プレッツェルはドイツ発祥のパン? 菓子?
-プレッツェルの種類・起源説を解説

プレッツェルはドイツ発祥のパン? 菓子?<br />-プレッツェルの種類・起源説を解説

突然ですがプレッツェルと聞いて、どんな食べ物を思い浮かべるでしょうか。ハート型やカエルの顔に似た形をした硬めの焼き菓子? ベーグルに似た食感のパン? スティックタイプのサクサクしたスナック菓子? ……これらは全て「プレッツェル」ですが、プレッツェルには種類があり、同じ呼び名が使われてはいるものの別物と言っても良いくらいの差異があるんです。謎に包まれているプレッツェルの起源や特徴的な形の由来、歴史について大まかに解説していきます。

プレッツェルについて

プレッツェルとは

プレッツェルは小麦粉・水・塩・イースト菌で作った生地を成型したドイツ発祥のパンもしくは焼き菓子焼く前にアルカリ性の水溶液(水酸化ナトリウム水溶液)に数秒間漬けてから焼き上げることが最大の特徴。このアルカリ溶液の働きによって表面が濃く艶のあるブラウン色になり、一般的なパンとは異なるカリッとした食感が生み出されます。ちなみにプレッツェル(pretzel)というのは英語で、ドイツ語では“brezel(ブレーツェル)”と呼びます。

プレッツェルはピースマークとハートの間を取ったような、ひらがなの「め」の字と近いような、三つの穴がある形をしたものがポピュラーです。ただし細く伸ばした生地をハートのような形にひねっって成型したものだけがプレッツェルというわけではなく、ツイストドーナツのような形の編み込み型プレッツェル・ひねりを入れず太めの棒状に焼き上げたスティック型のプレッツェルなどもあります。ドイツではそれぞれ呼び分けられていますが、どれもプレッツェル、ドイツ語で「〇〇brezel」と呼ばれていることには違いありません。形状よりも材料・製法でプレッツェルと呼ぶか否かが決まると言えますね。

4月26日はナショナルプレッツェルデー

ポピュラーな食べ物には大抵記念日がありますが、プレッツェルの場合は2003年にペンシルベニア州知事エド・レンデルによって4月26日が“National Pretzel Day”と宣言されました。何故ペンシルバニアかと言うとドイツ系移民の方が多い地域で、百年以上も前からアメリカではプレッツェルの一大生産地であり、今でもフィラデルフィアでは全国平均の約12倍ものプレッツェルが消費されているからだそうです。プレッツェル美術館なるものもフィラデルフィアには存在していますよ。

4月26日にはPhilly Pretzel Factoryではソフトプレッツェルが1個無料、Auntie Anne’sではプレッツェルを一つ買うとプレッツェルが1個もらえるなど、プレッツェル屋さんでのキャンペーンが盛りだくさん。日本でもAuntie Anne’sさんではプレッツェル配布キャンペーンが行われていたように思います。

プレッツェルはパン系とスナック系がある

プレッツェルについて調べると、日本語版のwikipediaなどでは「ドイツ発祥の焼き菓子」と紹介されています。しかし世の中にはベーグルの仲間っぽい、菓子と言われるには違和感のあるプレッツェルもありますよね。少なくとも自分は菓子と言われると違和感を感じます。これは食品の分類や個人の感性の問題というわけではなく、プレッツェルにはソフト系とハード系の2種類があるため。どちらをポピュラーなプレッツェルと捉えるかによって、パンであると言うのか、スナックであると言うのかが分かれているんです。

パン系=ソフトプレッツェル

ソフト系のプレッツェルはベーグルを少し硬くしたような生地で、外側カリカリ・内側はもっちりとした食感のパンタイプ。パン屋さんなどで売られている、大ぶりで厚みのあるタイプを想像してもらうと分かりやすいのでは無いかと思います。余談ですが、東欧発祥とされるベーグルはプレッツェルをアレンジした・プレッツェルから着想を得て作られたものではないかという推測もあります。原材料も外側カリッ・内側もっちり食感も似ていますよね。ベーグルは紛うことなきパンの一種ですから、ソフトプレッツェルもパンの一種・仲間と言えるでしょう。

ベーグルの起源と歴史はこちら>>

プレッツェル発祥の地とされるドイツで伝統的に食べられているのは、このパン系ソフトプレッツェルの方。ハートのような形をしていて岩塩がまぶされた、ザ・オーソドックスなプレッツェルはドイツでLaugenbrezel(ラウゲン・ブレーツェル)と呼ばれています。頭についているLaugeは、伝統的な作り方で使用されているラオゲン液(Lye)と呼ばれる灰汁が由来。ドイツ以外にもドイツ語圏を中心に食されており、ルーマニアのコブリッジ(Corgi)やデンマークほか北欧で食べられているクリングル(Kringle)などプレッツェルと類似したパンが食されています。

日本だとビール関係のイベントや行楽地で売られていることが多いプレッツェルですが、ドイツ語圏では宗教的・慣例的にも大切にされている存在。復活祭(イースター)前の四旬節中の食べ物としても定番ですし、地域によっては新年に幸運を祝ってプレッツェルをプレゼントし合う風習があるところもあるそう。また、ルクセンブルグでは四旬節の第四日曜日に「Pretzel Sunday」というイベントも行われています。これはバレンタインデーの様な感じで、男性が恋人や意中の女性にプレッツェルをプレゼントする日。プレッツェルを貰った女性が彼のことを愛していれば、イースターの日に卵を男性にお返しすることで気持ちを伝えるのだそうです。

スナック系=ハードプレッツェル

ドイツ語圏を中心としたヨーロッパで親しまれているソフトプレッツェルはベーグル系の食感があるパンの一種。対してハードプレッツェルは、カリカリに焼き上げられたスナック菓子タイプのものを指します。サイズも手のひらよりも小さめで厚みもないものがポピュラー。パンと言うよりはビスケットに近い、カリカリもしくはボリボリとした食感のものです。プレッツェル全体としてはドイツが発祥とされていますが、ハード系のプレッツェルはアメリカ発祥とされています。ソフトプレッツェルが元になっていることもあって区分無く「プレッツェル」と呼ばれていますが、別物っぽいんじゃないでしょうか。

北米や日本で消費量が多いのはハードプレッツェルタイプだそう。ハードプレッツェルはハートに似たプレッツェル形に焼き上げたものに塩・砂糖・チョコレート・キャラメルなどで味付けしたものもありますし、細長いスティック状のもの・焼き上げてから3cmくらいに割ったタイプもあります。小さな球状に作ったプレッツェルをコーティングした「Pretzel M&M’s」などもありますから、自由度がかなり高いと言えるのではないでしょうか。

日本でもコンビニやスーパーで売られている「SNYDER’S(スナイダーズ)」も割ったプレッツェルが入っている、ハードプレッツェルの代表的存在と言えますね。また日本を代表するプレッツェル系のスナック菓子としては、江崎グリコ株式会社の「プリッツ」もあります。プレッツェルと言われて想像する食感とはちょっと違いますが、プレッツェル菓子に分類されており「プリッツ」という商品名もプレッツェルが由来だそう。

プレッツェルの起源と語源説

プレッツェルの起源は不明

ドイツ発祥のパンもしくは焼き菓子として親しまれているプレッツェル。人によっては「現在も親しまれているものとしては最古のスナック食品である」と称することもあるほどその歴史は古く、起源については分かっていません。原型と考えられる料理や、特徴的な形状が採用された理由については様々な憶測が飛び交っています。シンプルなパンなのでルーツを辿っていくと、最終的には小麦粉をイースト発酵させたところまで辿り着いてしまいますしね。

諸説あるどころではないプレッツェルの起源説ですが、よく紹介されるのは610年頃にイタリア北部またはフランス南部にある修道院で作られたというもの。修道士は祈るために交差させた腕に見立ててパン生地をねじったものを作って“pretiolas(プレティオラス)”と名付け、祈りの言葉を覚えられた勉強中の子どもたちへのご褒美として与えていたという伝承です。また、1988年の『ニューヨーク・タイムズ』では、更に昔の5世紀のバチカンの記録に四旬節(レント)の時の料理として記載されているものがプレッツェルの原型であるかもしれないという説も紹介されています。

そのほかにも古代ケルトの人々が食べていた菓子がルーツである・ケルト神話の女神シロナへの捧げ物であるというケルト文化起源説、古代ローマで食べられていたパンから変化した説、ドイツのパン職人が考案したものだという説もあります。プレッツェルの起源には様々な説がありますが、中世キリスト教と関係=上記でご紹介した修道院で作られていたという説が有力視されています。これは欧米でクリスチャン人口が多いというだけではなく、材料として使用される食材・象徴的な形状の関係もあります。

プレッツェルのイメージ

プレッツェルとキリスト教・四旬節について

日本ではあまり馴染みがありませんが、キリスト教ではイエス・キリストの復活を祝う復活祭(イースター)の前に四旬節という期間が設けられています。宗派によっては大斎節や受難節などとも呼ばれるこの期間は、簡単に言えばキリストの苦しみを分かち合い、自分の行いを悔い改めるための期間。祝宴を避けたり、断食もしくは食事の制限をするなどして悔い改めの表明をするそうです。

カトリック教会でも現在はそこまで厳密ではないそうですけれど…昔は四旬節=肉・乳・卵などの動物性食品の摂取が禁止されていた地域が多かったようです。プレッツェルは小麦粉、イースト、塩、水の4つがあれば作ることが出来ます。四旬節は40日間もありますから、その間の主食・炭水化物補給源としてプレッツェルが適していたと考えられているのです。加えて、その外見も象徴主義のクリスチャンのお気に召した、という指摘もあります。

キリスト教で信じられているプレッツェル発祥説はイタリア北部もしくはフランス南部の修道士が作り出したというもの。このお話の中で修道士は生地を祈るために「腕を交差させた子供のような形」に折り畳んだと伝えられています。形からして神への祈りを捧げていると考えられているわけです、更に穴が三つ開いている=キリスト教の三位一体を象徴しているという説もあります。後付っぽい気もしますが、四旬節でも食べられることと合わせてキリスト教徒のハートをガッチリ掴んだというところでしょうか。

ケルト起源のブラックなお話も…

プレッツェルの起源・形はキリスト教徒の関わりが深いというのが定説と言っても良いくらいになってはいますが、食物史家のウィリアム・ウェイバー(William Woys Weaver)博士など「クリスチャン起源は捏造されたもの」であると指摘する方も少なくありません。彼は610年に修道士によってプレッツェルが発明されたという文書が一切ないことを指摘しており、キリスト教以前から使われていた可能性を示唆しています。

ここで登場するのが古代ケルト教。
ケルトでは春になると女神シロナのお祭りを行い、その中で収穫に関連した儀式として生贄(人)を捧げていたのではないかという説もあります。このためプレッツェルは生贄を繋ぐ(吊るす)縄を、穴が三つなのは生贄が3人必要だったことを表しているなんて怖い話も囁かれています。古代ケルトで人が生贄として使われたのかは断定されていないみたいですけど。人が生贄になる代わりにプレッツェルで済んだなら、プレッツェルは救世主ですよね。

1988年の『ニューヨーク・タイムズ』では四旬節(レント)として5世紀頃にプレッツェルに似たものが食べられていたことも示唆されていますから、プレッツェルの生地に似たものは各地に存在していた可能性も否定できません。小麦粉とイースト・塩だけで作ったシンプルな料理はかなり古くから食べられていたと考えられますし、ケルト教キリスト教があるようにケルト系共同体はキリスト教を受容し習合したという歴史もあります。元々存在していたものが、キリスト教の視点でも受け入れられるように変化していったという可能性もありそうですね。

ドイツの起源説はまた別

キリスト教もしくはケルト教関係の起源説が有力視されているプレッツェルですが、ドイツではまた別の起源説があります。それはドイツ南西部にあるシュトゥットガルト付近にある、バート・ウーラッハという村のパン職人フリーダー(Frieder)さんのお話。彼は領主の期待を裏切るか何かで不興を買い、死刑宣告をされた上で城の地下廊に閉じ込められてしまったそうです。

それを聞いたフリーダーさんの奥さんは城へ向かい、夫のために慈悲を求めます。領主は憐れみ・フリーダーさんを殺してしまうと美味しいパンが食べられなくなってしまうことを惜しみ、自分の出した課題をクリアできたら放免することを決めます。フリーダーさんに課せられた課題は「新しいペストリーを3日以内に作り上げろ。太陽を一つの角度から3度見ることが出来て、私が知る何よりも美味しいものを」というもの。開放されたフリーダーさんは領主を納得させるものを作ろうと試みますが、悩んでいる間に2日間が過ぎてしまいます。まず要求がメチャクチャですもんね。

そして3日目。
彼は軽く塩味のイースト生地を練り、どうしようかと悩みます。ヒントを探して周囲を見ると、パン屋の玄関口に腕を組んで立っている妻の姿が目に入りました。これを見て彼は閃き、腕組みした奥さんをモデルに生地を3つの穴をもつ形にしました。三つの穴があるから太陽も3回見られるというトンチですね。そうして作り上げた生地を焼こうとオーブン(パン窯)に火を入れました。

しかし、そこでアクシデント。オーブンの隣で眠っていた猫がビックリして飛び上がり、生地ののった天板をひっくり返してしまいます。しかも近くにはフリーダー氏の奥さんが作っていた灰汁の入ったバケツがあり、パン生地はその中へドボン。タイムリミットを考えると作り直せるほどの時間はないと、フリーダー夫婦は生地を灰汁から拾い上げてそのままオーブンで焼き始めました。

焼き上がった生地を取り出すと灰汁のおかげで綺麗な焼き色が付き、外側はカリカリ・内側は柔らかくもっちりとしたパンが完成していました。怪我の功名、この成功のお陰で彼は命拾いしたと伝えられています。出来すぎなお話の気もしますけれど…プレッツェルの特徴と言える“焼く前に水酸化ナトリウム水溶液に浸ける”という方法がどうして生まれたかの説明にもなっていますね。

プレッツェルの語源は?

プレッツェルの起源が分からないのと同じ様に、プレッツェルという呼び名の語源についても断定されていません。キリスト教会の修道士が考案したという説では製作者が“pretiolas(プレティオラス)”と命名し、これが他の地域へと伝わっていく中で小さな腕を意味する“brachiola(ブラキオラ)”へと変化し、最終的にはドイツで”Bretzel(プレッツェル)”に変化したと述べられています。対してドイツのパン職人考案説では、プレッツェルという新作のパンを持って領主様の元へ報告に行った時に命名されたと伝えられています。

処刑を取り下げてもらうために焼き上げたパンを持って領主の元へと向かったフリーダー氏。領主は彼に「これは何と呼ぶ?」と尋ねたそう。フリーダー氏は「私が死んだなら妻の腕で二度と抱きしめられることは無いと思いました。あなたが名前をお決めください」と領主に丸投げ。領主の奥さんはフリーダー氏の話から腕を意味するラテン語は“bracchia”で、2つの絡み合った手は“Brazula”だったはずよとアドバイス。これがドイツ語風に訛って”Bretzel(プレッツェル)”という呼び名として定着したという伝承もあります。

プレッツエルの歴史と雑学

プレッツェル屋の看板イメージ

12世紀にはパン屋ギルドのシンボル・看板にも

ローマ帝国や古代ケルトから既にあったとも、7世紀に作られたとも、様々に言われているプレッツェル。ですが、伝承ではなく記録としてプレッツェルの存在をしっかりと確認できるのは、1111年にドイツのパン屋ギルドの紋章として記録されたものとされています。少なくとも12世紀からは南ドイツの地域ではパン職人ギルドの紋章として利用されたことが分かっており、現在でもドイツのパン屋さんでは看板・お店のマークとしてプレッツェルの形を使用しているところが多いそうです。間違いなくプレッツェルであると確認できる記録もドイツのものなので、プレッツェルの発祥はドイツという事で落ち着いている訳ですね。

またオーストリアでは1510年に、プレッツェルを作っていたパン屋さんが大手柄をあげたというエピソードもあります。当時西へと進行していたオスマントルコは、ウィーンの街壁の下にトンネルを掘ることで奇襲をかけようとしていました。しかし朝早くからプレッツェル準備して焼いていたパン屋は地下室の奇妙な騒音に気付き、近くにあった武器を掴んでオスマントルコ兵を撃退して街の人へ警告を出します。このお陰で街は救われ、オーストリア皇帝はその功績を讃えてパン屋に“真ん中にプレッツェルと盾を保持しているライオン”の名誉紋章を授与したと伝えられています。

中世ヨーロッパでは幸せの象徴?

プレッツェルはキリスト教でも三位一体に通じる食べ物として、四旬節(レント)に適した食べ物として評価されていました。中世ヨーロッパではプレッツェルにある三つの穴は「父と子と精霊」だけではなく、幸運・繁栄・霊的充実の3つを象徴するものとしても愛されていたと考えられています。この考え方から四旬節の制限食としてだけではなく、ほかの祝日に出される“お祝い料理”としてもプレッツェルが使われるようになっていきました。

ドイツでは16世紀頃から復活祭前の金曜日である聖金曜日(受難日)の食事としてプレッツェルが定番化していたと伝えられますし、復活祭で行われるエッグハント=子どもがイースターエッグを探す催しについても起源はプレッツェルを探す遊びだったという説があるほど。同時期にはクリスマスツリーの飾りとして使われてもいたようですから、キリスト教とは切っても切れない関係と言っても良いんじゃないでしょうか。17世紀頃のドイツでは幸運と繁栄を象徴するものとして、お正月に子どもがプレッツェルのネックレスを身につける風習があったとも伝えられています。

また、ドイツだけではなくオーストリアやスイスなどでもプレッツェルは親しまれてきました。幸運や繁栄の象徴としてだけではなく、絡み合うループの形から愛の象徴としても使われるようになっていきます。1614年のスイス王室の結婚式ではプレッツェルを使用して、ウィッシュボーンのような占いが行われたという逸話もあります。これは新郎新婦がプレッツェルを両サイドから引っ張り、大きくプレッツェルが千切れた方の結婚に繁栄をもたらすそうですよ。

ハードプレッツェルはアメリカ生まれ

17世紀になるとドイツ人がアメリカへ移住するようになります。このドイツ系移民の人々によってアメリカへもプレッツェルが伝わり、アメリカで変化球として誕生したのがハード系プレッツェル。スナック菓子・袋菓子として馴染みのある、カリカリのタイプです。プレッツェルの起源説にも登場しているように、中世にドイツを始めとした欧州各国で食されていたのは小麦粉+イーストで作られたパンと同じ様な生地を焼いたもの、表面がやや固いベーグルのような食感のもの=ソフトプレッツェルであったと考えられます。

パンに準じるタイプだったプレッツェルを、カリカリでパキパキなスナックへと変貌させた人については大きく二つのエピソードに別れています。一つはパン屋の見習い青年が偶然作り出したという逸話。彼がプレッツェルを焼いていると、加減を誤ったのか途中で炉内の火が消えてしまいます。まだ焼き上がっていないだろうと彼はもう一度火を入れ、プレッツェルを二度焼きしたのだそうです。結果として生地に含まれていた水分は多分に蒸発し、焼き上がったものは音を立てて折れるくらいにカラカラに。偶然出来た堅いプレッツエルは水分が少なく傷みにくいことから、保存食感覚でも重宝されたと伝えられています。

もう一つは現在でも営業されている「Julius Sturgis Pretzel Bakery」の創設者ジュリアス・スタージス氏が考案して1850年代に売り出したというもの。考案したかはさておき、商業用ハードプレッツェルベーカリーとして初であるということは確実なようです。こちらも堅く水分の少ない=長持ちすることが評価されました。購入した人がすぐに食べなくても良いだけではなく、別の店舗に置いてもらって販売することも可能だったため販路が広がったという見解もあります。日持ちの良いハードプレッツェルは急速に広がっていき、アメリカではハードプレッツェルの方が主流と言えるほどの人気商品に。アメリカではハードプレッツェルを“バイエルン(Bavarian)”と呼ぶそうですが、ドイツの方からすると「アメリカ化された、硬く小さい、塩辛いプレッツェル」という認識の模様。

アメリカでソフトプレッツェルが食べられるようになったのは20世紀以降。ちなみに19世紀から現在に至るまで、アメリカ国内ではペンシルベニア州がプレッツェルの一大生産地となっています。これはペンシルベニアにドイツ系移民が集中していたため。1800年代後半はプレッツェルをねじる職人はフィラデルフィア地域で2番目に給与が高かったのだそうです。プレッツェルにマスタードを付けて食べるのも、アメリカ・フィラデルフィア式とされています。ハードプレッツェル系では三つの穴があるリング状ではなく、真っ直ぐな形状のプレッツェル・スティックもありますが、プレッツェルを棒状に作るというアイディアについてはアメリカではなくドイツに既にあったそう。

参考サイト:The Pretzel: A Twisted HistoryBrezelgeschichte, Brezelhistorie, Brezel, Geschichte, HistorieTHE HISTORY OF PRETZELS

ドイツ系のパンが大好きな私。ライ麦粉とかサワー種を購入して偶に作ったりもしています(市販のサワー種を使うと普通のパン作りよりも簡単ですしね)。なのでプレッツエルはスナックだ・菓子だと言われると物凄い違和感があって、そこから調べ始めました。プリッツも含めると日本ではハードプレッツェルが主流かもしれないけれど、ドイツのプレッツェルは菓子ではないと主張したい。何故なら私の好きなプレッツェルはスナック菓子ではなく、パンタイプの方だから(笑)

日本のウィキペディアさんでは“但し、スナック菓子タイプの発祥地もドイツである。”と記載されていましたが、英語サイトを調べた感じではスナック菓子になっているハードプレッツェルはアメリカ発祥と紹介されていました。ドイツ語のサイトではブッシュ大統領が喉に詰まられたプレッツェルについて「アメリカ化された、硬くて小さい、塩辛いプレッツェル」というような言葉が何回も繰り返されてますし。ドイツの方が日本のプリッツを見てプレッツェルだなと思うのか…いや、思わない気がする。