お盆の意味や歴史、日程とは
-仏教じゃない?! 日本のお盆文化について

お盆の意味や歴史、日程とは<br />-仏教じゃない?! 日本のお盆文化について

お盆は「盆と正月とが一緒に来たよう」なんて表現にも使われるように、日本人にとって馴染み深い季節行事の一つ。やる・やらないはさておき、お盆と聞いて全く何も思いつかないという方は少ないでしょう。多くの方がお墓参りなどを思い浮かべるのではないでしょうか。仏教行事というイメージの強いお盆ですが、実は日本独自の風習で、仏教以外の思想も取り入れられていますよ。日本におけるお盆の由来や歴史、お盆期間にご先祖様を迎えるためのスケジュールなど、知っているようで知らないお盆についての雑学をご紹介します。

お盆=盂蘭盆会

お盆とは

お盆は夏に行われる、祖霊を祀る行事を指す言葉。
宗教・宗派によっても考え方が違いますが先祖の霊があの世から帰ってきて、家族と共に過ごし、再びあの世に帰っていく期間という見方が主流。帰ってきてくれたご先祖様を迎え、感謝と供養をする期間とも言えますね。

お盆の起原には仏教の伝説に由来する“盂蘭盆会(うらぼんえ)”が挙げられますし、盆の語源ともされています。また多くの方がお寺やお墓にお参りしてご先祖様を供養することもあり、お盆=仏教行事と思われがちですが、実は日本古来の祖霊信仰に仏教の思想が混じったものです。日本で生まれ育った私達としてはピンと来ない話でもありますが、日本のお盆行事が“盂蘭盆会”と一線を画する存在である根拠には「ご先祖さまの霊が帰ってくる日」という認識が挙げられます。

仏教そのものも時代や伝わった地域によって変化していますが、お釈迦様=北インドのゴータマ・シッダールタが開いた初期仏教は“悟りを開く”ことが目的。なぜ悟りを開くのかと言えば、迷いの世界から解脱することで輪廻の中の苦しみから抜け出すため。仏教の世界観としては前世の行いで今の姿・立ち位置が決まっており、今の人生(行い)によって来世の転生先が決まるという考え方がベースと言えます。

死ねばその功績に応じて生まれ変わることが根底にありますから、初期仏教の思想としては「ご先祖様の霊がこの世に戻ってくる」という事は起こりません。生まれ変わってますもんね。先祖の霊が帰ってくるという考え方は日本古来の信仰に起因しているので、現在の日本のお盆は独自の進化を遂げた行事であると考えられています。ただしお盆の明確な起源は分かっていませんし、中国でも中元説と呼ばれる先祖・死者をお祀りする行事が行なわれています。

仏教でも、浄土真宗はちょっと違う

お盆は仏教のニュアンスが強い行事。そのためクリスチャンなどは置いておくとして、同じ仏教の中でも浄土真宗では“ご先祖様の霊を迎えて供養する”という意味でのお盆は行なわれていません。これは浄土真宗の教義が“故人は阿弥陀如来に救われてすぐに浄土へと生まれ変わる(仏になる)”とされているためであると言われています。浄土真宗の考え方としては、個人は既に浄土へと生まれ変わっている=帰ってくる霊魂は存在しないというわけですね。

余談ですが、お盆に限らず四十九日など日本の仏教で行なわれている法事などを浄土真宗が行なわないのも、こうした考え方が基盤にあるためとされています。なのでお盆の場合も浄土真宗では、一般的に行なわれている送り火や迎え火を焚く・精霊馬(牛)を飾るなどの風習は行なわれていません。

しかし盂蘭盆会という考え方は浄土真宗にもあり、何もしないというわけではなく「歓喜会(かんぎえ)」という法座も行なわれています。他の宗派で行なわれているお盆との違いは、先祖を追善供養することが主体ではなく、命を頂いたことを感謝する日という位置付けということ。自分が生まれてきたのはご先祖様あってのことですから、先祖に感謝する日であると表現されることもあります。

蓮の花イメージ

お盆はいつからいつまで?

現在のお盆期間は地域によって異なります。
全国的に多いのは8月13日~15日もしくは16日まで、次いで7月13日~15(16日)までの地域。

かつて、お盆は全国違わずに旧暦7月15日、道教の考え方で“中元”と呼ばれる日に行なわれていました。しかし明治に入って旧暦(太陰太陽暦)から新暦(太陽暦/グレゴリオ暦)へと“暦”が変更されると、他の季節行事と同じく旧暦の時期を重視するか・暦上の日付を重視するかで開催日がバラバラになってしまいました。

暦上の日付で行う7月派の地域と、旧暦の時期に合わせるように月遅れの8月派の地域に分かれたという形ですね。そのほか8月1日をお盆とする地域や、旧暦の7月15日にピッタリ合う日をお盆とする地域もありますが、全国的には7月13日~16日まで、8月13日~16日までの2つが主流となっています。

雛祭りや端午の節供などは“日にち”が重視されていることもあり旧暦から新暦に変わっても同じ日付で行なわれている地域が多い半面、お盆に関しては旧暦時代の日程に沿うように月遅れの8月13日~16日に行う地域が多くなっています。

首都である東京や関東周辺・静岡などでは7月に行なわれていますし、8月のお盆を「旧盆」と呼んでいるのに主流が8月というのは不思議ですが、これは農業との関係が大きいと言えます。暦の変更当時はまた日本で過半数の人々が農業に携わっていたため、新暦7月は農繁期と被ってしまったので月遅れを選んだ地域が多かったそうですよ。

ちなみに8月のお盆は旧暦時代のお盆という意味合いで「旧盆」もしくは「月遅れ盆」と呼ばれますが、7月のお盆のことを「新盆」と呼ぶことはあまりありません。「新盆(にいぼん)」という言葉は故人が亡くなってから初めて迎えるお盆、もしくはその際に行なわれる法要を指す言葉です。初盆とも言いますが紛らわしいため、7月に行なわれているお盆と伝えたい場合には「七月盆」と表現します。

お盆の起原・歴史とは

盂蘭盆会(うらぼんえ)の伝説

お盆行事の起原とされる盂蘭盆会は『盂蘭盆経』や『報恩奉盆経』などに記載されている目連尊者の伝説が由来とされています。全文については盂蘭盆経で紹介されていますが、そちらを参考に更に簡単にご紹介します。

お釈迦様が生きて布教していた時代、その弟子に優れた神通力を持つ目連という人がいました。目連は神通力を使って亡くなった自分の母を探したところ、餓鬼道に落ち苦しんでいる姿を見つけます。目連は母に食事を渡そうとしますが、彼女の口に入る前に御飯は灰に変わってしまいます。目連は釈迦様にどうしたら良いかを相談すると、お釈迦様は「衆生を終えた僧たちが7月15日に集まるから、その人たちにご馳走を振る舞い、心から供養しなさい」とアトバイスします。目連がその通りにすると、目連の母は餓鬼の苦しみから救われたそう。

また『盂蘭盆経』には、お釈迦様は「夏安居の終わり(7月15日)に様々な飲食物をお盆に盛って、大勢の僧に施して供養してもらいなさい。そうすれば多くの先祖が苦しみから救われ、今生きている人も病気無く過ごせる」と伝えたと記されています。ただし、梵語の原典がないことから『盂蘭盆経』そのものが中国の偽経という説もありますし、盂蘭盆会の語源もサンスクリット語で倒懸・逆さ吊りを意味する「ウラバンナ(ullambana)」だとか、供物(御飯)をのせたお盆のことだとか諸説あります。

中国で先祖供養の行事に変わる

盂蘭盆会に関わるエピソードは、実際にあったのか定かではない伝説。
なのが、中国を中心にこのお話は重要視され、広まっていきました。

6世紀頃には中国で7月15日に衆僧へ飲食などを盆に載せて供養し、供養を受けた僧侶たちが法要を行なう=盂蘭盆会が行なわれていたと考えられています。

仏教僧イメージ

また、中国では旧暦7月15日は“地官大帝の誕生日(中元節)”と考えられ、民間では「地府(地獄)の門が開き、祖先の霊が戻ってくる」という伝承もありました。

中国に元からあった伝承と、死後の母を救おうとする仏教の『盂蘭盆経』のエピソードとが習合して、7月15日=盂蘭盆会=先祖を供養する日というニュアンスが強くなっていったのでしょう。

日本での盂蘭盆会・祖霊信仰との習合

日本では『日本書紀』に推古天皇14年(606年)として“4月8日、7月15日に設斎す”という記述があることから、606年に初めて盂蘭盆会が行なわれたのではないかと考えられています。

ちなみに4月8日は釈迦降誕祭=灌仏会(花祭り)ですね。ただし記載されている「斎」が盂蘭盆会を指すかは不確かなため、明確に“盂蘭盆会を開催した”という記述が見られる斉明天皇3年(657年)を日本初の盂蘭盆会とする見解もあります。

ともあれ、飛鳥時代には盂蘭盆会が行なわれていた可能性が高いため、仏教伝来からさほど間を空けず盂蘭盆会も日本に伝わっていたと考えられます。盂蘭盆会が行なわれるようになったのは、ちょうど聖徳太子の時代頃でもありますね。奈良時代には宮中の恒例の仏事として孟蘭盆供養(盂蘭盆供)が行なわれるようになり、平安にかけて貴族を中心に大々的な行事となってきます。

また鎌倉時代に入ると盂蘭盆会の逸話と混同され、餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養する「施餓鬼会(せがきえ)」も盂蘭盆行事と習合されました。

祖霊信仰について

日本では仏教が伝わるよりも前から祖霊信仰がありました。祖霊信仰については色々な見解があり難解なのですが、大雑把に言ってしまえば亡くなってしまった人々は歳月と共に子孫や家を守る神様に、さらにお祀りされて歳月を経ると土地を守る神様にランクアップしていくというような考え方。古代日本では年に二回、満月の日である1月15日と7月15日(※当時は旧暦なので15日は満月になる)に神様の来臨を願った祖霊祭りが行なわれていたという説もあります。お盆とお正月が日本で最も古い年中行事であると言われる所以でもありますね。

中国から伝わった盂蘭盆も7月半ばに行なわれるもの。また、中国古来の信仰と結びつき盂蘭盆会は「先祖を供養する」というニュアンスが強くなっていたと考えられます。日本に伝わった際にも盂蘭盆会=先祖の供養という印象はあったでしょう。

日本に伝わったことで、日本に元々あった7月の祖霊祭りとも合体し、今は亡き近親者・祖先の霊を迎えて供養する意味合いが更に強くなったと考えられています。現在は年二回あった祖霊祭は盆・正月と別々の行事に姿を変えていますが、正月は年神様や祖先神までランクアップした霊をお祭りする行事、お盆は神様になるほど歳月の経っていない“精霊(しょうりょう)”をお祭りする行事と分化したという見方もなされています。

江戸時代に普及・現在のお盆行事に

貴族・僧侶・富裕層など上流階級の人々は奈良時代から盂蘭盆を行い、後に武家もお盆行事を行うようになりますが、一般庶民にお盆行事が広まったのは江戸時代以降と考えられています。江戸時代にお盆行事が広まるようになった理由についても様々な見解がありますが、寺請制度・葬祭を行うのは寺院と義務付けられたこと・産業の発達の二つが大きく関係していると考えられます。

まずお寺の関係。
室町時代事から床の間が作られるようになり家庭に仏間・仏壇が置かれるようになりますが、庶民が仏壇やお位牌を祀ることが広まったのは江戸時代以降の話です。お墓も江戸時代以前は“埋め墓”と呼ばれる町外れの山や林などに埋めるだけだったものが、江戸時代になり檀家制度が確立すると檀家寺の共同墓地に埋葬されるようになります。当時は寺社が葬祭を行うことが義務付けられていたこともあり、ほぼすべてのお家においてご先祖様の供養=仏式という図式が出来上がったとも言えます。

日本では民間信仰として祖霊=ご先祖様をお祭りするという考え方も定着していましたから、お盆も帰ってくるご先祖様をお迎えする日として定着したと考えられます。宗派によっても違いますが、日本の仏教も概ねその考えを否定せず、帰ってきた祖先の霊を供養する・祖先の霊と一緒に過ごす期間という認識が現在まで繋がっています。

そして産業の発達としては蝋燭(ソウソク)の生産効率が向上したことが挙げられます。大量に生産できることでロウソクは値下がりし、町民は生活に余裕ができていたのでロウソクを買えるようになりました。仏壇の普及と合わせてお家でロウソクをつけ、盆提灯を灯して迎え火・送り火とする…そんな現在のお盆行事と同じ形が江戸になって出来上がりました。現在のような盆踊りが開催されるようになったのも江戸時代からとされています。

盆と正月休みの起原「薮入り」も江戸時代から

聞き覚えのない方もいらっしゃるかもしれませんが、藪入りというのは住み込みで奉公していた奉公人(丁稚・女中など)が、実家に帰ることを許された日。お正月の1月16日とお盆の7月16日と、年に二回ありました。藪入りの前日である1月15日は小正月、7月15日はお盆。どちらも日本の年間行事の中でも特に重要な祭日とされていましたから、奉公先での行事を済ませた後、実家でもその行事に参加できるようにという意味があったと考えられています。

昔は週休二日制などとは全く無縁で奉公人はほとんどお休みがない状態で働いていましたから、年に二回の藪入りの日は大変貴重な休日であったと言えます。後に結婚した女性が実家に帰ることも指す言葉にもなりました。結婚した女性も余程の事がないと実家の門を潜れませんでしたから、奉公人と同じ様な感覚ですね。

戦後からは定休日が作られるようになり藪入はなくなりましたが、現在でも多くの方がお盆と正月にお休みを作っている会社・お休みを取る方が多いのは藪入りの名残であると考えられています。帰省する方が多いのも藪入りから続く伝統と言えますね

お盆行事のスケジュール

お墓参りイメージ

1日(釜蓋朔日)~11日

関東を中心に7月1日は地獄の釜の蓋が開く日=釜蓋朔日(かまぶたついたち)であるという考え方があります。ちなみに七月朔日に地獄の蓋が開くという考えは、道教の影響が強いと考えられています。地獄の釜の蓋はさておき、この日から仏壇を掃除する・精霊棚を作るのに必要なものを買い揃え始めるなど、ご先祖様を迎える準備をし始める場合もあります。

7日は“七日盆”とも呼ばれ、お盆の準備を始める日=盆始めとされています。古くは井戸替え・女の髪洗いなどの日でもあったそうですが、現代では墓掃除を始める日として認識されています。また7月7日(地域によって8月7日)は七夕の日でもありますが、七夕が“たなばた”と呼ばれるようになったのも、古くは故人を迎える精霊棚とその棚に安置する幡を拵える日「棚幡(たなばた)」が起原という説もあります。このため7日の夕方から精霊棚をセッティングしても良いという説もあります。

ただし現在は曜日や仕事の関係もありますから、7日ではなく11日にお墓の掃除をする方も少なくありません。一応古くから行なわれてきたスケジュールとして1日や7日が紹介されてはいますが、厳密に決められたものではありませんので13日までにお盆の準備を整えるという感覚で良いでしょう。

12日(お迎え始め)

宗派や地域によっても異なりますが、12日には精霊(ご先祖様)を迎えるためにお花や団子・お供え物を用意します。というのも昔は十二日の夜から翌朝にかけて“草の市(盆の市)”と呼ばれる、盆の行事に用いる品々を売る市が開かれていたため。この位置で買い物をし、13日の午前中までには精霊棚もしくは盆棚と呼ばれる祭壇を作り、お供え物をセッティングすることが慣例となりました。

精霊棚やお供えは地域・家庭・宗派によっても様々ですが、精霊棚は仏壇の前に台(小机など)を置いてござを敷く簡易版を使う方が多くなっています。精霊棚の一番奥の中央、お供え物が見える位置に御位牌を置きます。香炉・リン・花・ロウソク・お水・お米・旬の食材などをお供えしていきますが、スペースの関係もありますし、家庭や宗派によっても違うものですから無理に飾り立てる必要はありません。ご先祖様に対する気持ちが第一です。

盆飾り・精霊棚と供物についてはこちら>>

13日(迎え盆/精霊迎え)

13日は別名“盆の入り”とも言われるように、本格的なお盆、精霊(ご先祖様)が帰ってくる期間の始まりでもあります。このため13日の夕方に仏壇や精霊棚に盆提灯を灯し、庭先などでおがら(麻の茎)を焚いて、先祖や故人の霊が迷わず帰って来られる目印とします。菩提寺とお墓が近くにある場合には、菩提寺とお寺にお参りしてご先祖様の霊を迎えに行く場合もあります。

家へと帰ってくる目印になる盆提灯・おがらの炎を“迎え火”と呼び、ご先祖様の霊をお迎えすることを“精霊迎え”と呼びます。遠い世界から帰ってきた精霊に疲れを癒やしてもらうため、迎え団子を用意する場合もあります。

14・15日(盆中日)

14日と15日の二日間は精霊(ご先祖様)が滞在されている期間のため、僧侶に来てもらってお経を読んでもらうなど供養に努めます。精霊をもてなすために供え団子と呼ばれるおはぎを供えたり、細く長く幸せが続くように祈ってそうめんを食べる地域もあります。ご飯やお水・お供え膳などをお供えしている場合は、毎日新しいものを用意して取り替えるようにします。

迎え盆でお墓参りに行けなかった場合には、この二日間のどちらかでお墓参りに行く場合もあります。また地域によっても違いがありますが“先祖の霊を供養する”という意図で、この期間に盆踊りが開催されることも多くなっています。15日は精霊が過ごす最後の夜でもありますから、送別会のような感覚もあると考えられていますよ。

16日(送り盆/精霊送り)

16日は精霊(ご先祖様・故人の霊魂)があの世に帰る日道に迷わずに無事に帰れるように、送り火を焚いてお見送りします。送り火としては京都の「大文字焼き」が有名ですね。各地で行われる川や海に火のついた灯篭を流す「精霊流し」もご先祖様を送り出す儀式の一つで、送り火の一種と考えられます。あの世へと戻られる先祖に持たせる手土産として、送り団子と呼ばれる白団子をお供えすることもあります。

参考サイト:神社ものしり事典お盆|日本文化いろは事典

母方の家が浄土真宗なのですが、お盆は普通にお墓参りに行ったし、お坊さんを呼んでお経をあげてもらってたよなぁ…と思う筆者です。歳時記系の本などでも浄土真宗はお盆をしないと紹介されていますが、家々によって違うように思います。クリスチャン(プロテスタント)の友人も8月15日前後にお墓参りに行ってたりします。慣例ってこともありますし、日本に導入された宗教ってなぁなぁというか柔軟な感じになっているのではないでしょうか。

お墓を掃除したりお迎えに行ったりなど「この日が良い」とされている日程はありますが、大切なのは形式よりもご先祖様や亡くなった方を偲び感謝する気持ちです。新暦への切り替えの時にだってお怒りにならなかった(と思う)ご先祖様たちの霊ですから、日程が合わなくてお盆のタイミングでお墓に行けなかったとしても祟ったりはしないでしょう。折角の休みだし遊びに行く派も少なくありませんが、たまにはお墓参りをして思い出を探してみても良いのでは?