イチゴ(苺)の語源は魚卵?!
-意外と知らない名前の由来と歴史とは

イチゴ(苺)の語源は魚卵?! <br/ >-意外と知らない名前の由来と歴史とは

身近にあるのが当たり前なくらい、お馴染みの果物イチゴ。そのまま食べる以外に、ジャムやショートケーキの上(笑)、布地のプリント柄まで様々なところで使われています。イチゴや英語のストロベリーもなんの違和感もなく使っていますが、どんな由来があるのか、そもそもイチゴっていつから食べられていたのか、考えると謎が多くありませんか?

そんなイチゴの由来と歴史を紹介します。

イチゴ(苺)とは? 概要と語源

イチゴの概要

甘酸っぱく、赤色が鮮やかなイチゴ。
誰もが知るオーソドックスな果物の一つで、人気果物ランキングでも常に上位の存在ですね。

そんな、普段私達が食べているイチゴは、和名でオランダイチゴ、英語だとgarden strawberryやananas strawberryと呼ばれる品種系統が大半。学名はFragaria × ananassaと記されます。イチゴという言葉は難しく、広義であればバラ科オランダイチゴ属 (Fragaria) に属す植物や果実全体を指す場合もありますが、栽培され一般に流通しているイチゴはこのオランダイチゴ系の品種です。

学名に×が使われている通り、このオランダイチゴは交配種。北米原産で香りが強く小粒のバージニアイチゴ(Fragaria virginiana)と、南米原産で果実のサイズが大きなチリイチゴ(Fragaria chiloensis)を交配させて“いいとこどり”したことで生まれた栽培種です[1]。

アメリカ大陸原産の2種が交配され、現在私達が知るイチゴが誕生したのはフランスのブルターニュでのこと。このため、イチゴの原産地についてはヨーロッパである、アメリカであるなど色々な見解があります。

イチゴは果物ではなく野菜!?

イチゴは雑学的なコラムで「果物ではなく野菜」なんて小ネタが紹介されることもある食材。

同じように、一般認識的には果物なのに“野菜”に区分されているものとしてはメロンやスイカなどもありますね。農林水産省によると、こうした区分は、木(果樹)になるものか、草につく実(草本性)かによるもの[2]。メロンやスイカは一年草、イチゴも多年草なので草本性=野菜という考え方。

農林水産省の作物の統計調査でも野菜として分類しているようですが、消費者的な目線で言えばイチゴは果物。このため、果実的な利用をするということで「果物的野菜」と表現されることもあります。紛らわしいですね。植物学や園芸的学な話を抜きに、日常会話で使う分には果物で全く問題ありません。

イチゴの語源と由来

日本語いちご(苺)の語源

私達が普段使っている日本語の呼び名、いちご(苺)。
イチゴという呼び方は、古い時代に使われていた“いちびこ”という呼び名が、時代とともに変化したものだと考えられています。どのくらい古いかと言うと、なんと『日本書紀』には既に「伊致寐姑(いちびこ)」という名前で登場しています。

“いちびこ”の由来については諸説ありますが、当時のイチゴはイクラやスジコなどに似ていたことから“魚(いお)の血のある子のごとし”を略したとの説が多く紹介されていますね。日本書紀が成立したのは奈良時代、720年頃とされていますから、約1300年よりも前には既に呼び名の原型があったわけですね。

平安時代に書かれた『新撰時鏡』には「一比古(いちびこ)」、それよりも30年くらい後に書かれた『和名抄』では「伊知古(イチゴ)」との記述がある[3]ことから、900年代初頭にイチゴという音に変化したと考えられます。

漢字の“苺”がいつごろから使われたかは定かではありませんが、こちらは「どんどん子株を生み出す草」であることから、草かんむり+母が選ばれたとの説が有力視されています[3]。とは言え、当時の日本にあったイチゴは現在私達が食べているイチゴではなく、ヘビイチゴもしくは野いちご(キイチゴ属)の類だったのでしょう。木苺はツブツブとした赤い実が沢山くっついた形をしていますから、魚卵に例えられたのも納得です。

イチゴの英名strawberryの語源

英語でイチゴはstrawberry(ストロベリー)、普段食べているオランダイチゴのみを指したい場合はgarden strawberryなんて呼び方もします。strawberryの語源もはっきりとは分かっていません。

というのも、ヨーロッパにもワイルドストロベリー(Fragaria vesca / 和名エゾヘビイチゴ)などオランダイチゴ属の植物は自生しており、こうしたオランダイチゴ属の植物もしくは果実を呼ぶ言葉は古くから存在していたため。現在使われている英語strawberryは、古英語の「streawberige」または「streoberie」に由来します[1]。

ただし、その語源や意味については分かっていません。有力視されている説には、イチゴを冬越しさせるために藁(straw)を使ってマルチングしていたためというものがあります[1]。そのほか、イチゴは這うように茎を伸ばして広がっていくため果実が地面に散らばっているように見えた、野生のイチゴを藁に刺して販売していた、など色々な説があります[4]。

ちなみに、オランダイチゴ属の属名に使われているFragariaは、ラテン語でイチゴを意味する「fraga」に由来しています。更にこの「fraga」という言葉は、香りを意味する「fragum」の派生語。イチゴが持つ独特の香りから使われるようになったと考えられています[1]。芳香や香水を指すのに使っているfragrance(フレグランス)も、苺と同じく「fragum」から変化した言葉と考えられます。イチゴと香水が同じ語源、少し不思議ですね。

ストロベリーだけど、厳密にはベリーではない

イチゴはストロベリーと、名前に“ベリー”がつきます。風味的にも合うのでベリーMIXなどにも配合されていますが、実は植物学でのベリー(漿果/液果)の定義には当てはまりません。簡単にまとめるとベリーは“成熟した時、果肉が肉厚で汁気の多いも果実”なのですが、私達が果物として食べているイチゴは茎の先端が膨らんだ「偽果」と呼ばれる部分[2]。厳密な味方をすると、そもそも果実ではない、となるようです。

一般的にイチゴの種と呼ばれている、表面にたくさんついているゴマのようなツブツブ。あれこそがイチゴの本当の果実です。種はツブツブの更に中に入っています。赤いイチゴ一粒は200個から300個の果実が集まってできているため「集合偽果」とよびます。

イチゴのルーツと歴史

古代のイチゴ

日本でもヨーロッパでも、イチゴを意味する言葉が古くから存在していたように、広義でのイチゴは古くから自生していました。野生種についでは石器時代から食用されていたと考えられていますし、古代ペルシャではエゾヘビイチゴ(Fragaria vesca)の栽培も行われていたことが分かっています。余談ですが、古代ペルシアではイチゴのことを“ Toot Farangi”と呼んでいたそうですよ[1]。

ヨーロッパでもエゾヘビイチゴや、同じくオランダイチゴ属のグリーンストロベリー(Fragaria viridis)が自生していました。こういったワイルドストロベリーと呼ばれる類の野苺に関しては、ウェルギリウスやオウィディウスの作品にも登場していますから、紀元前、古代ローマの時代には既に知られた存在だったのでしょう。

野いちごイメージ画像

ただし、ウェルギリウスとオウィディウスの作品でイチゴは果物ではなく装飾品として登場しています[5]。また、古代ローマ人は薬効があると考えて憂鬱や腎臓結石などの治療にもイチゴを取り入れた、ハートの形と赤い色をしていることから愛の女神であるヴィーナスの象徴として宗教的に利用した[4]なんて説もあります。

現代でもワイルドストロベリーはハーブとして使われています。どちらかと言えば葉が主に使われていますが、むくみケアなどにハーブティーが飲まれています。古代ローマから受け継がれてきている伝統療法と言えるのかもしれません。

ヨーロッパでの栽培はルネサンス期から

古代ペルシアから行われていたエゾヘビイチゴ(Fragaria vesca)の栽培は、シルクロードを通ってユーラシア大陸の東西へも伝わっていきました。1300年代までにはフランスでも野生のイチゴを摘むのではなく、エゾヘビイチゴの栽培が行われています[5]。1300年代後半に在位していたフランスのたシャルル5世は、王立庭園に1,200本のイチゴを植えたというエピソードもありますよ。

現在のイチゴ(オランダイチゴ)の誕生

ヨーロッパのイチゴ栽培に大きな変化が起こったのは、17世紀以降。
1624年に香りの良いバージニアイチゴ(Fragaria virginiana)が北米からフランスへと持ち込まれ、栽培されるようになりました[4]。爆発的な人気こそ出なかったものの、育てやすかったバージニアイチゴはイギリスを含むヨーロッパ各国で栽培され、バージニアイチゴを元にした改良品種も作られるようになっていきます。

1712年には、くるみくらいの大きなサイズをした果実を実らせるチリイチゴ(Fragaria chiloensis)が南米からフランスに持ち込まれ栽培されるようになります。ここでオランダイチゴの元となっている、2つの品種がヨーロッパに導入されましたね。

1740年にはフランスのブルターニュで北米のバージニアイチゴと、南米のチリイチゴの交配に成功[1]。現在私達が食べているイチゴである、香りがよく実が大きなオランダイチゴ(Fragaria × ananassa)が誕生します。定義でのイチゴの歴史はここから始まったと言ってもよいでしょう。交配によって誕生したオランダイチゴの実は従来のイチゴの10倍近く大きくなった、なんて話もありますから、当時の人にとっては革新的な進化だったこともうかがえます。

オランダイチゴのイメージ画像

こうして誕生したオランダイチゴは1700年代後半に、両親のふるさととも言える南北アメリカへと伝わりました。19世紀初頭にはストロベリーアイスクリームが人気を博したことでイチゴの需要が高まり、アメリカでのイチゴ栽培も急増[1]してきます。

アメリカでは更に品種改良が進められ1830年代には“Hovey”というアメリカ発の品種が誕生、1909年頃には現在の栽培品種の大半のルーツとも呼ばれる“ハワード17”という品種も誕生しています[5]。アメリカは今でも中国に次ぐ、イチゴの生産量トップグループの国。

日本での栽培イチゴの歴史

日本にオランダイチゴが伝わったのは江戸時代、19世紀(1830年)頃にオランダから長崎へと伝えられたのが始まりと言われています[2]。和名に“オランダ”がつく所以ですね。ヨーロッパやアメリカでの栽培や品種改良を考えると、この時に伝わったイチゴは生食にも適していたと考えられます。

しかし、伝わった当初は血のような赤色が不吉だと嫌われてしまい、観賞用として栽培された程度だったのだとか。日本で本格的な栽培が行われるようになったのは、明治に入ってから。北海道で栽培する作物としてアメリカから種苗が導入されたことをきっかけに、ヨーロッパからも様々な品種が導入されるようになっていきました。

日本でのイチゴ産業に革命が起こったのは明治31年(1898年)。今は「日本のいちごの父」とも呼ばれる福羽逸人氏が、フランスから取り寄せた“ジェネラル・シャンジー”という品種を元に、当時は農事試験場だった新宿御苑で“福羽”という新品種を確立します。
この福羽苺が、初の国産品種。

とは言え、この福羽苺が広まって一気にイチゴが日本の人気フルーツになったわけではありません。新宿御苑は今で言う農事試験場ですが、同時に皇室の御料地。そこで誕生した福羽イチゴは皇室にのみ献上される門外不出の品種として扱われ、当時は「御料苺」や「御苑苺」と呼ばれていたほど[5]。大正になると解禁されて農家での栽培も行われるようになり、福羽苺を元に国産品種も多く作られるようになっていきました。

日本は生産量こそ多くないものの、イチゴの品種数が世界トップレベルで多い国。その国産品種の大半が福羽苺を使って作られた品種、いわば子孫であることから、福羽苺は「日本のいちごの母」なんて称されることもありますよ。

【参考サイト】

  1. Strawberry: A Brief History
  2. いちごのあれこれ豆知識:農林水産省
  3. 「苺(いちご)」の語源や漢字の成り立ち、かつて日本ではどのような呼称だったかを知りたい。
  4. Strawberry: A Brief History
  5. History of the Strawberry
  6. イチゴ(苺) /フクバイチゴ(福羽苺)

実は国内イチゴ栽培の先駆け(?)だったらしい北海道の出身です。うん、全く産地感ないです。父が農業関係の仕事をしていたこともありますが、イチゴなんてワードは出てこなかった(笑)イメージ強いのは“とちおとめ”の栃木、“あまおう”の福岡あたりですよね。

そこまで詳しくないので他の品種は「聞いたことあるわー」くらいだったんですが、気になって調べてみると、イチゴ品種のあることあること。世界全体の品種の半分以上が日本のもの、なんて説もあるくらい、日本はイチゴの品種作りが大好き国家なのです。まぁ、イチゴに限ったことでも無いのでしょうけれど。TVで見た一粒50g越えの大玉系イチゴを食べるのが野望です。あれ、お高いですよね……。