さくらんぼは歴史ある果物!
-種類や語源説、栽培の歴史を紹介

さくらんぼは歴史ある果物!<br />-種類や語源説、栽培の歴史を紹介

さくらんぼは、見た目の美しさださ・高級さから「赤い宝石」や「果物の宝石」など宝石に例えられることも多い果物。ご贈答用果物としても使われます。つやつやとした果実は見ているだけでも気分があがりますし、ジューシーでクセのない甘みは老若男女問わず愛されるのではないでしょうか。

日本人にとっても馴染みがあり、ちょっと憧れ感もあるさくらんぼ。アメリカンチェリーと比べると風味は全く違いますが、どちらも同じ“セイヨウミザクラ”という種に分類されています。さらに、西洋とはつくものの、セイヨウミザクラの原産地が西洋かは分かっていません。知っているからこそ気にしたことのない、さくらんぼの種類や歴史を紹介します。

さくらんぼとは? 概要と語源

さくらんぼの定義と種類

サクランボはバラ科サクラ属サクラ亜属の中で、実桜(ミザクラ)類の樹木になる果実の総称ミザクラ類というのは、サクラ亜属を更に細かく分類した際、ミザクラ節(sect. Cerasus)に分類される植物のこと。英語圏では“true cherries”とも呼ばれています。

ミザクラ節に分類される種はたくさんあるものの、全てが果実“さくらんぼ”を食べられるものではありません。例えば、英名ではJapanese mountain cherryとも呼ばれるヤマザクラ(山桜 / 学名 Cerasus jamasakura)などもミザクラ類に含まれています[1]。

そんなミザクラ節の樹木のなかでも果物を目的として栽培されている種は、主に以下の3つです。

  • 西洋実桜(セイヨウミザクラ)/甘果桜桃
    学名:Prunus avium/英名:スイートチェリー(sweet cherry)
  • 酸実実桜(スミミザクラ)/酸果桜桃
    学名:Prunus cerasus/英名:サワーチェリー(sour cherry)
  • カラミザクラ/支那実桜
    学名:Prunus pseudocerasus/英名:チャイニーズチェリー(Chinese cherry)

このうち、生食用の果物として栽培・販売されているのは、ほぼセイヨウミザクラ系統の品種です。甘果桜桃という別名もある通り、酸味が少なく、そのまま食べても美味しいのが特徴。アメリカンチェリーも、ナポレオンも、日本の品種である佐藤錦も、全てセイヨウミザクラ系統のさくらんぼです。このため、単に「さくらんぼ」といった場合はセイヨウミザクラの実を指すのが一般的です。

スミミザクラは“酸実”という名前の通り酸味が強く、生食には適していません。ジャムや焼き菓子、リキュールなどに加工して使われています。製菓によく使われるためか、別名“タルトチェリー”とも呼ばれています。イランやトルコなど中東あたりでは、スープや煮込み料理、肉料理のソースなどにもスミミザクラが使用されています。

カラミザクラのカラは中国を示す“唐”ですし、支那実桜や中国桜桃とも呼ばれるように中国が原産。日本でも西日本を中心に植えられており、セイヨウミザクラが伝わるよりも古くから存在していました。カラミザクラの実は生食できないほど酸っぱいということはないのものの、セイヨウミザクラよりも甘みが控えめで果実も小ぶり。食用としてはあまり重要視されていません。

さくらんぼの別名=桜桃

サクランボは別名、桜桃(おうとう)とも呼ばれます。
元々、桜桃は漢名(中国名)でさくらんぼ、中国が原産地のカラミザクラの果実を指す言葉でした。広義でのさくらんぼを指す言葉として使っても間違いではありませんが、生産者さんたちの間で“桜桃”は狭義でのさくらんぼ=セイヨウミザクラを指す言葉として使われています。

ちなみに桜桃は、桜・さくらんぼと桃をまとめた言葉ではありません。
古くは果物の総称のようなニュアンスで“桃”が使われていたので、「桜の実」という意味で桜桃と呼ばれるようになったと考えられています。

桃の歴史についてはこちら>>

さくらんぼの語源と由来

和名さくらんぼの語源

私達が普段使っている「さくらんぼ」という呼び名。
さくらんぼの語源や由来については断定されていないものの、元は「桜の坊(さくらのぼう)」という言葉であったものが言いやすいように変化した、という説が通説となっています。桜ん坊の“坊”の由来は、桜の子どもという意味、もしくは、さくらんぼのつるりと丸い形状をお坊さんの頭に見立てたなどの説があります。

そのほかにさくらんぼの語源としては、漢名(中国名)の“桜桃”を日本語読みした“さくらもも”からさくらんぼに、果実を意味する“ぼぼ”という言葉を使ってサクラボボだったものがサクランボに転訛した、魚の干物である“桜干し”から派生した、などの説もあります[2]。

ただ、魚の干物から果物の名前を付けるかは甚だ謎。一番しっくり来るのが桜の坊(さくらのぼう)→桜ん坊(さくらんぼう)→さくらんぼ、という変化説ではあります。

英名cherryの語源は

さくらんぼの英名cherry(チェリー)の語源は俗ラテン語ceresia、もしくは後期ギリシア語kerasianとされています。これが古フランス語ceriseになり、英語のcherryへと変化していきました。

さくらんぼ(cherry)の語源とされるceresiaもしくはkerasianという古代の呼び方は、古代ギリシャ語で“セラサス(Κερασοῦς / Cerasus)”と呼ばれていたトルコ北東部が由来という説もあります。古代ローマではルキウス ・リキニウス・ルクッルスが「ミトリダテス戦争に勝利した際に、ポントス からさくらんぼを持ち帰った」と信じられた[3]ことから、古代ポントスの町であったらセラサスの名で呼ばれるようになったと考えられています。

とは言え、反対に「その土地に住んでいた人が、さくらんぼの栽培にちなんで自分たちの土地をCerasusと名付けた」という説もあり[4]、どちらが先かは決着がついていません。

さくらんぼのルーツと歴史

古代のさくらんぼ

さくらんぼ、ミザクラ類は人との関わりが古い果物の一つです。現在私達が主に“さくらんぼ”として食べているセイヨウミザクラという種についても、非常に古くから存在しており、原産地は明確に断定されていません。古くは西アジア起源と考えられてきましたが、ヨーロッパ中で青銅器時代のさくらんぼの種が発掘されていることもありヨーロッパ原産説もあります。

イタリア北部で見つかった化石は、放射性炭素年代測定によって紀元前2077年±10年のものであるという報告もなされています。人間が農業を発明する以前から、ミザクラ類の木は存在しており、人々はその実を採取して利用していたわけです。新石器時代、ブドウからワインを作るよりも以前から、人々はさくらんぼの果実を絞ったジュースを作り、発酵させてお酒として飲んでいたという説もありますよ[5]。

さくらんぼを人の手によって栽培するようになった歴史も古く、紀元前800年頃までにはトルコなど小アジアで栽培が行われていました。同じくらい古くからサクランボを食べてきたとしても、栽培は中近東の方が早かったと考えられます。今でも中東ではサワーチェリーを料理に使ったりと、サクランボをよく使う地域。長い栽培の歴史があっての文化なのかもしれません。

さくらんぼの栽培は小アジアから、ギリシアでも行われるようになります。古代ギリシアの博物学者・植物学者テオプラストスも著書『Historia Plantarum(植物の歴史)』でさくらんぼについて記録しています。

語源でも登場した、古代ローマの博物学ガイウス・プリニウス(大プリニウス)は著書『博物誌』で、さくらんぼはミトリダテス戦争の際にポントスから持ち帰ったことで広まったと記しています[3]。しかし、このミトリダテス戦争は紀元前70年頃のこと。テオプラストスは紀元前3世紀頃に活躍した人物ですから、ミトリダテス戦争より前からギリシアでは栽培されていたのでしょう。

ともあれ、紀元前のうちにはヨーロッパでも甘いさくらんぼの栽培が行われていました。古代ギリシア・ローマの影響もあって、北アフリカやイギリスにもセイヨウミザクラが植えられ、栽培が広まっていきました。ヨーロッパでもさくらんぼを栽培する地域が増えたと推測されています。古代ギリシアではさくらんぼを利尿薬としても使っていた、ローマ帝国軍では行軍時の食事に取り入れた[4]、ローマ軍の遠征時に捨てられた種が各地で芽吹いたなどの逸話もあります。

中世以降のさくらんぼ栽培

ローマ帝国の衰退後、中世でもさくらんぼは人々によって栽培され食され続けました。庭木を兼ねるような形でセイヨウミザクラの木が植えられ、村人が自家用として消費していたという説もあります[5]。高級フルーツというよりは、農民が実をつける時期を楽しみにしているような、庶民的な果物だったのかもしれません。

さくらんぼからは離れますが、サクラ類の花はヨーロッパでクリスマスの花としても愛されていました。ヨーロッパの古い民間伝承の中には“クリスマスイブにサクラの花が開花すると、枝を手入れした女の子は1年以内に良い夫に出会える”というものもあるのだとか。日本人からするとクリスマスに桜の花が咲くというのはちょっと不思議ですが、ヨーロッパでも冬に咲く種類があるわけではありません。クリスマスに咲くように、枝を桜の木から切り離し、ストーブの近くなど暖かい場所に置いて開花を促していたそうです[5]。

アメリカ大陸でのさくらんぼの歴史

ヨーロッパの人々がアメリカ大陸へ入植するようになると、ヨーロッパからアメリカへ数種類のサクランボが持ち込まれ栽培されます。1630年代にはスペイン人の宣教師がカリフォルニアにセイヨウミザクラ(スイートチェリー)を持ち込んでいます[4]。

新大陸であるアメリカには、各地から様々なミザクラ類の木が導入されました。甘いセイヨウミザクラ系統の品種だけではなく、スミミザクラ(サワーチェリー)系統の品種も持ち込まれていますし、北米原産とされるブラックチェリーやチョークチェリーの栽培も行われていたようです。商業的な栽培や品種改良が行われて行く中で、ビングなどの品種が確立していきました。

日本で「アメリカンチェリー」と呼ばれているさくらんぼがありますが、これは品種ではありません。アメリカで作られた品種もしくはアメリカから輸入されたさくらんぼの総称です。果皮が黒っぽい“ビング”と、果皮が赤色で甘い“レーニア”という品種が、アメリカンチェリーの代表格。レーニア他アメリカンチェリーの多くの品種はビングの交配によって誕生しているので、ビングという品種の誕生はアメリカンチェリーにとって大きな契機といえますね。

中国、日本のさくらんぼの歴史

ユーラシア大陸の東側、中国では同じミザクラ類の別種カラミザクラ(チャイニーズチェリー)が自生していました。五経の一つ『礼記』にも記述があることから、3000年前には既にさくらんぼは栽培・利用されていたと考えられています[6]。

日本にも平安時代の『本草和名』に桜桃の記述が登場し、中国からサクランボが伝えられていたことがうかがえます。ただし果物として商業的に栽培されることはほぼなく、一部で伝統薬・民間療法の中で使われていたくらい

江戸時代初期にも中国からカラミザクラが伝わっていますが、気候の問題で栽培が安定しなかったことや、現在私達が食べているサクランボ(セイヨウミザクラ)よりも酸味が強かったことなどから定着しませんでした。一部地域で観賞用・木材用として栽培された程度であったようです。

日本のさくらんぼ(セイヨウミザクラ)の歴史

日本でサクランボが本格的に栽培されるようになったのは明治以降。
甘いセイヨウミザクラは、明治元年、ドイツ(旧プロイセン)人のガルトネルが北海道に六本の桜桃の木を植えたのが始まりと伝えられています。りんご(セイヨウリンゴ)もガルトネルが北海道に植えたものが初と伝えられていますから、ガルトネル事件で有名になってしまったものの、彼の貢献はかなりのものだったのではないでしょうか。

リンゴの歴史についてはこちら>>

後の1871年(明治4年)には開拓使がアメリカから25品種を導入、1872~1875年(明治5~8年)頃には内務省勧業寮によってアメリカやフランスから取り寄せたセイヨウミザクラの苗木が東北・北海道を中心に配布されました。これをきっかけに、国内のサクランボは栽培が本格的に行われるようになります。

日本といえば品種改良大国。
商業的に栽培をはじめると同時に、より栽培地の気候や日本人の味覚にあった品種作りも進められました。山形県では佐藤栄助さんという方が、1912年(大正元年)からさくらんぼの品種改良に着手。佐藤栄助さんは「味は良いものの日持ちのしない“黄玉”と、甘みが少ないものの日持ちのする“ナポレオン”を掛け合わせて良いとこどりする」ことを目標に品種改良に試行錯誤されました[6]。

着手してから約十年後、1922年(大正11年)に佐藤栄助さんが品種改良した苗木に果実が実ります。この時に作られた品種こそ、現在さくらんぼの主要品種となっている「佐藤錦」です。佐藤錦の“佐藤”は新品種を作成された、制作者のお名前だったんですね。

【参考サイト】

  1. Prunus subg. Cerasus – Wikipedia
  2. さくらんぼの語源・由来 – オールガイド
  3. PLINY’S NATURAL HISTORY
  4. National Cherry Month: Exploring the Fruit’s Rich History
  5. The Food Timeline–history notes
  6. さくらんぼの歴史

名産地といえば山形!というイメージのあるさくらんぼですが、日本初の栽培地は北海道とはじめて知った北海道出身者です。確かに北海道の田舎ではサクランボ狩りをやっている果樹園も多く、子供の頃によく行った覚えがあります。国内生産量2位らしいんですけれども、北海道にさくらんぼのイメージはないと思う(苦笑)。

さくらんぼは日本だと高級フルーツの一角として扱われていますが、歴史や語源を調べるのに見た英語サイトではあまり高級なイメージはないようです。コストコでも大容量のアメリカンチェリーがお手頃価格で売られていた気がするので、日本ほどお高くないのかなーと気になっています。