クリスマスの定番達には意味がある?!
-古代~現代までのクリスマスの歴史とは

クリスマスの定番達には意味がある?!<br/ >-古代~現代までのクリスマスの歴史とは

キリスト教の宗教行事としてではなく、年中行事・季節行事という世俗的な部分でのクリスマス。親しい人と綺麗なイルミネーションを眺めたり美味しいものを食べる日として楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。クリスマスツリーやクリスマスキャロル・サンタクロースなど現代日本でクリスマスの定番となっているもの(人)の意味、イエス・キリストが生まれてから現代のクリスマス文化が出来るまでの歴史を追ってみました。

現代のクリスマスの定番と言えば?

宗教とは離れたクリスマス

12月25日のクリスマスは英語でChristmas=イエス・キリスト(Christ)の降誕を祝うミサ(mass)の事を指す言葉です。元々のクリスマスは宗教行事ではあるものの、今やクリスチャン人口が少ない日本を含むアジアなどでも楽しまれている年中行事の一つ。『Pew Research Center Survey』の調査ではクリスマスを祝うアメリカ人の約3分の1は、クリスマスは宗教的祝日というよりも文化的な意味合いが強いと考えているという統計も出されています。特に若い人になるほどクリスマスと宗教を分離して考えている傾向が強いのだとか。

先祖代々クリスチャンであるという方が多いヨーロッパではまた違った結果になるでしょうし、熱心なクリスチャンの方にとっては不快なことなのかも知れませんが……少なくとも日本においてクリスマスは宗教に関係なく楽しまれているイベントと言って過言ではないと思います。お寺の境内にクリスマスツリーを設置しているところもありますし、信仰心がないのに祝うなと言うクリスチャンの方も少数のはず。信者の方以外でも楽しめる“世俗的なクリスマス”と称されるクリスマス文化も多く存在しているのが現状です。

ツリー・装飾

季節行事の一つとして11月頃から街中はクリスマスモードに飾り付けされます。クリスマスの飾りは多種多様ですが、代表的な存在と言えるのがクリスマスツリー。ご家庭から公共施設までLED電球やオーナメント・キラキラモールなどで装飾されたツリーが設置され、クリスマスが近付いていることを教えてくれますよね。そんなクリスマスツリーは単なる冬っぽさ・クリスマスっぽさを意味する飾りというわけではなく、一応エデンの園に生えていた“知恵の樹”を象徴している・冬でも枯れないことから永遠の命を表しているという説もあります。

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ちなみに、クリスマスの装飾と言えば赤・白・緑・金の4色がよく使われています。この色にも象徴的な意味があり、赤はイエスの十字架で流された血、白は清廉さ、緑は葉を失わない常緑樹=永遠の命、金は東方三博士から幼子イエスに捧げられた贈り物を意味していると伝えられています。最近は白×ブルーの洗練されたクリスマスツリーや装飾品も多く出ていますが、伝統的なクリスマスカラーにはきちんとイエス・キリスト降誕祭に繋がる意味が込められているんですね。

クリスマスリース

クリスマスツリー以外に、クリスマスリースというものもあります。インテリア的要素が強いクリスマスリースも多いですが、伝統的・宗教的な意味合いの強いクリスマスリースはヒイラギの葉と赤い実を使ったものがポピュラーだそう。ヒイラギの葉はイエス・キリストが磔刑に処された時に被せられた“いばらの冠”を意味している、もしくは棘によって異教徒や魔女から保護してくれると考えられています。また色として緑の葉は命・赤い果実はイエスの血にも通じること、リースの輪も終わりのない円形で永遠の命・神の永遠の愛に通じるとして大切にされているそうです。なんだか日本のしめ縄(縄飾り)とも通じるところのある話ですね。

サンタクロースとプレゼント

キリスト教に馴染みのない日本人の場合、クリスマスを象徴する人物としてはイエス・キリストよりもサンタクロースの方が親しみがあるかもしれません。この赤と白の通称“サンタ服”に身を包んだ白ひげのおじいさんは、ハロウィンのジャック・オ・ランタンやイースターバニーなどを超えるほど知名度の高いキャラクター。一部では商業主義の権化として快く思わない方もいらっしゃるそうですが、世界中の良い子供達に夢を届けてくれるサンタクロースもクリスマスの定番となっています。

このサンタクロースのモデルは4世紀頃に活躍した聖ニコラウス(聖ニコライ/Saint Nicholas)ではないかというのが通説。彼には貧しい子どもたちを救おうと開いている窓から家の中に金貨を投げ込んだ・それが靴下に入ったという逸話があること、幼子イエスの誕生を祝って東方三博士が贈り物をしたという伝説から子どもにプレゼントを贈るという風習が広まったと考えられています。イギリスでは服が緑色・オーストラリアではサーフィンをしながらやってくるなどビジュアル的な部分に違いはありますが。

サンタクロースの由来と歴史はこちら>>

また、クリスマスは家族や親しい間柄の人とプレゼントを交換する日でもあります。商業主義・小売業者の陰謀と言ってしまえばそれまでですが、キリスト教圏でもクリスマスプレゼントの交換はポピュラーで愛や慈しみの心を持つ日であると好意的に捉えている方が多いそう。オランダでは聖ニコラスの日の前日となる12月6日と25日の2回プレゼントが貰えることもあるようですし、国によって12月24日夜、12月25日の朝、12月31日、1月5日、1月6日とプレゼントを交換するタイミングはそれぞれ。日本では年末年始は自国の伝統風習が優先されますが、キリスト教圏では十二夜(公現祭)のある1月6日までの12日間をイエス・キリストの誕生を祝う期間=降誕節としてる関係のようです。

クリスマスキャロルとクリスマスソング

クリスマスの定番といえば、音楽もまた一つ。クリスマスキャロルと言われると私はハレルヤのような賛美歌を想像してしまいますが、クリスチャン以外の方にも馴染み深い“聖しこの夜(Stille Nacht, heilige Nacht)”や“もろびとこぞりて(Joy to the World)”などもクリスマスキャロルにカテゴライズされています。もう一つ似たものにクリスマスソングと呼ばれるものがありますが、実はクリスマスキャロルとの厳密な区分は付けられていないそう。強いて言えば

  • クリスマスキャロル=イエスのことを歌っている
  • クリスマスソング=クリスマスを題材としている

というくらいの違い。クリスマスキャロルのほうが宗教的な意味合いが強く、時に教会でも使われる音楽という感じでしょうか。

クリスマスソングはイエス様の登場しない“赤鼻のトナカイ”や“ジングルベル”、数多くの歌手がカバーしている“I Saw Mommy Kissing Santa Claus(ママがサンタにキスをした)”などが挙げられます。宗教的雰囲気が強い“Ave Maria(アヴェ・マリア)”もイエスは登場しないことからクリスマスソングという見方が主流。もちろん毎年のように有線などで流れる山下達郎さんの“クリスマス・イブ”や松任谷由実さんの“恋人がサンタクロース”などもクリスマスソングですね。

特別な食事

恋人や家族・友人などと囲むご馳走もクリスマスの定番。日本だとクリスマスケーキ&チキンの組み合わせがポピュラーとなっていますし、欧米を筆頭にクリスチャンの多い国ではそれぞれ伝統的な行事食があります。ヨーロッパと北米ではローストターキー(七面鳥)がよく食べられているほか、アメリカではローストビーフやクリスマスプディング、フィンランドはクリスマスハム、ポルトガルではお魚のタラを使った料理が伝統的なクリスマスメニューとして親しまれているそう。北欧や東欧にもそれぞれ日本だと目にする機会の少ないクリスマスメニューがあります。食べるものは違えど、当別な日に特別な食べ物を用意しようという思いは万国共通なのかもしれません。

クリスマス・ディナーについてはこちら>>

現代のクリスマスが出来るまで(歴史)

クリスマスがやってくる(イメージ)

古代宗教からキリスト教の祝日へ

クリスマスで祝われているイエス・キリストの誕生は今から約2,000年前、諸説ありますが紀元前6世紀頃の話と考えられています。『新約聖書』ではイエスが誕生した際にベツレヘムの星が輝いた・東方から博士たちが拝みにやって来たなどのエピソードが記されていますが、イエスが布教活動を開始したのは30歳前後と推測されています。当時の風習から考えて多くの信者に囲まれていたとしてもお誕生日祝いをした可能性は低いですし、イエス・キリストの誕生日についても聖書に記述はなく分かっていません。

詳しくはクリスマスの意味・由来にて>>

キリスト教が急成長を遂げたのはイエスの死後(復活後)のことですが、初期キリスト教徒たちは12月25日にイエス・キリストの降誕祭を行っていませんでした。当時はキリスト教時代が少数派の新興宗教で迫害されていたという背景もあるでしょうが、そもそもキリスト教の中に「誕生日を祝う」という習慣がなかったことを指摘している方もいらっしゃいます。そんな誕生日も定かではないイエスの降誕祭が12月25日に行われるようになった直接的な理由は古代のキリスト教作家アフリカヌスが特定したから、と言われていますが、他の宗教の兼ね合いで12月25日に捩じ込んだのではないかという見解もありますよ。

というのも、キリスト教以前のヨーロッパでは各地で冬至に古代太陽信仰によるお祭り・儀式を行う風習があったため。当時の西方世界で最も力を持っていたローマ帝国でも古くはユピテル(ジュピター)を古くはとしたローマ神話の神々、2世紀後半からはミトラス教を推奨しており、12月25日前後には古代ローマの神様にちなんだイベントがありました。古くは“saturnalia(サートゥルナーリア祭/謝肉祭)”というローマ神話の農業神サートゥルヌス神を祝したお祭りが、ミトラス教優勢となると太陽神ミトラを祝う“Dies Natalis Solis Invicti(不滅の太陽が生まれる日)”としてお祝いされていたようです。

そんな中でキリスト教は信者を拡大し勢力を増していきますした。4世紀初頭には政治上の問題もあり、皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を公認。一神教であるキリスト教は異教の神や文化を認めないという性質があります。そのため336年にコンスタンティヌス帝が12月25日をクリスマス=キリスト教における公式な祝祭日として制定し、伝統的に行われてきた冬至祭のキリスト教化を行いました。ただし4世紀頃には12月25日=クリスマスという形はできていたものの9世紀まではあまり広まらず、9世紀になってクリスマスをお祝いする地域が増えても聖金曜日&復活祭の方が重要視されていたようです。

中世初期のクリスマスとアドベント

4世紀頃から冬至祭りと統合・置き換えられ、キリスト教が力を持ち信者を獲得するとともに西ヨーロッパへと広まっていったクリスマス。9世紀頃には各地でクリスマスのミサなども行われていたようですが、中世のクリスマスにはお馴染みのクリスマスツリーやサンタクロースの姿はまだありません。中世のクリスマスは懺悔や礼拝など、キリストの救済と再臨に思いを馳せることに重きが置かれていました。4世紀頃から既にクリスマス・キャロルに近いものも歌われていたそうですし、同時期にはクリスマスと関連したアドベントも行われていたと考えられています。宗教的な部分については早い段階で原型が出来ていたと言えるかもしれません。

ちなみに、Advent(アドベント)はカトリックなどの西方教会系でイエス・キリストの降誕を待ち望む期間として設定されているもの。断食や礼拝参加・悔い改めを行う、クリスマスを迎えるための準備期間のようなものです。宗派によっては待降節や待誕節とも呼ばれます。宗派にもよりますが西方教会系ではクリスマスの4回前の日曜日からアドベント期間が開始。曜日が絡むので毎年アドベント期間は若干変わり、早いときには11月のうちにアドベントに入ることもあります。

現在はアドベントでがっつり断食しろという宗派は少ないですが、5世紀頃から行われていた古いアドベントでは11月11日からクリスマスまで週3回の断食を行っていたとも伝えられています。地域によってアドベントの過ごし方は異なっていたようですが、断食が法制化されたり、アドベント期間の結婚が禁じられたりと厳しい場所も多かったようです。アドベント=悔い改めの期間なので、お祭りや踊りなどを禁じることもありました。

そのほか北ヨーロッパでは土着宗教の風習と組み合わさり、常緑樹の束を輪状し、ろうそくを灯したものが飾られることもありました。これが東ヨーロッパへと伝わり、時代とともにアドベントの間の祭服や祭壇布と合わせて紫のキャンドルが3本・バラ色のキャンドルが1本=4本キャンドル、もしくは白く大きなキリストのキャンドル1本を加えたアドベントリースへと変化していきました。

アドベントカレンダー

アドベントカレンダーは24日までの小窓が付いており、クリスマスに関わる画像が出てきたり、小さいお菓子が入っていたりするカレンダー。可愛いらしい見た目から日本ではクリスチャン以外の方もインテリア、お子さんへのプレゼントとして購入されるのではないでしょうか。このアドベントカレンダーはアドベントキャンドルを簡易的にしたもので、19世紀頃から普及しました。

アドベントキャンドルからの進化の中間として、4ないし5本のキャンドルではなく、毎日キャンドルを灯すアドベントリースの存在があります。おそらく1700年代にはスカンジナビアのルーテル教会でクリスマスまでのカウントのために24本のキャンドルを付けたアドベントリースが使われ、ドイツでも1839年に20本の小さな赤いキャンドルと4本の大きな白いキャンドルが使われたという記録があるそう。毎日キャンドルを灯してクリスマスの到来を待つのは良いですが、危ないですしお金もかかりますよね…。

もっと手軽にアドベントのカウントをしようと1850年代頃から人々はアドベントカレンダーをDIYするようになり、1900年代初頭にはドイツで印刷されたアドベントカレンダーが登場します。第二次世界大戦を終えた1950年頃になるとチョコレートが入ったお菓子付きのアドベントカレンダーも考案され、時代とともに人気が高まっていきました。様々な趣向が凝らされ人気商品となっていく中で「クリスマスまでの日数を楽しくカウントダウンする」ことが目的となり、アドベントカレンダーの宗教色は薄れていったようです。

中世~近世にかけてのクリスマス

中世初期の間はキリスト教の宗教行事という部分の強かったクリスマスですが、中世盛期(10世紀以降)になると、上流階級の人々が自分達の富を見せつけるような豪勢な宴を催す場面が増えてきたと指摘されています。伝統的な冬至祭と習合したという関係からか、アドベントによる断食の反動か、ご時世的な問題かは定かではありませんが、10世紀以降のクリスマスには「盛大に飲み食いし騒ぐ」というお祭り要素も強かった模様。当記事を書くのに参考にさせていただいた『HISTORY(A+E Networks)』のサイトでも、当時のクリスマスについて“酔っ払ったカーニバル”であるという紹介がなされています。

当時の権力者・富裕層の方々もカトリックだったしょうから教会での礼拝もしていた、上流階級の人々が貧しい人々に施しをするなど、日本人的に言う“徳を積む”ような行為も行われていたようですが…とにかく金・権力アピールという部分が相当強くなっていたと指摘されています。クリスマスの風習が広域に渡って伝わったことで、教会が教会外での祝い方を全て指導するわけには行かなくなったという理由もあるようです。キリスト教化への反発を防ぐために、元々その土地にあった風習を若干残すことに目をつぶっていた部分もあるような気がしますが。

ともあれ、クリスマスのお祝いは年々エスカレートしてきました。豪華なディナーを用意した仮面舞踏会が開かれ、時にはギャンブルや乱交パーティーが行われていたというエピソードもあるほど。裕福な人は貧しい人たちにご馳走や娯楽を提供してあげる“施しの日”という良い部分もあったようですが、私達が想像するような厳格な宗教儀礼・ミサとはかなり離れたクリスマスの夜をお過ごしになっていた方々がいた可能性が高そうですね。

イギリスではクリスマスが禁止に

クリスマスの変化だけではなく、16世紀にはキリスト教(ローマ・カトリック)にとって重大な事柄も発生しています。マルティン・ルターらによって聖職者による独裁状態であったカトリック教会の改革を求める宗教改革運動がはじまり、プロテスタントとして独立する一派が登場したのです。さらに16世紀末頃からはイングランド国教会の改革を唱えるプロテスタントの一派“ピューリタン”が現れ、国教会の浄化・り純粋な礼拝と聖書主義を説きました。イギリスに登場したピューリタンは、他のプロテスタント以上に聖書の記述を重要視していた人々です。

ピューリタンは「聖書にキリストの誕生日の記述はない」「キリストの誕生日は記されていない」とクリスマスに対して否定的な見方をしました。ピューリタン革命の指導者であったオリバー・クロムウェルが共和制を実現し議会の中心となると、1647年にはクリスマスを懺悔の日と定め、1652年にはクリスマスを完全に禁止するという一幕もありました。キリスト降誕について語る・教会を飾り付けるなどすると法律違反として刑罰があったのだそう。余談ですが、クロムウェルはクリスマスに限らず国内の様々な娯楽を禁止しています。

そんな政治に国民の不満は高まり、1658年にクロムウェルが病死すると共和制は崩壊。王政復古によって1660年にはイングランド王チャールズ2世がクリスマスの復活を宣言します。実はこの禁止期間を経たことでクリスマスに対する意識改革が行われたという意見もあります。乱れた騒ぎの中の“施し”ではなくもっと真摯に貧しい人々達に対する慈善活動を行おう、大切な家族と一緒に過ごす日にしよう、など平和で安定した祝祭日の意味合いを強くすることで風紀の乱れを予防したという感じでしょうか。

ちなみに、ピューリタンは自分達の正義をどう通すのかという方法によって長老派・分離派・独立派と分かれていました。オリバー・クロムウェルは独立派ですね。分離派の中には祖国での弾圧を逃れるために1620年代頃にアメリカ大陸へと移住した人々も居ます。この分離派の人々は、政治的権力への欲望が見え隠れしていたクロムウェルの一派よりも更に厳格派でした。彼らも聖書に記述のないクリスマスについては否定的であったため、初期のアメリカ植民地でもクリスマスは祝われませんでした。1659年から1681年までマサチューセッツ湾植民地では、イングランドと同様にクリスマスを禁止する法が施行されていました。

アメリカにはピューリタン以外にも“キリスト降誕を祝う聖書的な根拠がない”と考えるキリスト教派が存在ていました。このため、王政復古と同時にクリスマスが復活したイングランドよりもクリスマスの普及は遅かったことが分かっています。独立戦争があった関係から英国の風習と見なされたクリスマスに対しての風当たりも強かったのだとか。18世紀末~19世紀にかけてドイツ人とアイルランド人の移民が多くアメリカに渡るようになり、彼らのクリスマス文化が伝わったことで北米でもクリスマスが一般的に祝われるようになったと評されるほどなんです。

18~19世紀、馴染みあるクリスマス文化が定着

宗教を離れ大衆文化となっているクリスマスの定番といえば、クリスマスツリーやプレゼント。プレゼントを贈り合う風習は15世紀頃、クリスマスツリーの原型とも言えるものは17世紀頃から存在していたと考えられていますが、多くの人々にクリスマスの風習として取り入れられるようになったのは19世紀、ビクトリア朝頃との見解が主流となっています。この頃はピューリタンによるクリスマス反対を経てクリスマスシーズンに関連する伝統的な儀式と宗教的儀式の復古活動が起こった時期でもあるそうですし、クリスマス文化と馴染みのあるドイツ系の方々がイングランド王家に多かったということもあるのでしょう。

19世紀頃からヨーロッパ貴族・王族たちの間でドイツの一部地域で飾られていたクリスマスツリーを飾るのが流行し、イングランドのビクトリア女王がクリスマスツリーを飾ったことも報じられ大流行に。また、1821年にはニューヨークで『Old Santeclaus with Much Delight』という絵本が出版され、題材となったトナカイがひくソリに乗ったサンタクロースが子どもたちにプレゼントを持ってくるという話が知られるようになります。同じく19世紀には印刷されたクリスマスカードやクリスマスツリー用のオーナメントなども販売されていましたから、クリスマス商戦が始まったのも19世紀頃と言えそうです。経済成長の著しかったアメリカでもビジネスチャンスとしてクリスマスが使われ、普及していったという背景もあるのかもしれませんね。

日本でも明治からクリスマスはあった

日本は江戸時代には鎖国・キリスト教を禁教としていました。室町時代にクリスマスミサが行われた事がある・オランダと貿易をしていた長崎では「オランダ式のお正月(冬至祭)」という名目でクリスマスっぽい事を行っていたこともあるようですが、広くクリスマスという存在が知られるようになったのは明治以後と言えます。禁教でこそなくなったものの、開国して大半の人がクリスチャンになったという訳でもない…なのにクリスマスが年中行事として普及したきっかけは輸出入業者や百貨店などが商売上の理由からクリスマスを売り込んだから。宗教行事としてではなく、日本では初めからご馳走を食べてプレゼントを交換する日という感じで広まったと言えます。

昭和に入ると12月25日がる大正天皇祭として休日に認定されたことも追い風となり、日本にクリスマスを祝う風習が広く普及していきます。お休みの日だからお祝いをしやすい、イブの24日にごちそうを食べたり外食したりしやすいという感じでしょうか。第二次世界大戦という陰りはあったものの、クリスマス前は大きな商機となるような年中行事がないこともありクリスマス文化は日本に定着しました。平成の間も天皇誕生日が12月23日=振替だと24日がお休みになる事もあってクリスマスはお祝いしやすい日でしたしね。

参考サイト:Christmas | Origin, Definition, History, & FactsAdvent: Dates, Traditions, and Historyクリスマスについて知っておくべきこと

キリスト教圏ではずっと昔からお祝いされてきた印象のあるクリスマスですが、私達にも馴染みのあるクリスマスのシンボル(ツリーやサンタクロース)が定番となったのは19世紀とごく最近。日本に伝わったクリスマスの元ネタとも言えそうなアメリカやイギリスで「クリスマス禁止」期間があったことは意外と知られていないのでは無いでしょうか。映画などでも時折描かれていますが、17世紀頃のピューリタンの方々って真面目すぎて怖いですね(^^;)

今回はクリスマスのお祝いの歴史の要点だけに絞ってもかなりのボリュームになってしまいました。クリスマスはその起源・逸話やその解説諸説などをつぶさにかけば本一冊で足りないくらいの内容があるイベントです。2~3世紀頃から論争の的になっていた行事でもありますから、複雑怪奇さ・見る人の視点によって変わる部分が多いのかなとも思います。クリスチャンの方は「部外者が要点だけまとめたもの」と考えてご容赦ください。