意外と知らない? クリスマスの意味
-キリストの誕生日&イブは前夜祭ではない

意外と知らない? クリスマスの意味<br/ >-キリストの誕生日&イブは前夜祭ではない

12月の一大イベントと言えばクリスマス。ハロウィンが終わると雑貨屋を筆頭に様々なお店がクリスマス色に染め上げられ、各地ではクリスマスツリーやイルミネーションが設置されますよね。年中行事の一つとしてクリスマスがガッチリ定着している日本ですが、クリスチャン人口が少ないせいもあってか、キリスト様の誕生日なんでしょう・前夜祭のお祝いがクリスマスイブだよねなどの勘違いも……。キリスト教になるつもりはなくても知っておきたいクリスマスの定義や12月25日に祝われる由来を見直してみました。

クリスマスについて

クリスマス(Christmas)とは

クリスマスは毎年12月25日に行われるイエス・キリストの誕生を記念しお祝いする日(お祭り)。英語で書くと「Christmas」となり、これは救い主であるイエス・キリストの“Christ”と、礼拝・典礼を意味する言葉“mass”を組み合わせた短縮言葉です。クリスマスという言葉は説明する必要がないくらいに一般的になっていますが、そもそも言葉としてイエス・キリストの誕生を記念する礼拝だよという意味が込められているんですね。日本ではクリスチャンの方以外に馴染みがありませんが、カトリックを中心に2月2日の聖燭祭(キャンドルマス/Candlemas)や9月29日のミカエル祭(ミカエルマス/Michaelmas)などクリスマス以外にも「~マス」と付くお祭りがあります。

クリスマス=イエス・キリストの誕生日という認識をされていることもありますが、これは間違い。12月25日はハッピーバスデー・イエス・キリストの日では無いんです。イースターについての記事でも触れましたが、聖書にはイエスが誕生(降誕)した日にちというものは明記されていません。生まれた年についても曖昧であり、実在したのかどうかという論争もあるくらいですからね。なのでクリスマスが何の日かを説明するとすれば、私達のためにイエス・キリストが受肉し人として地上にいらしてくれたことをお祝いする日、という事になるわけです。

日本ではキリスト教に関連するお祝いとしてクリスマスが最もポピュラー、宗教的意味合いはそっちのけで国民的行事とも言える状態になっています。しかし、クリスチャンの方にとってはクリスマス(降誕祭)よりも復活祭(イースター)の方が重要な行事と捉えられています。これは「主イエス・キリストは人類の罪を背負って一度死ぬことで、人々の罪を赦し救った」という信仰があるため。死んだはずのイエスが復活したのは、神様に赦されたというサインとされています。だからこそイエス・キリストがお生まれになった日であるクリスマスも重要ではあるものの、復活した=罪と死から開放された日であるイースターのほうが重要視されているのだそうです。

ちなみに、クリスマスは大体が12月25日…なのですが、宗派によって日にちが違うこともあります。現代の西方教会は日本でカレンダーとしても使われているグレゴリオ暦に基づいて日にちを決めていますが、東方教会系(正教会)の一部にはユリウス暦を使用している教会もあります。ユリウス暦の12月25日は、グレゴリオ暦上だと1月7日。このため私達からすると1月にクリスマスをしている人がいるように感じられるんですね。ただし使用している暦が違うだけで「クリスマスは12月25日」であることは共通。身近なものに例えるならば、新暦でお盆をする・旧暦でお盆をする地域があるような感じでしょうか。

クリスマスと言うのは英語だけ

私達が使っている「クリスマス(Christmas)」という言葉は英語由来。英語以外では12月25日のことをクリスマスとは呼ばず、それぞれの国の言葉でクリスマスに対応する呼び名があります。音として英語のクリスマスと近いのはオランダ語でのKerstmis(ケルストゥミス)で、そのほか…
フランス語ではNoël(ノエル)
イタリア語ではNatale(ナターレ)
スペイン語ではNavidad(ナビダー)
ドイツ語ではWeihnachten(ヴァイナハテン)
などなど。

クリスマスはキリスト+ミサ(礼拝)という言葉が語源ですが、フランス語やイタリア・スペインの言葉では“降誕”が由来となっており、ドイツ語は“聖夜”という言葉が由来なのだとか。デンマークやスウェーデンなどの北欧圏では冬至祭の呼び名であった“ユール(Jul)”がそのままクリスマスを意味する言葉として使われています。

クリスマスイブは前夜祭ではない?

クリスマスは12月25日、その前日である12月24日の夜はクリスマス・イブと呼ばれています。25日の朝ないし昼に礼拝に参加することのないクリスチャンではない日本人にとっては、クリスマスのお祝い・お祭りをするのはクリスマスイブ(24日の夜)というイメージのほうが強いのではないでしょうか。昔は25日の朝になるとクリスマスケーキやオードブルの残りが「もう終わった」とばかりに割引されていましたし。

そんなクリスマスイブ。
クリスマスの前夜祭であるように思いがちですが、正確には「クリスマス当日の夜」の事を指しています。

現代のタイムスケジュールで動いている私達にとっては12月24日になりますが、教会暦……というか、昔の暦の考え方では12月24日の夜=12月25日に該当するのだそうです。こう書いてしまうと分かりにくいですが、教会で使っている暦というのは日没を堺に日にちが変わるという考え方をしています。12月24日は夕方で終わり。12月24日の夜というのは教会の考え方では12月25日に切り替わった頃合い、既にクリスマスに突入しているというわけです。だからこそクリスマスイブ=24日の夜に大切な人と食事をしたり礼拝をするんですね。近年は宗派によってカレンダー通り“0時”を25日の切り替えとしているところもあるようですが。

XmasやX’masの「X」とは?

Xmasの「X」の由来

英語クリスマスのスペルは「Christmas」ですが、クリスマスカードや店頭ポップなどでは“Xmas”や“X’mas”と省略した書き方をされることがありますよね? キリスト教系の女子校出身の筆者は学生時代にクリスマスカードとお菓子を作って届けるという奉仕活動(?)を経験しましたが、スペルを間違えそうなので“Xmas”と省略して書いた記憶があります。そして13歳のときから疑問だったのが「Christmas」のどこにも「X」に通じるものが無いのに、なぜ“Xmas”と略すのかということ。Xはどこから来たの疑惑です。

調べてみたところ、Xは英語ではなく古代ギリシア語が語源。
古代ギリシア語で救世主、つまりイエス・キリストを指す言葉は“Χριστός[khrīstós]”。なぜ英語に突如としてギリシア語が登場するんだと突っ込みたいところですが、英語圏では古くからイエス・キリストのことをXやXρと表記する習慣があったのだそうです。キリスト教を取り入れたローマ皇帝コンスタンティヌス1世はこのXとρを使って、Pの下部分を伸ばしてXを重ねた形のモノグラムをローマ帝国正規軍の紋章として採用し、今日でもキリストを表す宗教的モノグラム(クリストグラム)として、キー・ローもしくはラバルムと呼ばれて使われています。

キリストのことをXやXρなどと記すのもこうした伝統があること、加えてギリシア語の知識がある=教養があるというアピールも兼ねていたのではないかという見解もあります。ギリシア語の“Χριστ”がキリスト(Christ)の語源ともされていますから、それを知っている=知的階級であるという感じでしょうか。Xmasに限らず、英語の略語って英語を短縮したものではなくギリシア語やラテン語由来の単語の短縮形が多く入っているそうですし。

略したXmas表記は止めたほうが良い?

日本だとお店の内装からインテリア、クリスマスカードなど様々な部分に“Xmas”や“X’mas”という表記が使われています。しかしながら英語圏の国、クリスチャンの方々にとって“Xmas”や“X’mas”という略語は鬼門だという話もあります。クリスチャン内でも意見が分かれているそうですが……Christを略して書くのは不敬だ・冒涜的だと感じる人もいることは事実。略語の“X”については上記の通り歴史が古い部分もあるので、略している=冒涜と捉えられるようになったのは企業的広告で簡潔な“Xmas”が使われることが多く安っぽい・世俗的および商業的な印象になったという裏事情もあるように思います。

ともあれ、不快に思う方もいらっしゃることには違いないので、クリスチャンの方への贈り物や不特定多数の方に向けて発信する際には「Christmas」と略さない表記を使用した方が確実です。インスタやフェイスブックなど今は世界中から観覧されるメディアが多いので、いらぬトラブル予防にもなりそうですしね。宗教上の理由という言葉に拒絶感がある方であれば年賀状の「あけましておめでとうございます」と「あけおめ」の違いくらいに思っておきましょう。略してしまうと問題になる場合もありますが、正式名称(?)を書いておけば問題ないくらいの感覚で。

クリスマスの日程の由来

イエス・キリスト降誕のイメージ

クリスマスが12月25日になった理由

12月25日のクリスマスはイエス・キリストの誕生日ではなく、誕生したことを記念する祭日というのが定説となっています。では何故、キリスト降誕のお祝いを12月25日にしたのかと言うと、通説となっているのが“冬至”との関係です。最も太陽の出ている時間が短く、この日を境に日照時間が伸びていく冬至が人の世に光をもたらすイエス・キリストの降誕を象徴するのにピッタリだったという感じですね。宗派によって捉え方が異なる部分もあるようですが、キリスト教においてイエスは全人類をその罪から救うために地上へと降誕されたお方であると考えられています。

キリストは、神の御姿であられる方なのに、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、十字架の死にまでも従われたのです。

ピリピ人への手紙2章6節~8節

イエスは特殊な能力を持って生まれた人間ではなく、神の子が受肉して人として生まれたという考え方なんですね。なぜ神様が人として現れたかと言えば、全人類が犯している罪を償い救済するため。人の罪はアダムとイブが禁断の実を食べた事に始まるので、その二人をルーツに持つ全人類は既に済を背負っていると考えられました。そこで罪のない人(イエス)が私達の世界へとやってきて、身代わりとなって死ぬことで人類の罪を赦すというメカニズムだったのだとか。その際にアダムのように人間を作ってもまた罪を犯してしまう=身代わりにはなれないことから、絶対に罪を犯さない神様自らが地上に降り立ったと信じられています。この辺の三位一体論は信者以外には難解な部分ですけども…。

ともあれ、罪を背負っていた人類を救うために神様がやってっくるのは暗い時間が最も長い日であり、翌日からは徐々に日にちが長くなっていく冬至の日がピッタリだと考えられた、という説が有力視されています。クリスマスの日付が12月25日と制定された起源については断定されていませんが、211年にローマの元老院議員スキピオ・アフリカヌスが定めたのではないかという説が有力視されています。アフリカヌス説には否定的な見解もありますが、少なくとも4世紀の間には12月25日がクリスマスであると周知されていたことが分かっています。

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古代のお祭りをキリスト教化した説も…

クリスチャンの方々には怒られてしまうかもしれませんが、クリスマスが12月25日に決められた理由として「異教からのキリスト教化を促すため」というのも有力視されている説の一つ。12月25日と固定ではありませんが、冬至の時期というのはキリスト教以前から存在していた各地の宗教において重要視されていた日にちでもあります。一年で太陽が最も弱くなる日、この日を境に太陽が力を回復させていく日は特別な日だと考えられていたんですね。

例えば、現在ではクリスマスと同意義になっていますが古代北欧ではユール(yule)と呼ばれる冬至のお祭りがありました。ユールの原型は古代ゲルマン民族が行っていた冬至祭であるとも言われ、農耕神や豊穣神に感謝を捧げる収穫祭(豊穣祭)の意味合いも持ち合わせていたそう。冬を超える前に屠殺した牛などの肉を食べ、夏~秋にかけて仕込んでいたお酒を飲むという風習はヨーロッパ中にあったようです。日本でも冬至は特別な日として捉えられていましたし、ペルシア圏でもやるダート呼ばれる冬至の風習がありますね。

冬至についてはこちら>>

1世紀ころ西方世界で最も影響力があった国と言えるローマ帝国でも12月25日(冬至)の日を挟んで一週間くらいの期間をかけ盛大なお祭りが行われていました。古代にはローマ神話で農業神とされるサートゥルヌスのお祭りである“saturnalia(サートゥルナーリア祭/謝肉祭)”が行われ、ミトラ教が導入された後も太陽神ミトラスを祝うお祭り“Dies Natalis Solis Invicti(不滅の太陽が生まれる日)”としてお祭りが開催されていました。この祭は盛大に飲み食いし、歌って踊って騒ぐ、時に社会的役割を入れ替えた主従逆転が行われるなど「馬鹿騒ぎ」と呼ぶのがピッタリな盛大なお祭りだったことが分かっています。

しかし、4世紀初頭にローマ帝国の皇帝となったコンスタンティヌス帝は“ローマ帝国の皇帝として初めてキリスト教を信仰した”と紹介される人。クリスチャンの彼にとってサートゥルナーリア祭は異教の祭りであり、風紀上もよろしくないと目障りなイベントだったという説を唱える方もいらっしゃいます。そのため336年にコンスタンティヌス帝がサートゥルナーリア祭が行われていた12月25日をクリスマス=キリスト教における公式な祝祭日として制定した、翌337年にはローマ教皇に就任したユリウス1世もこれを認めたことで4世紀の間に12月25日=キリスト教のクリスマスと上書きされたのではないかという説もあります。

このサートゥルナーリア祭の上書き説の重要な根拠となっているものとして、イエス・キリストの死後数百年間い.に渡ってイエスの生誕祭ないし降誕祭が行われていなかったという背景があります。初期キリスト教徒にとって誕生のお祝いと自体が異教的なものと捉えられていたという指摘もあるほど。それが数百年経ってサートゥルナーリア祭と重なる日を「クリスマス」と公認したわけですから、何らかの意図があったと考えるのも不自然ではないでしょう。クリスマスに限らず、バレンタインデーハロウィンなどについても“土着宗教のキリスト教化”のために日にちを重ねたという説が多く存在していますしね。

イエス・キリストの誕生日は?

クリスマスアドベントイメージ大半の教会は12月25日のクリスマスは「イエスの降誕を記念した祝祭日」であり、お誕生日ではないと位置づけています。となると、千年以上も世界中の研究者達を悩ませているのがイエス・キリストの誕生日はいつかという問題。聖書にイエスの生年月日は明記されていないことから、後世の人々の推測・便宜的なものであると捉えたほうが自然。イエス・キリストの誕生日はわからないというのが結論であり最も正確な言葉ではありますが、いくつか有力視されている説を簡単に紹介します。

①12月25日説

否定的な見解を示す研究者も多い12月25日。この説は世界の創造の日・イエスが磔刑にかけられた日として“春分”を重要視し、春分の3月25日にイエスの受胎が行われたと主張します。そこから妊娠期間として9ヶ月をプラスした12月25日が誕生日であると計算したのだとか。ただし妊娠期間についてや磔刑の日程についての曖昧さもあり、初期キリスト教の研究者であるRoger T. Beckwithは遡及的正当化である可能性が非常に高いと指摘しています。亡くなった日と同じ日に受胎したって言われても信憑性は微妙ですしね。

②3月~4月説

イエス・キリストの誕生日については書かれていないものの、新約聖書にはイエス誕生時の描写がいくつか登場します。ルカによる福音書(2章)には羊飼いが天使によって今日救世主が生まれたと告げられる場面があります。この時に“その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた”と書かれていることから、羊の放牧をするシーズン=春の3月~4月頃に生まれたのではないかという説もあります。

③6月17日説

2008年に天文学者のDave Reneke(デイブ・レネケ)氏はイエスの誕生を告げた「ベツレヘムの星」の正体を知ることでイエスの誕生日が分かるかもしれないという説を主張しています。「ベツレヘムの星」というのは空に輝くことで東方の三博士にイエス・キリストの誕生を知らせ、彼らをエルサレムまで導くきっかけとなった星のこと。これは宗教的な星であると考えられていましたが、レネケ氏は明るい光を形成した金星と木星が「ベツレヘムの星」の正体であると仮設を立て、コンピューターモデルによって金星と木星の交差が紀元前2年の6月17日に発生したことを発表しています。

②9月~10月説

レネケ氏は「ベツレヘムの星」を金星と木星と仮定しましたが、土星と木星によるものだと考える研究者の方もいらっしゃいます。彼らは「ベツレヘムの星」が発生したのは10月7日ではないかと推測しているそう。また、新約聖書『ヨハネの黙示録』12章のキリスト誕生のくだりで“一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には12の星の冠をかぶっていた”という記述にあった天体を特定すると9月11日が該当するという説もあります。そのほか9月19日だという人などもおり、イエス・キリストは秋産まれだという主張も根強いようです。

参考サイト:History of Christmas – HISTORYWhen Was Jesus Really Born?The Origin of “Xmas”

国・主宗派にもよりますがイスラム教徒が大半を占める国でもクリスマスをお祝いすることが多いそう。クリスチャンが多い英語圏の国でも政教分離・他宗教の方への配慮としてキリストを連想させる“Christmas”という言葉を使わずに“Happy Holidays”と行ったり、クリスマスツリーをホリデーツリーと言い換えている場合もあるようです。だけど、それはそれでキリスト教の右の方を中心に批判と反発がすごいんだって。日本人として生まれ日本に住んでいると意識しませんが、宗教問題はとにかくデリケートで地雷がバンバン埋まっているもの。

英語版wikipediaでは「キリスト教徒が少ないにも関わらずクリスマスが人気の国」の代表として日本を挙げており、装飾やプレゼントなど世俗的な面を多く取り入れていると紹介されています。かつてのローマ教皇ベネディクト16世はクリスマスについて“商業主義に汚染されているのは残念”というようなコメントを残していますが、日本は商業主義の一環でクリスマスが導入されたようなもの。宗教観がないからこそ楽しいイベントとして広まったと個人的には思いますが、不快に思う方もいる可能性があるということは覚えておきたいなと。