初午の由来や歴史・いなり寿司の関係とは?
…稲荷神社や行事食についても紹介

初午の由来や歴史・いなり寿司の関係とは?<br />…稲荷神社や行事食についても紹介

初午(はつうま)は稲荷神社でお祭りが行なわれている関係もあり、前回の針供養よりは知られている行事と言えるかもしれません。しかし馴染みがあるかと言われると微妙なところで、季節行事としてよりコンビニでも売られている「初午いなり」の方が認知度が高いかもしれません。

いなり寿司を食べて豊作・商売繁盛・開運・家内安全などを祈願する日という印象の強い「初午」について、なぜ初午の日が稲荷神社の行事日になったのか、いなり寿司が行事食されている理由などを調べてみました。稲荷神社と狐の関係や「気軽に行ってはいけない」と言われる理由、いなり寿司以外の初午の行事食についても合わせて紹介します。

初午(はつうま)はいつ、何の日?

初午とは

初午は2月に入って最初の「午(うま)の日」、もしくはその日に行われる行事です。
行事の内容については地域によって多少違いがありますが、稲荷神社を中心とするお祭りであり、豊作・商売繁盛・家内安全・開運などありとあらゆることが祈願されてます。何らの決まった祈願をするというよりは、欲しい“福”を授けてくれるように絵馬を書いてくるという方も多いのではないでしょうか。

とは言え、近年は各地の稲荷神社で行われる初午祭だけではなく、コンビニやスーパー・お寿司屋さんなどの外食産業によるイベントも行われています。節分の“恵方巻き”に続いて、いなり寿司を食べようというキャンペーンが中心ですね。地域や世代の方によってはこちらのほうが馴染みがあり、初午の日ではなく「初午いなりの日」=いなり寿司を食べる日であるというイメージが強い方もいらっしゃるかも知れませんね。現在では稲荷神社のお祭り・おいなりさんを食べてお願い事をする日という認識が一般的とも言えます。

初午はいつ?

現在の日本は新暦とも呼ばれる太陽暦(グレゴリオ暦)を利用していますが、明治に入るまで日本では旧暦(太陰太陽暦)を使用していました。お正月節分お盆など古くから行われている年中行事も元は旧暦で行われており、現在のカレンダーで見るものとは一ヶ月程度日にちのズレが生じています。

このため「初午(初午祭)」の開催日についても、新暦に合わせているか・旧暦のままの日にちで行っているかによって差異が生じます。全国的には現在の暦の通りに2月最初の午の日=2月初頭~中旬を初午としている地域が多いですが、地域や神社によっては旧暦の日にちで行うところもあります。この場合は3月最初の午の日ですね。

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ちなみに午の日というのは十二支になぞらえた日にちの数え方によるもの。うなぎを食べる日として定着した「土用の丑の日」なども同じ考え方で導き出されています。干支を当てはめて数えた場合、十二個でカウントが一周して元に戻ります。このため2月中には2度めの午の日がありますし、年度によっては午の日が2月に3回入っているということもあります。

2回目の午の日は「二の午(にのうま)」、3回目は「三の午(さんのうま)」と呼ばれており、地域・神社により同月中の全ての午の日に何らかの祭礼を行うというところも、初午ではなく二の午もしくは三の午だけ行うところと違いがあるようです。近所の稲荷神社のお祭りに行く場合は、何日に何が行われるのか調べてから行きましょう。

初午の由来や歴史、稲荷神社との関係は?

初午の起原・由来

初午は旧暦で見れば春のはじめ頃、田植えを行いはじめる頃となります。昔の人々は田植えを行う前にその土地や穀物を司る神様に「今年の稲もしっかりと実りますように」とお願いをした、もしくは豊作を模擬実演したり前祝いすることで実際にそうなるように祈った行事が起原であると考えられています。おそらくこの時点では神社や寺社などはまだ力を持っておらず、その地で暮らす人々が独自に行う・ご当地のシャーマンの様な方が先導する自然信仰の一つだったのでしょう。お正月などの起原と同じですね。また決まった日にちに行われていたのか、気候・気温などの変化によって行われていたのかもはっきりしません。

こうした前段階があるにしろ、五穀豊穣などを祈る行事が「初午の日」に行われるものとして定着したのは、伏見稲荷神社によると和銅4年、西暦で言うと711年以降とされています。711年の初午に祭神である「宇賀御霊神(うかのみたま/倉稲魂命とも)」が稲荷山(伊奈利山)へ降臨した日であるという故事があることから、稲荷神お祀りする祭事を行う日が初午の日になったと言われています。

稲荷神社イメージ

稲荷神社・稲荷信仰とは

初午祭の起原としても祭神が稲荷山に降りた日という話が出てくるように、初午の日に行われるお祭りの中心となっているのが稲荷神社です。神社でお祭りが行われている以外に、地域によっては稲荷の祠に赤い「正一位 稲荷大明神」というのぼり(旗)を立ててお供え物をするというところもありますね。初午=稲荷神社系のお祭りというのが定説ですが、そもそも稲荷とは何であるかきちんとご存知でしょうか?

お稲荷様・稲荷神社の原型は稲を象徴する穀霊神・農耕神であると考えられています。元々は姿は見えないけれど稲の実りを司っている「稲成り」もしくは「稲生り」という神様を信仰していたものが、後に神道の体系化や仏教の導入などの関係から「稲を荷なう」神としてビジュアル化されたという説が主力。ト●ロのようにしゃがみ込んで稲を生やしている神様って、描きにくいそうですしね。

稲荷とは関係ありませんが、七福神の大黒様も原型は全く別物であるのに日本に来てからは米俵とセットにされているあたりからも“稲”に対する日本人の思い入れの強さが分かるのではないでしょうか。

ともあれ、自然信仰とも言える素朴な信仰が発端である稲荷神は、神道系では諸説ありますが「宇賀御霊神(うかのみたま/倉稲魂命とも)」や「大気都比売神(おおげつひめ)」など穀物と関わりの深い神であるとされ、真言仏教系では「荼枳尼天(だきにてん)」として信仰されることとなります。それぞれに起原や所以はありますが、そこは割愛するとして、どちらの見方をしても平安時代前後までは田の神・穀物神としての色が強かったと考えられていますよ。

また現在私達のイメージにあるお稲荷様というのは、上記の二つというよりも、民間信仰として誕生した“稲荷信仰”の影響が強いと言われています。ここでの民間信仰は起原とされる穀霊神・農耕神ではなく、宇賀御霊神もしくは荼枳尼天としての稲荷が広まる中で各地にあった様々な民間信仰と結びついて一つになったものを指します。八百万の神々がいると考えた日本では各地に自分の周りの土地・仕事と関わる神様がいると考えられていました。このため各地の信仰と結びついた稲荷は中世頃には農業神・工業神・商業神・屋敷神など様々な顔を持つようになり、福徳開運全般を司る神様となったと言われています。ある意味、万能の神様ですね。こちらが様々な現世利益を祈願する「おいなりさん」として各地に定着した民間信仰です。

稲荷神社の歴史・狐の関係とは?

「おいなりさん」と言うと、狐をイメージする方が多いのではないでしょうか。
しかし稲荷神社で祀られている祭神(稲荷神)は狐ではありませんし、真言密教の中で稲荷神と習合したと言われている荼枳尼天も豊穣を司る女神・女夜叉が前身とされています。神道の目線で見ても、仏教の目線で見ても、狐が神ではないのです。

ではお稲荷さん=狐というイメージはどこから来たのか。これについて稲荷神社の総本宮である伏見稲荷大社では、狐は稲荷神の神使であると説明しています。

なぜ狐が稲荷神の使いとなったかについては諸説ありますが、稲荷神の起原とされる「稲成り(稲生り)」という神様は山の神・田の神の持つ顔の一つであるという考えとの関連がよく紹介されます。大昔の日本では山の神が春になると里に降りて田の神として農作物を見守り、秋になって収穫が終わると山にお帰りになるという考え方がありました。民俗学者である柳田國男市の見解では狐というのも春になると人里に姿を現し、冬の気配がすると山へと帰っていく動物であることから、稲荷(山の神/田の神)の眷属である・お使いであるという認識になったのと言われています。同じ理由で元々は狼が眷属とされていたものの、後に狐に変化したのだという説もあります。

そのほかに稲荷神社の祭神である宇賀御霊神は「御饌津神(ミケツカミ)」と同一視されていたためという説も語られています。こちらは古語でケツという言葉は狐を指す言葉でもあったので、音が通じるとして御饌津神と狐を合わせて「三狐神(ミケツカミ)」という字を当てるようになったという話です。現代人からすれば単なる語呂合わせのようにも感じられますが、古くは言霊信仰とも言われるように言葉や音を非常に重視していましたから、神に通じる神秘性のようなものを感じたのかも知れませんね。もっと直接的に狐の毛色や尾の感じがたわわに実った稲穂に似ているとか、米などの穀類を食べるネズミを退治してくれるからだという説もあります。

また平安時代には空海によって稲荷神と荼枳尼天が習合されたことも、稲荷や狐を広く知らしめる一因と考えられています。こちらは豊川稲荷が有名ですね。荼吉尼の起原や変遷もまた複雑なものがあるのですが、空海によって日本に伝えられた真言密教の中では神や仏というよりも鬼・夜叉に近い存在であったものとして扱われています。この荼吉尼(天)が稲荷と一体化したのは、伝説では空海が稲荷神の化身である異相の老翁と盟約を結んだからであると伝えられていますし、歴史・民俗学的には稲荷を祀っていた秦氏が東寺建立に必要だった木材を提供したためであるとも言われています。

経緯はさておき、稲荷神は荼吉尼と習合されました。元々の荼吉尼はジャッカルに乗っていたそうですが、時代と共に白狐にまたがる女性(夜叉)が荼枳尼天として描かれるようになります。そして呼び名としても辰狐王菩薩や貴狐天皇など、狐を連想させるものが付けられています。宇賀御霊神など日本神道系統にせよ、仏教(真言密教)系統にせよ、稲荷神と狐は繋がったというわけですね。中世に入ると荼枳尼天は“人の魂を食う代わりに欲望を叶える”という外法成就のイメージが強くなり、これが稲荷・民間信仰と混ざり合い、かつ簡略化したことで“人を選ばずに病気平癒・商売繁盛・開運出世などの望みを叶えてくれる”という民間信仰の稲荷信仰へと変化していきました。

稲荷神社の狐イメージ

そして日本の神様や仏様は人間的な部分を持っている存在。天皇や王様のような地位の方はよほどの地位にある人・用事がある時以外は直接話しを聞いてはくれませんよね? このため神様(稲荷神)に願を掛ける場合も、直接お願いをするのではなく、神様の眷属である“狐”にお取次ぎ願うという考え方が生まれたのではないかと考えられています。そうした形式が時代と共に形骸化し、また稲荷狐に「命婦(みょうぶ)」という各が授けられたことで狐そのものが神格化したと考えられます。後に民間信仰とも混じり合っていき、お稲荷さん=お狐様というイメージとして定着したのではないでしょうか。神社などではきちんと稲荷神と狐を分けていますが、かつてあったお稲荷さんの祠などでは狐を祀っているところもあったそうですよ。

初午の歴史・変遷

春の訪れを感じる事に稲荷神に豊作を祈願する・初午の日に稲荷神(宇賀御霊神)を祭る祭事を行う、ということは古い時代から行われていたという説もありますが、初午祭が一般的に広く普及するようになったのは江戸時代以降と言われています。また、その起原としては江戸時代よりも少し前、戦国~安土桃山時代頃の話に遡るという見解もあります。

これは荼枳尼天に“人の魂を食う代わりに欲望を叶える”と信じられた時期があり、相手に災いをもたらすことを望む呪詛に利用されてきたという関係もあると考えられています。こうした黒魔術のような荼枳尼天の呪法は外法として忌み嫌われましたが、そんな事に構っていられないのが戦国時代の武士達。彼らは自らの地位を守るために立ち回っていた公家とは異なり、負ければ死ぬという生活をしていました。戦いに敗れて死ぬのなら、外法であろうと魂を喰われようと使えるものは使ってやると思っても不思議はありません。織田信長や徳川家康なども武門の頂点・天下統一を願って荼吉尼天を信仰していたとする説があります。伝奇小説などで描かれることが多いですね。

そして江戸時代に入ると、稲荷信仰・初午の日に稲荷神社(祠)にお供え物をして祭るという風習が爆発的に広まります。これは稲荷(荼吉尼天)に願をかけた徳川家康がその恩に報いるために江戸周辺に稲荷神社を寄進したためであるとも、伏見稲荷社によって行われた「正一位稲荷大明神」のキャンペーンであるとも、「稲荷念持」や「おだいさん」と呼ばれる下級宗教者が各地を巡って布教したためであるとも、様々に言われています。最後の民間布教者の説は針供養で登場した“淡島願人”と同じような印象を受けますね。

ちなみに「正一位稲荷大明神」というのは、神様の階位で最高位のこと。鎌倉時代に後鳥羽天皇が伏見稲荷大社を訪れた際に分霊先でも正一位を名乗って良いと言ってしまったため、総本社である伏見稲荷大社の分霊を与えられればどんな小さな神社であっても「正一位稲荷大明神」を標榜できるというわけです。現在でもパワースポットやご利益が高いと言われる神社に人が殺到するように、この正一位をもった神様の分霊を頂戴すれば神社の格が上がる=ご利益が期待できるとして人が集まるぞ、という一種のビジネスですね。

また戦乱の世が終わった江戸時代には商人が力を持ち、自分の敷地内に神社を持つことも珍しくなかった時代。稲荷もまた豊作を司る穀物神としてだけではなく商売繁盛・開運出世など“金”に関わる面を持つと考えられていましたし、幕府公認という面もありましたから江戸では「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」と言われるほどに稲荷神社・稲荷の祠がドンドン建立されていったのです。そして稲荷を信仰する人たちが集まって「稲荷講」と呼ばれる集まりも流行し、厳密には伏見稲荷大社系列ではない祠などでも民間信仰として祀り事・願掛けが行われていたようです。

お稲荷様は危険な神様?

人によっては「お稲荷様は祀り続けないと祟りがある」「お礼を忘れると祟られる」「軽い気持ちでお参りしてはいけない」などと言われた経験のある方もいらっしゃるかも知れません。こうした言い伝えが出来た理由としては様々な要因があるのですが、結論から言えばそんなに稲荷様は恐ろしい神様ではありません。盛期には“犬の糞”に例えられるほど無数に存在しており、現在でも主祭神としている神社だけで約3,000・分祀社を含めると稲荷神を祀る神社仏閣は三万社以上あると言われています。祟り神のような部分があるなら、そんなに大量に稲荷神社は無いでしょうし、不幸にあった人も数え切れないほど存在するはずです。

とは言え、稲荷神社が悪いイメージを持たれるようになった要因の一つにはその数の多さも関係しています。江戸時代にはありとあらゆる場所に稲荷社がありましたから、火事が起きたり不幸に見舞われたりしたお家の近くにも高確率でお稲荷様が近くにあるというわけです。実際は何の関係もなくとも、見方によっては「近くの稲荷神社を蔑ろにしたから、あんな目にあったのだ…」という事になってしまった事も少なくないでしょう。人間よりも鬼畜は劣るという考え方もありましたから、狐なんかを神として崇めるからだ人も居たかも知れません。

また稲荷と習合された荼吉尼の起原とされるインドのダーキニーは“裸身で飛び回り人の血肉を食す”ものとされており、日本でも命をかけて祀ることで他者を呪う(災いを与える)・その修法を止めれば没落する(厄災が訪れる)など邪悪なイメージを持たれていたことのある存在。ただし祟るという伝承に関しては狐ではなく、犬神信仰との混同があったとする味方もあります。

江戸時代になると荼吉尼(稲荷)は福徳神として信仰されるようになりましたが、貴賤を気にせず願いを聞くとされたため穢多・非人と呼ばれるような被差別階級の信者が多かった=穢れた神と見る富裕層もいたという見解もあります。ビジネス面として見ても、江戸時代に稲荷神社を広めるきっかけであった「正一位稲荷大明神」キャンペーンは他の宗派にとって相当に面白くないものであったという見方もできます。こうした揚げ足取りのようなこじつけは、稲荷と関わりのない神社仏閣によって行われたネガティブ・キャンペーンであったという可能性もありますね。

初午の食べ物(供物)・その意味とは?

稲荷神社のお祭りである初午。その日に食べるものの代表と言える「いなり寿司」のほか、地域によっては伝統的な行事食として親しまれているものをご紹介します。また行事食に含めてしまうと少々語弊があるかも知れませんが、稲荷神社や祠には神酒・赤飯・餅などを供えますよ。

いなり寿司イメージ

いなり寿司

初午の日(初午祭)の起原は伏見稲荷大社です。こちらの祭神である稲荷神の神使いである狐の好物とされているのが、ご存知の油揚げ。肉食獣である狐が油揚げを本当に好むのかはさておき、稲荷神の使いである狐は油揚げがお好きなようです。狐は稲荷神への願いを取り付いでくれる存在と考えられていたため、そのお狐様のご機嫌をとろうと好物の油揚げを供物として捧げていました。油揚げが入ったうどんは「きつねうどん」ですね。

江戸時代になると俗信と入り混じったことで稲荷神と狐を同一視する向きもあり、油揚げに寿司飯などを詰めたものを「いなり寿司」もしくは稲荷神社と同じく「おいなりさん」と呼ぶようになったと言われています。地域によってはきつね寿司・こんこん寿司などの呼び方をするところもありますね。ちなみにいなり寿司の形は米俵に似せており、五穀豊穣を願う願掛けでもあると言われています。西日本で主流の三角形は狐の耳に見立てているそうですよ。

いなり寿司は初午の日の行事食としては唯一全国的なものと言えますし、町おこしや各種キャンペーンなどとの関係で稲荷神社で行われる初午祭でも配布されていたり購入できることが多いでしょう。昔ながらの作法としては稲荷神社に油揚げを奉納して、参拝後には家族といなり寿司を食べるという流れだったとも言われています。そこまで厳密に行わなくとも、神社にお参りして願をかけたりお祭り気分を楽しんだ後に、狐に思いを馳せながら「おいなりさん」を食べてみると楽しいかも知れません。

初午の日と「初午いなりの日」は違う

近年は初午の日と関連付けてコンビニなどではいなり寿司が売られるようになり、またキャンペーンとして「初午いなりの日」という旗が立てられていたりする光景も見かけます。しかし、初午の日もしくは初午祭の日にちと「初午いなりの日」の日にちは別です。というのも一般社団法人全日本いなり寿司協会によって2018年から「初午いなりの日」が2月11日に制定されているため、初めての午の日と「初午いなりの日」にはズレが生じます。と言っても現在では十二支を日にちに当てはめる風習自体が廃れかかっていますから、初午の日=2月11日という感覚が主流になる可能性もあるかもしれませんね。

しもつかれ

北関東(栃木県など)を中心に初午の行事食として「しもつかれ」というものも親しまれています。家庭によって若干の差はありますが、基本的には新巻鮭の頭・おろした大根や人参・油揚げ・大豆・酒粕を混ぜ込んで煮たもの。外見としては離乳食とでも言いますか、ペーストに近い感じです。

北関東ではこのしもつかれを“稲荷様に供えるとキツネが畑を荒らさない”や“七軒の家のものを食べると病気にならない”というような言い伝えも多くのことされています。元々は飢饉の時に飢えを凌ぐための料理であったとも、正月や節分の食材の活用術であるとも言われていますが、現代の方からすれば初午の日に欠かせない行事食であると同時に、懐かしさを感じる郷土料理でもあるそうです。

初午だんご

こちらは富山県や岐阜県など北陸地方を中心に食べられている初午の行事食で、初午団子という呼び名の通り米粉・もち粉を丸めて作られたもの。養蚕が盛んだった地域では、初午の日は併せて蚕の神様を祭る行事も行われていました。このため美しい繭の形を模した白いお団子を食べることで、上等な繭が沢山できますようにと願をかけていたと考えられています。初午団子は蚕の繭に似せて真ん中にクビレのある瓢箪のような形をしたものが主流で、繭にシミが出来てしまわないようお醤油を付けないで食べると言われています。が近年は丸餅のような形をしたものも多く販売されていますし、色も茶・ピンク・緑などカラフルなものが人気でもあるようです。

旗飴(ハタアメ)

しもつかれ・初午団子よりも更にマイナーであると言われている初午の行事食が「旗飴」です。もともと地域色のあるものであり、かつては子供達に配っていたけれど現在は廃れてしまったという地域も増えているそうで…かなりレアな存在と言えるかもしれません。こちらは旗の形をした飴というわけではなく、旗のような色紙が付いた棒の先に小さな飴が付いているというもの。筆者も馴染みがないのですが、お子様ランチの旗を立てに引き伸ばして、頂点に丸い飴を載せた(刺した)ような感じらしいです。

参考サイト:しもつかれ|暮らし歳時記人文研究見聞録: 稲荷信仰とは

万能説がある一方で、怖い話も囁かれている「おいなりさん」についてまとめてみました。とりあえずどこの神社でも願掛けが成就した暁には一度「お礼参り」をするのは礼儀と言われています。稲荷神社も勿論お礼には言ったほうが良いでしょうが、ずっと祀り続ける必要はありません。稲荷神社の方に聞いても「否」と答えられるはずです。なので目標に向かって頑張っていて、成就をお願いしたいのならば行っても全く問題はありません。お祭りが行われている初午のタイミングで行って、美味しくいなり寿司を食べましょう♪

稲荷信仰は適当な民間信仰であるとか、神社や寺院の金銭的な思惑によって捻じ曲げられたから無意味だという説もありますが、それがダメなら日本の宗教はほぼ全滅するんじゃないかと思います(苦笑)。熱心な方は否定されるでしょうが、神道にしろ仏教にしろ民間信仰・神道・仏教・道教などなどが入り混じって現在の形になっていることは間違いないでしょうから。大事なのは神頼みではなく努力する姿勢と、神様に対する敬意や感謝だと私は思います。悪いことが起きた時には何かのせいにしたいものですが、そんなことをしても現状は変わりませんよ。