現在私達が思っているイチジク(Ficus carica)とは別種の可能性が高いものの、古代エジプトの壁画にイチジクが描かれています。

エジプト神話やユダヤ教にもイチジクは取り入れられていた

イチジクは各地の宗教の中でも、重要な役割を持つ植物・果物として描かれています。

ユダヤ教でも聖典として使われる旧約聖書の『申命記』では、神様がイスラエルの人々を導くカナンの土地の肥沃さが、以下のように表現されています。『申命記』に登場する、イチジクを含めた7つの食事はユダヤ教で大切にされています。

あなたの神、主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。それは、平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる土地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、オリーブの木と蜜のある土地である。

引用元:申命記 8 | 新共同訳 聖書 | YouVersion

また、同じく旧約聖書に含まれている『創世記』ともイチジクは関わりが深い植物。

善悪の知識の木(禁断の果実)を食べて自分たちが裸だと気づいたアダムとイブは、イチジクの葉を使って身を覆ったとされています。禁断の果実についても、リンゴではなくイチジクだったと主張する方もいらっしゃいます[1]。

イチジクの葉で体を隠すアダムとイブのイメージ

古代エジプトの神話でも、イチジクは女神ハトホルの象徴として登場します。ファラオが死にその魂がエジプトイチジクのもとに辿り着くと、女神ハトホルが冥界へと誘ってくれる、と信じられていたそうです[5]。ハトホルは冥界へ行く者達にパン・水・イチジクから作られた食物を与える、とも伝えられています。

古代ギリシア・古代ローマのイチジク

イチジクは紀元前1000年よりも前から、地中海世界でも栽培されていました。

古代ギリシアでも、哲学者アリストテレスや植物学者テオプラストスによる、イチジクの雌雄についての観察記録が行われています。ローマでもイチジクは食べられており、とてもポピュラーな食材だったと考えられています。当時はまだ砂糖が存在しなかったので、甘味・甘味料としてもイチジクは重要でした。

紀元前に大カト(マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス)が記した農書『農業論(De Agri Cultura)』にも、彼のオススメのイチジクが5種類掲載されています[1]。1世紀に活躍したローマの自然学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)もイチジクの品種を数多く記録しています。一節では、当時のローマでは40以上のイチジク品種が認識されていたそう。

また、イチジクは体に良い食べ物という認識も古い時代からありました。紀元前1世紀ころにミトリダテス6世は「病気を防ぐため、1日に少なくとも1匹のイチジクを食べる」ことを市民に推奨した、大プリニウスはイチジクを“the best food that can be taken by those who are brought low by long sickness.(長く病気に苦しんでいる人が摂取できる最高の食べ物)”と評価したというエピソードもあります[5]。

ギリシア・ローマ神話/キリスト教にも登場するイチジク

ギリシア神話やローマ神話にも、イチジクは登場します。ギリシア神話でイチジクは豊穣の女神デメテルが人のために創った食物や、神様が姿を変えた植物として描かれています。

ローマの建国神話では、ローマを建設したとされる双子ロムルスとレムスが生まれてすぐテヴェレ川に流された時、イチジクの木が双子の入れられたカゴを止めた、というエピソードも[1]。そのほかに、古代ローマでは、酒神バッカスが人々にイチジクの栽培法を教えた、と信じされていました。神様ご推奨の果物として、また女性や多産のシンボルとして、古代ローマのお祭りにイチジクは欠かせなかったようです。

ギリシアやローマの神話よりも後の時代、力を持ったキリスト教。イエス・キリストの生涯を中心に書かれた新約聖書の方でも、イチジクは登場しています。とはいえ、新約聖書『マルコによる福音書(11:14)』では、実のならないイチジクに対して、イエスは「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と呪っています。『ルカによる福音書(13:6)』では、“実のならないいちじくの木のたとえ”で実のならないイチジクを切り倒してしまえ、というシーンも。

イチジクのイメージ画像

旧約聖書の約束された土地の表現や、ローマなどの扱いと比べると結構ひどい。
イエス・キリストはイチジクが嫌いだったのか、空腹で気が立っていたのか、とも思ってしまう描写ですが、実はこうした話のイチジクはイスラエル民の信仰の比喩であると考えられています。当時のキリスト教は神を信じないことも、自分たちが信じる神以外への信仰も、悪。そういったものを「果実のならないイチジク」として、無くなってしまえ!というメッセージだったのかもしれません。

アジアへのイチジク伝播

イチジク(Ficus carica)以外のイチジク属植物も、各地に存在していました。例えば、インドの国花であり、仏教では霊樹とされているインドボダイジュ(Ficus religiosa)。仏教ではブッダは菩提樹の木の下で悟りを開いたと伝えられていますし、古代インドのアショーカ王が金の花瓶に枝を植えたというエピソードもあるようです[5]。

地中海沿岸地域を中心に親しまれていたイチジク(Ficus carica)も、ペルシアを経由してユーラシア大陸の東側にも伝わっています。中国ではイチジクの栄養価や薬効に目をつけ、生薬の一つとしてもイチジクを取り入れました。古くは不老長寿の果物[2]や不老不死の果物[6]とも呼ばれていたそうですから、さもありなんですね。

日本には、いつからイチジクがあった?

日本にイチジクが伝わったのは、江戸時代頃。
中国から長崎に持ち込まれ、伝来当初は薬用植物としてイチジクの栽培が行われていたようです[6]。生産量が増えてくると食用としても親しまれるようになり、また栽培が比較的安易であったため家庭の庭木としても広がっていきました。

【参考サイト】

  1. ITALY’S INTIMATE HISTORY WITH FIGS
  2. イチジク | 二階堂先生の「食べ物は薬」 | 漢方を知る
  3. σῦκον‎ (Ancient Greek): meaning, origin, translation – WordSense Dictionary
  4. BBC NEWS | Science/Nature | Ancient fig clue to first farming
  5. The Tree That Shaped Human History
  6. いちじくの旬は2回?種類別に食べ頃時期からおすすめの食べ方まで紹介

北海道出身の筆者は、イチジクに馴染みがありません。好きな香水の香りに「イチジク」と書かれていてから興味を持った次第です。耐寒性イチジクなるものなら北海道の気候にも耐えられそうですが、防寒が大変だったり、なったまま完熟させるのが困難だったりと、難しいらしいです。時々趣味で植えてみた、という方もいらっしゃるようですが、お見かけした覚えはありません(苦笑)

イチジク、イチジク属の植物は、宗教的に大切にされていることが多いように思います。この記事の中で紹介した旧約聖書や古代ローマ、仏教以外にも、世界各地でイチジク属植物の神話エピソードが結構あるみたい。たまたまなのか、最古の栽培果樹なんて称されるくらい人との関わりが長いが故なのか、興味はつきません。