ジンジャーブレッドとは何なのか
-起源説からジンジャーブレッドマンまで

ジンジャーブレッドとは何なのか<br/ >-起源説からジンジャーブレッドマンまで

冬になると販売が増えるジンジャーブレッド(ジンジャークッキー)。輸入品の中にはビックリするくらいに生姜やシナモンの香りがくっきりしていて、好き嫌いが分かれそうなものもありますが…個人的にはほっこり感があって好きです。売られているジンジャーブレッドはビスケット系のお菓子なのになぜジンジャークッキーではなくジンジャーブレッドとも呼ぶのか、ヨーロッパではいつ頃から食べられているのか、なぜ人型に型抜きするのか…などジンジャーブレッドの歴史と気になるところを調べてみました。

ジンジャーブレッドについて

ジンジャーブレッドとは

ジンジャーブレッドは呼び名の通り、風味付けとして生姜を使った焼き菓子の一種。
ブレッド(bread)と付くことから言葉の雰囲気としてはパンに類するものの様に感じがちですが、ケーキからビスケットまで幅広い焼き菓子に対して使用される言葉となっています。また、生姜(ジンジャー)だけではなくクローブ・ナツメグ・シナモンなどのスパイスと組み合わせ、蜂蜜などで甘みをつけた素朴でスパイシーな味のものがポピュラー。日本では生姜入りのケーキと言われるよりも、ジンジャークッキーもしくはスパイスクッキーと呼ばれている生姜入りクッキーのほうが親しみがありイメージしやすいのではないでしょうか。

ジンジャークッキーとは違う?

ジンジャーブレッドは生姜を使った洋菓子もしくは焼き菓子の一種であると説明されます。英語の辞書で調べてみると『Cambridge Advanced Learner’s Dictionary & Thesaurus』ではgingerbreadについて“a type of cake, usually very dark brown and soft, that contains ginger”と記されています。ショウガが入った焦げ茶色で柔らかいケーキ、という様な意味ですね。日本では親しみあるとは言い難いですが、ジンジャーブレッドという言葉から想像する印象とは違和感ありません。

しかし、アメリカ英語として『Cambridge Academic Content Dictionary』には“a type of cake or cookie that contains ginger”と表記されています。こちらはショウガが含まれたケーキもしくはクッキーという意味ですから、ジンジャークッキーもジンジャーブレッドに含まれると捉えることが出来ます。ジンジャーブレッドという言葉が生姜を使った焼き菓子の総称であり、ジンジャークッキーはその中でもクッキーを指す言葉として使われているというイメージですね。

こうしたニュアンスの違いはアメリカ英語とイギリス英語の差異のように感じがちですが、米英問わずにラフな人形に型抜きされたショウガ入りのビスケットまたはクッキーは「ジンジャーブレッドマン(gingerbread man)」と呼ばれています。イギリスだとジンジャークッキーマンに呼び方が変わるということはなく、共通してジンジャーブレッドマン。ついでにクリスマスなどで登場するジンジャークッキーを家の形に組み立てたものもジンジャーブレッドハウス(gingerbread house)と呼びます。

このため英語圏の方にとっても“ジンジャーブレッド”とジンジャークッキーもしくはジンジャースナップなどという言葉の使い分けは結構曖昧なようです。料理方法や出来上がった焼き菓子の食感だけで呼び分けている訳ではなさそうですね。ただし、しっとりしたスポンジ状の生地をジンジャークッキーやジンジャースナップなどとは呼ばないので、ジンジャーブレッド=生姜が使われている焼き菓子類の総称、ジンジャークッキー・ジンジャースナップ・ジンジャーシンなどは厚さや硬さに合わせた呼び名と考えておくのが無難かなと。

ジンジャーブレッドの起源と歴史

ジンジャーブレッドの起源は不明

ヨーロッパ各地で伝統的なレシピが存在し食されていジンジャーブレッドは「すべてのデザートの中で最も古い歴史を持つ」と称されることもある食べ物。しかし古くから存在していたと考えられること・古代の記録が少ないことなどもあって、ジンジャーブレッドの起源については分かっていません。ソーセージやワッフルなどと同じく、どこまで遡るかによって起源・原産地も変わってきますしね。

ジンジャーブレッドの起源として有名であり有力視されているのは、西暦992年にグレゴリー・マーカー(Gregory Markar)というアルメニアの僧侶がヨーロッパへもたらしたという逸話です。彼はフランスのロワール渓谷地域で7年間滞在し、フランスのクリスチャンに祖国で食べられていた“蜂蜜と香辛料で作ったケーキ”のレシピを教えたという記録が10世紀の修道院の写本に記録されているそう。これがヨーロッパでのジンジャーブレッドのルーツとなり、フランスからスウェーデン・ドイツへと伝播していったと信じられています。

しかし、この説よりもさらに1000年近く前から古代エジプト人・古代ギリシア人は生姜を加えたスパイスケーキを焼いていたという見解もあります。彼らは宗教行事や式典の際にスパイスケーキを焼いていたという説や、古代ギリシア時代にロドス島のパン屋が生姜を加えることを考案したなど、ジンジャーブレッドの始まりという説は様々。古代エジプトや古代ギリシアが栄えていた時代には交易品として生姜も輸入されていたことが分かっていますから、992年以前にジンジャーブレッドと呼べるような焼き菓子が作られていた可能性も否定できませんね。

逆にジンジャーブレッドが作られるようになったのは、字軍遠征が始まった11世紀以降という説もあります。この時に貴族や富裕層に雇われている・彼らをターゲットにしていた料理人たちが独自の料理を作るために“新しい食材”を求め、十字軍が中東から持ち帰った生姜を料理に使い始めたという見解です。これは当時ジンジャーは貴重で高価な香辛料もしくはハーブとして扱われており、料理に使えるものでは無かったという主張が元。同じ様な理由から、中世まで「ジンジャーブレッド(Gingerbread)」という言葉は現在のような焼き菓子類ではなく、砂糖や蜂蜜で漬け込むなどした生姜の保存食を指す言葉であったという説もあります。

生姜は中国から伝わった?

ジンジャーブレッドに欠かせない材料である生姜。生姜の原産地については熱帯アジア原産という説が有力視されてはいますが、原種もしくは野生種と言える種が発見されていない実際のところは特定されていません。さらに栽培化した地域についてもインド・中国・オーストラリアなど諸説あり分かっていないんです。原産地が特定できない理由としては、非常に古くから人々に使用・栽培されてきたためなのだとか。

ショウガのイメージ画像

原産地付近であると考えられる中国やインドでは紀元前から生姜が保存食や医薬品として使われていたことが分かっていますし、1世紀事までにショウガはヨーロッパ、古代ギリシアやローマにも伝わっていたと考えられています。生姜はアジアから輸出された最初の香辛料の一つである、なんて評もあるほど。温暖な気候を好むことから生姜の栽培こそ行えなかったようですが、約2000年前くらいには地中海沿岸地域で薬として利用されていたことは間違いないようです。

ヨーロッパの人々にとっても生姜は魅力的な植物・食品と感じられたと推測できますが、ヨーロッパの気候は生姜の栽培に適していないという問題がありました。現代のような温室栽培なども当時は出来ませんし、シルクロードを徒歩で渡っている時代。輸入された生姜は当然ながら高価であったと考えられます。14~15世紀頃までイギリスでは生姜1ポンド=羊1匹分の価格だったとも言われているほどですから、よほどの富裕層ではない限りはケーキやクッキーに入れようという気にはならないのではないでしょうか。

そこまで生姜が高価ではなかった中国でも、デザート・菓子類に生姜を使ったレシピが記録として登場するのは10世紀以降からなのだそう。インドや中東ではそれ以前からお菓子に使用していた可能性も否定できませんが、個人的にはヨーロッパで古代ギリシア時代からずっとスパイスケーキが食べられ続けてきたと言うには難しいような気がします。特に一般庶民層に関しては、10世紀にアルメニアから伝わった、もしくは十字軍遠征以降に広まったという可能性が高いように感じますが…如何でしょう?

13世紀~15世紀に焼き菓子として普及

起源ははっきりとしませんが13世紀~14世紀頃にかけてジンジャーブレッド=生姜などの香辛料と蜂蜜を加えたケーキを作るという文化はフランス、ドイツ、オランダ、ポーランドなどへ広がって行ったと考えられています。ドイツ版ジンジャーブレッドとも言える“レープクーヘン(Lebkuchen)”という蜂蜜とスパイスで味付けしたクッキー系の焼き菓子がありますが、これも13世紀にドイツの修道士が考案したものとされていますよ。スウェーデンへも13世紀にドイツの移民によってジンジャーブレッドが伝えられたという伝承もあります。

そのスウェーデンにあるヴァドステーナ修道院の記録からは1444年に修道女が消化不良を緩和するためにジンジャーブレッドを焼いていたことが分かっています。イギリスでも14世紀以降のレシピ本には登場しているそうですから、14世紀にはジンジャーブレッドが広範囲で食べられていたと考えられます。修道院の記録だけではなく、smithsonian.comによると16世紀の作家ジョン・バレット(John Baret)もジンジャーブレッドについて“A Kinde of cake or paste made to comfort the stomacke.”と、お腹の調子を整えるために作られたものであると記録しているそう。ジンジャーブレッドが普及していった理由として十字軍遠征から大航海時代に繋がる時代の中で生姜が手に入りやすくなったことだけではなく、消化に良いという薬効に注目されたことも挙げられています。

16世紀頃に現代風のジンジャーブレッドが誕生

ジンジャーブレッドが普及しはじめた頃にヨーロッパで食べられていたレシピは、生姜・アーモンド・古くなったパン粉・蜂蜜にローズウォーターを加えて練ったペーストを木型に入れてプレスし乾燥させたものだったそうです。あまり美味しくは無さそうですね…。これが16世紀~17世紀頃になるとパン粉の代わりに小麦粉を使うようになり、卵や糖蜜・砂糖などを加えたレシピに進化していきました。こうしたレシピの変化によって、従来のものよりも軽くしっとりとした食感のジンジャーブレッドが確立したと考えられます。

17世紀になるとイギリスの修道院や薬局などでジンジャーブレッドが販売されていたという記録も登場します。ただし16世紀末にウィリアム・シェイクスピアの書いた『Love’s Labor’s Lost(邦題:恋の骨折り損)』という戯曲の中でも“And I had but one penny in the world, thou should’st have it to buy gingerbread.”というセリフが登場します。この時点で「ジンジャーブレッドを買うために」というセリフがあるわけですから、ジンジャーブレッドの販売はもう少し前から行われていたのでしょう。戯曲のセリフにもなるくらいジンジャーブレッドは広く認知されていたという事もうかがえます。

17世紀頃、ヨーロッパの人々がアメリカに入植する際にアメリカ大陸へもジンジャーブレッドは持ち込まれました。アメリカでは蜂蜜や砂糖よりも安く糖蜜が手に入ったことから、ジンジャーブレッドの風味付けとして糖蜜を使うのがポピュラーになっていきます。現在ジンジャーブレッド(ケーキタイプ)として一般的なのは、このアメリカで糖蜜を使用して作られたタイプ。糖蜜の色によって生地が濃いブラウンになり、よりしっとりと柔らかい食感・独特の風味が付いたわけですね。

ポーランドもジンジャーブレッドが有名

現在「ジンジャーブレッドクッキーの街」とも呼ばれているポーランド中北部の都市トルンは、ジンジャーブレッドに特化した博物館があることも有名。トルン名物は伝統菓子の“ピエルニック(Pierniki)”というジンジャークッキーもしくはドイツのレープクーヘンに似た焼き菓子です。トルンでは1380年頃からピエルニックが作られてきたと伝えられ、ジンジャーブレッドの歴史が古い地域とされているのだとか。というのもトルンはアジアからヨーロッパへとスパイスを運搬するルート上に位置していたこと・養蜂が盛んに行われていたのだそう。このため蜂蜜、生姜を含む香辛料類、穀物粉(ライ麦・小麦粉)を混ぜ合わせて焼いたお菓子を早い段階から作り始めたと言われています。

日本でジンジャーブレッドと言うとイギリスもしくはアメリカのイメージが強いような気がします。現在では生姜にそこまで重点が置かれていないものもありますが…ドイツのレープクーヘン、フランスのパン・デピス、ロシアのプリャーニクなど各国に似たような焼き菓子は存在しています。日本にはイギリスもしくはアメリカ文化の影響が強いですし、ジンジャーブレッドと英語由来の呼び方をしていることもあってイギリス発祥タイプが出てきやすいのかなと。

ジンジャーブレッドマン&ジンジャーブレッドハウス

ジンジャーブレッドマンとジンジャーブレッドハウスのイメージ

ジンジャーブレッドマンについて

おそらく多くの方が一度は見たことがあるであろう、簡略化された人型をしているクッキーの抜き型。この人型に抜かれたジンジャーブレッドは“ジンジャーブレッドマン(gingerbread man)”と呼ばれています。近年は性差無くという面から“ジンジャーブレッド・ピープル(gingerbread people)”と呼ぶこともありますし、人型だけではなく型抜きしたジンジャーブレッド全般をジンジャーブレッドマンと呼ぶこともありますが…ここではざっくりとした人型をしたものをジンジャーブレッドマンとして紹介します。

ジンジャーブレッド自体は遅くとも15世紀までには作られていました。それを人の形に型抜きするようになったのは16世紀頃、イギリスからではないかと考えられています。それ以前からアイシングのような技法によってジンジャーブレッドの表面に絵を書いていたようですが、人の形に型抜きされるようになったのはイギリス、エリザベス1世の治世という説が有力視されています。エリザベス1世は自分・国にとって重要な客人に似せてジンジャーブレッドでフィギュアのような物を作り、外交に役立てたと伝えられています。

現在私達が見慣れているジンジャーブレッドマンはデフォルメされた、シンプルな形をしています。しかしエリザベス一世が使ったのは型抜きクッキーと言うよりも、エッジングをして凹みを作った金属板を押し当てるような方法だったそう。繊細な模様が浮かび上がった生地にアイシングで色を付けていたと伝えられていますから、現在のジンジャーブレッドマンのようにポップなキャラクターではなかったと想像できます。かなり芸術的なジンジャーブレッドが作られていたからこそ、女王陛下が使用出来たということでしょうか。1900年頃に書かれたイラストなどでも、ジンジャーブレッドマンは今よりもずっと人っぽい精緻な形状をしていることが分かります。

このエリザベス女王によって作られたという説以外にも、ジンジャーブレッドを人形に焼き上げるようになった理由・ジンジャーブレッドマンのモデルとしてはいくつかの説があります。その中でよく紹介されるのは、エリザベス1世の父親、ヘンリー8世がモデルであるというエピソード。ヘンリー8世は当時流行していたペストを予防するために生姜が役立つと考え、国民に生姜を食べるように推奨したと伝えられています。国民は彼の思いやりを忘れないようにと、生姜を使ったジンジャーブレッドを国王に似せた形にして焼いたのだとか。日本国内ではこちらのジンジャーブレッドマン=ヘンリー8世由来説の方がよく紹介されているように感じます。

ジンジャーブレッドマンにまつわる民話も

1875年にアメリカの子供向け雑誌『St. Nicholas Magazine』にジンジャーブレッドマンが主役となる“The Gingerbread Boy”という民話が掲載されています。お話のあらすじとしては、子供のいない老夫婦がジンジャーブレッドマンを焼いていると、ジンジャーブレッドマンがオーブンから飛び出て逃げ出してしまうというもの。老夫婦や農場の人などを振り切り逃げたジンジャーブレッドマンですが、最後はずる賢い狐に捕まって食べられてしまうというオチ。アニメーション映画『シュレック』に登場するジンジャーブレッドマンの「ジンジー(Gingy)」も、この民話を元に作られたキャラクターなのだそうですよ。

クリスマスの定番になった理由は?

ジンジャーブレッド、ジンジャーブレッドマンなどの形に抜かれたクッキーはクリスマスの定番でもあります。お菓子として並べられるだけではなく、地域によっては紐を通してクリスマスツリーのオーナメントにしたり、ガーランドのようにしてお部屋に飾ることもあります。欧米ではクリスマスの準備として子供と一緒にジンジャーブレッドを焼くというのも定番なのだとか。

クリスマスにジンジャーブレッドが使用されるようになった理由はいくつか考えられますが、1つ目に生姜やスパイスが入っているということが挙げられるでしょう。近世に入った頃くらいまでヨーロッパでは強い香りのするものは悪魔・病気を寄せ付けなくすると信じられていました。スパイスたっぷりのジンジャーブレッドも魔除け・病除けになると考えられたため、健康を祈ってツリーに飾るようになったという説もあります。

加えて生姜・香辛料は体を温めてくれる働きがあるので、寒いクリスマスシーズンに食べるのにピッタリの食品でもあったのではないでしょうか。また、クリスマス料理にスパイスが多くに使われているのは、かつて食材を保存するために香辛料を大量に使用していた名残であるという見解もあります。魔除け・風邪予防・冷え予防・食あたり予防など、クリスマス頃の時期の健康面のサポートにも嬉しい焼き菓子だったと言えるかもしれません。

そのほか食品としてではなく、社会的な事情もあるかもしれません。
17世紀頃になるとジンジャーブレッド・ベーカーと呼ばれる職業ギルドが各国で誕生し、ジンジャーブレッドは専門店で販売されるようになっていました。利権の問題で普段はギルドに加盟している人だけがジンジャーブレッドを焼くことを許されていましたが、クリスマスとイースターだけは誰でもジンジャーブレッドを焼いて良い期間とされていたそう。これもクリスマスに多く食べられるようになった理由ではないかと考えられています。

ちなみに、当時ヨーロッパでは日曜日になると礼拝に参加する人をターゲットに教会の外でジンジャーブレッドが販売されていたようです。季節季節で開かれるフェアなどでも販売されるようになり、お客さんの目を引くためにハート・星・人・赤ちゃん・馬・聖人のレリーフなど様々な形に成形もしくは装飾されたジンジャーブレッドが作られるようになっていきました。こうしたジンジャーブレッドはプレゼントや結婚式の引き出物、愛を伝え合う贈り物として使用されるようになっていきました。魔除け効果が期待できることから窓飾りとしても使われていたようですよ。

ジンジャーブレッド・ベーカーにとってライバルが増える(?)クリスマスやイースターも、関連する図柄に型抜きしてアイシングなどの装飾を施したものが販売されていました。祝日にマッチした素敵な装飾が施されている、しかも魔除けにもなる、自分でも作れる…というメリットの多さからクリスマスにジンジャーブレッドが定着したと考えられます。

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ジンジャーブレッドハウスはドイツ発祥

ジンジャーブレッドマンと比べれば、日本ではそこまでポピュラーとは言えないジンジャーブレッドハウス。ジンジャーブレッドを使って家の形を作り、生クリームやチョコレートなどで飾付けをしたお菓子のお家の呼び名です。こちらはイギリスではなくドイツが発祥とされています。作られるようになったのは16世紀頃からで、ドイツではクッキーで囲まれた飾り付けた小さな家がクリスマスの飾りとして定着していったようです。

ジンジャーブレッドハウスが普及するようになったのは1800年代に入ってから。1812年にグリム兄弟の書いた『ヘンゼルとグレーテル』が出版されたことで、ジンジャーブレッドに金箔などの装飾を施したジンジャーブレッドハウスが注目され人気になったそう。グリム兄弟はドイツにあったビスケットの家をモデルにしてお菓子の家を描いたというのが有力ではありますが、童話に登場するお菓子の家をジンジャーブレッドベイカーが再現したのだという説もあり、どちらかは決着が付いていません。

参考サイト:History of GingerbreadHow an Armenian Monk Brought Gingerbread to the WestThe History of Gingerbread

冬になるとカルディさんとか輸入食品系のお店で商品が増えるジンジャーブレッド。ずっとスパイスクッキーと呼んいたんですが、商品によってはGingerbreadと書かれているものがあって「breadなのか?」と疑問でした。なぜブレッドなのかという解説は見つからなかったんですが、元々は小麦粉ではなくパン粉を使っていたからとか、パンではなく糧とかそういう意味合いで使われているからとか、そんな感じではないかなと思ったりします。

ついでに。ドイツやアメリカではジンジャーブレッドハウスをクリスマス前に作るというご家庭も多いみたい。お子さんでも簡単にできるキットも人気だそうで…日本でも最近は売られてますよね。写真投稿サイトを拝見すると中に光源をいれちゃったお家とか、ジオラマじゃないと言いたくなるクォリティのものも沢山あります。作れる気はしないけど、見てるだけでも楽しい。お菓子のお家は時代も国も関係なく、みんなの夢…!