【30秒でわかる】桃の節句/ひな祭りとは?女の子のお祝いの由来は

【30秒でわかる】桃の節句/ひな祭りとは?女の子のお祝いの由来は

【30秒でわかる】桃の節句/ひな祭りとは

桃の節句とは、毎年3月3日に行われる日本の年中行事です。
上巳の節句、ひな祭り(雛祭り)などとも呼ばれます。

桃の節句・上巳の節句と呼ばれる通り、ひな祭りは元々“節句”と呼ばれる年中行事です。
節句とは、古代中国で季節の節目として重要視されていた日のこと。日本にもこの考え方が伝わり、江戸時代に幕府によって「五節句」が定められました。現在は祝日では無くなっていますが、伝統的な年中行事として祝われています。

ちなみに、古い時代の節句は邪気払いがメイン。
3月3日の桃の節句(上巳の節句)が、雛人形を飾って女の子の健やかな成長を祈る日になったのは江戸時代から。それ以前から雛人形の原型と言える存在は上巳の節句で使われていましたが、人形のクオリティが上がったことで飾るスタイルに変化していったと考えられています。

桃の節句/ひな祭りの豆知識

桃の節句・上巳の節句の由来

節句とは、節供や節日とも呼ばれる、季節の節目となる日のことです。
呼び名が似ている「節分」は太陽が移動する道(黄道)を基準に導き出された日にちですが、節句の場合は宗教・思想的な考え方がベースとなっています。

古代中国では、奇数のことを陽数と呼び、縁起が良い・運気が良くなるなどポジティブな数と信じていました。しかし、陽数(奇数)が重なった場合は“陰になる”、つまり、良くない方向に向かってしまうという考え方もあったようです。そこで陽数が重なる日に、季節に適した植物を取り入れて邪気払いをするという風習が生まれました。

この風習が日本にも伝わり、日本でも3月3日や5月5日など奇数のゾロ目になる日を節句として重視し、中国から伝わった行事と自国文化をミックスした独自の行事・風習を築いてきました。3月3日の節句に使う季節の植物として桃をチョイスし、上巳の節句を「桃の節句」と呼ぶのも日本独自の文化です。

古代中国でも、その思想的影響を受けた日本でも、古い時代に桃は特別な植物と考えられていました。桃源郷なんて言葉もありますし、孫悟空が管理していたのも蟠桃畑という桃の果樹園。桃は神様も好み、邪気を祓い不老長寿を与える神聖な植物と考えられていたわけです。

節句行事に関しても、中国でも上巳の節句に、桃の花を漬けたお酒“桃花酒(とうかしゅ)”を飲んでいたという説もあります。
ただ、日本ほど桃推しの行事では無いようです。

▼桃についてはこちら

中国で桃は人気の縁起物?-桃の語源と歴史、伝説・伝承を紹介

上巳とは何か

3月3日の節句は「上巳(じょうみ)」の節句などとも呼ばれます。
桃の節句やひな祭りに比べて、巳はちょっと違和感があるチョイスですが、これは蛇由来ではなく数の数え方。旧暦で「3月の最初にある巳の日」に行われていたことが由来です。

3月3日は、桃には早すぎない?

桃の開花時期は梅と桜の間。地域にもよりますが、3月下旬~4月頃。
3月3日は桃の節句というわりに、桃の開花にはまだ早い時期ですね。

この微妙な季節感のズレは、旧暦(太陰太陽暦)の3月3日に行われていたことが原因。現在和達たちが使っている新暦に当てはめると、4月頃に該当します。明治に暦が旧暦から新暦に変更された際に、季節のズレが出てしまったわけですね。

五節句は“陽数の重なる日”、奇数のゾロ目であることが重視されていました。ですので、新暦への以降に合わせて日にちを変えること無く、3月3日そのままの日にちで祝う地域が多くなっています。ただし、寒冷地では月遅れにして、新暦4月3日に祝うという地域もあります。

雛人形の由来と豆知識

3月3日、桃の節句と言えば雛人形。上巳の節句よりも「ひな祭り」「おひなさま」という呼び方のほうがしっくり来る方も多いでしょう。節句行事の起源・由来には全く登場しない3月3日に雛人形を使ってお祝いをする方法は、日本で形成された日本独自の文化です。

雛人形は元々、毎年川に流していた?

中国で3月3日、上巳の節句に人形を飾る風習はありませんでした。古代中国では3月3日に川などで身を清める風習があり、時代と共に上流から盃を流して詩歌を読む“曲水の宴”という風流遊びのニュアンスが強い節句行事へと変わっていきます。旬の物を取り入れるという思想もあり、桃の花を漬けた“桃花酒”なども使われていたようです。

こうした風習は日本にも伝わり、平安時代は宮中でも“曲水の宴”が催されていました。また、当時の日本では、人形(ヒトガタ)や形代(カタシロ)という道具に、自分の穢れや災いを移して身を守るという呪術が信じられていました。“曲水の宴”の上流から盃を流すという行為と、人形を使った邪気払いがミックスされ、自分の穢れを移した人形を水に流す“流し雛”もまた上巳の節句の行事として定着していきます。

ところで、身の穢れを移すための道具である人形(ヒトガタ)。TVなどでご覧になったことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、かなりシンプルな作り。紙を人の形に切り抜いたようなもの、もしくは藁人形のようなものです。

実は、平安時代には、幼児の健やかな成長を願って天児(あまがつ)や這子(ほうこ)と呼ばれる人形も作られていました。天児や這子は頭部があったり、着物を着ていたりと、形代よりもお人形に近い形状をしています。このため、天児と這子人形が、雛人形の起源という見解もあります。

雛人形を飾る風習は江戸時代から

3月3日の上巳の節句が、雛人形を飾ってお祝いする現在の“ひな祭り”の祝い方に変わったのは江戸時代頃。
平安時代から、貴族など特権階級に生まれた女児は「ひいな遊び」と呼ばれる、紙でできたお人形を使った遊戯を楽しんでいました。これがいつしか子どもの穢れや災いを受け止めてくれる人形・形代と一体化し、一生女の子の厄を身代わりしてくれる存在という認識に変わったと考えられています。

3月3日に雛人形を飾って祝うことが庶民にまで普及した、そのきっかけについては諸説あります。
後水尾天皇に入内した徳川家康の孫娘・東福門院和子が娘のために雛人形を飾った、徳川家光の長女である千代姫が七歳になったとき家臣から雛人形が贈られた、という2つの説が有力視されています。どちらにせよ高貴な方々が使われているものを、生活に余裕のある庶民が真似て広まっていったわけです。

ちなみに、人形を水には流さず、毎年飾るようになった理由は、製作技術が向上して紙人形ではなく精巧な雛人形に作られるようになったことが大きいようです。江戸時代には雛人形は嫁入り道具、一生物の財産のような扱われ方をするようになっていました。確かに、何十万円~何百万円もする雛人形セット、1回使って流すのは惜しいですものね。

おひな様は一夜飾りNG? 早く片付けるべき?

おひな様の飾り方は、地域・それぞれのお家により様々。
男雛(お内裏様)と女雛(お雛様)をどちらを左右に置くかからして、実は全国共通ではありません。小物類に関しては更に色々ですので、「間違えている」と声高に言う方のことを気にする必要はありません。

ただ、全国的に「節句が終わったあと早めに片付ける(出しっぱなしは良くない」「一夜飾りはだめ」という2大NGは囁かれています。一夜飾りに関しては厄除けなど神事に通じる意味合いから、出しっぱなしにすると婚期が遅れる(嫁に行きそびれる)というのも人形が傷まないようになど戒めからきているようです。ですので、あまり気にしすぎず、無理のないスケジュールで桃の節句・雛祭りをお祝いしましょう。