ウスターソースの起源と歴史とは
-日本のソースは日本独自の調味料!?

ウスターソースの起源と歴史とは<br />-日本のソースは日本独自の調味料!?

地域によってどのタイプが使用されているかは差がありますが、ウスターソースや中濃ソースなどのソース類は日本の食卓にも欠かせない調味料の一つと言えます。とんかつソースやお好みソース・焼きそばソースなども含めれば何かと口にする機会の多い存在ではないでしょうか。こうした「ソース」と呼ばれ親しまれている茶色い調味料、実は私達がウスターソースと呼んでいるもの以外も“ウスターソース類”にカテゴライズされています。

ウスターソースそのものの発祥はイギリスですが、日本で使われているものはイギリスのウスターソースとは全くの別物。なぜ日本では“ウスターソース類”として様々なソースがあるのか、ウスターソースの起源から日本でソースが親しまれるようになった歴史を紹介します。

ソースとウスターソースについて

ソースとは

今や日本でも普通に使われているソースという言葉。
トマトソースやベシャメルソースなど“〇〇ソース”と呼ばれるものは数多くありますが、日本では単に「ソース」と言った場合にはとんかつソースなど濃い茶色をしたウスターソース類を指すのが一般的となっています。

ただしソースという言葉がウスターソースを指す、というのは日本語独自の用法
本来ソース(sauce)という言葉は液体調味料の総称として使われているものです。感覚としてはジュースとかジャムとかに近いため、何のソース(調味料)なのかを付け加えないと詳細は不明になるタイプの言葉と言えます。ちなみにソース(sauce)という言葉は、ラテン語で塩を意味する“sal”もしくは塩漬け・塩味のを意味する“salsus”が語源です。日本ではトマトベースで辛味のあるメキシカンなソースをサルサソースと呼んでいますが、サルサもソースと同じ語源を持ち、スペイン語ではソース全般を指す言葉として使われます日本でサルサソースと呼ばれている調味料も正式にはサルサ・ロハやサルサ・クルダなど「どんなサルサ(ソース)」なのかを表す言葉とセットで使われていますよ。

塩が語源と関わることからソース=塩っ気のある液体調味料の総称であると紹介されることもあります。しかし現在では塩を入れていないクランベリーソースなどのフルーツソース類、カスタードソースやチョコレートソースなど甘いタイプのものもありますから、ソースと表現される調味料はもっと多いと言えます。

また、日本ではソース=西洋の液体調味料と表現される場合もありますが、醤油も英語では“Soy sauce”と直訳すれば大豆を使ったソースという扱いになっていることを考えると原産国も不問。トマトケチャップマヨネーズから、ナンプラーなどの魚醤類もソースに含まれます。複数の材料を混ぜ合わせて作られた調味料全般と言えるくらい、ソースという言葉の範囲は広いのです。日本語での感覚からはかなりギャップがありますよね。

ウスターソース類について

今回の本題でもある、日本では単に「ソース」と呼ばれているウスターソース。しかしウスターソースと言われると醤油に似たサラッとしたソースが代表的。ウスターソースはウスターソースで、単にソースという場合には中濃ソースを指すんじゃないの…というツッコミが浮かぶ方もいらっしゃるのではないでしょうか。

こうした齟齬は日本のJAS規格(日本農林規格)の定義が独特なため。JAS規格でウスターソース類は“次に掲げるものであって、茶色または茶黒色をした液体調味料をいう。1.野菜若しくは果実の搾汁、煮出汁、ピューレーまたはこれらを濃縮したものに糖類、食酢、食塩及び香辛料を加え調整したもの。2.1にでん粉、調味料を加えて調整したもの。”と定められています。更にJAS規格ではウスターソース類を粘度によってウスターソース・中濃ソース・濃厚ソースの三種類に分けています。ちなみに焼きそばソース・お好みソースと呼ばれているものも、粘度によってこの3タイプの何れかに分類されています。

こうしたややこしい区分は、輸入されたウスターソースをベースにして日本で様々なウスターソース類が発売されたため。日本の食品メーカーさんが独自に開発したソースは、元々イギリスで作られていたウスターソースとは似て非なるものとなっていると言えます。特に中濃ソースと特濃ソース(お好みソース・とんかつソースなど)については日本発祥の調味料であると言えるくらいの存在でもありますが、総合してウスターソース類として扱われています。

ともあれ、日本で「ウスターソース」と呼ばれているのはウスターソース類の定義に当てはまり、かつ粘度が0.2パスカル秒以下のもの。このため「日本語で単にソースと言った場合にはウスターソースのことを指す」と言われても違和感がある状態になっていると考えられます。ここでのウスターソースは粘度によって決められている“ウスターソース”ピンポイントではなく、ウスターソース類と捉えるべきなのでしょう。お醤油に近い感覚のウスターソースと中濃ソース・濃厚ソース(とんかつソース)は感覚としては別物ですよね。

ウスターソースの起源と歴史

ウスターソースの語源と起源

ウスターソースは英語で書くとWorcestershire sauceもしくはWorcester sauce。
Worcestershireというのはイングランド南西部にあるウスターシャー州のこと、Worcesterはウスターシャー州にある都市ウスターの事を指しています直訳すれば「ウスター(ウスターシャー州)の調味料」となり、ウスターシャー州・ウスターという地域で作られたソースであることが語源とされています。言葉通りウスターソースの発祥の地はイギリスのウスターシャー州とされていますが、誰が作ったかという点については諸説あります。有力視されているウスターソースの紀元説は下記の2つ。

インドのソースをLea&Perrinsが再現

ウスターソースの起源はウスターシャー州出身のマーカス・サンディ卿が、当時イギリスの植民地であったインドへと赴任した際に現地で使われていた魚醤系ソースに惚れ込みます。彼はソースの製法を本国に持ち帰り、地元で医薬品などを製造していたJohn LeaとWilliam Perrinsの二人にソースの再現を依頼。リー氏とペリンズ氏は様々な食材を使ってソースの試作を行いましたが、香りも味もひどく食べられるようなものは作れませんでした。出来てしまった失敗作を仕方なしに二人は地下室に放り込みます。

数年後、春の大掃除を行った時に二人は地下室に放り込んでいた出来損ないのソースを発見。捨てようと思ったのですが、以前のような刺激臭がしなくなっていることに気付きフタを開けて試食してみることにしたのだそう。すると香りだけではなく味もまろやかに、コクが深くなっていることが分かりました。熟成させることで上質のソースがで出来ることに気づいた二人は、マーカス・サンディ卿からレシピと権利を購入しディップソースとしてこれを販売し始めました。

主婦が偶然作り出したという説も…

ウスターソースの発祥として、さらに偶発的なものだったという説もあります。
こちらの説も場所はウスターシャー州の町ウスター。ただし製作者は余ってしまった野菜や果物の端を有効に使おうと考えた、市内に住む一般の主婦とされています。19世紀の初め、とある主婦が捨ててしまうには勿体無いと考えた野菜や果物に塩・酢・香辛料を加え、ツボに入れて貯蔵することを思いついたのだそう。そのまま置いておいた野菜や果物は長い時間を掛けて熟成し、様々な食材に合う液体調味料が出来ました。

ちなみに、このウスターの主婦が偶然作った説は日本ソース工業会さんで「ウスターソースの生い立ち」として紹介されています。日本語版ウィキペディアほか日本のサイトでは結構な頻度で登場する発祥説ではあるようですが、英語版wikipediaやBBCのサイトなどには登場していません。英語圏ではマーカス・サンディ卿の要請を受けてLea&Perrinsが制作した説が有力、日本ではLea&Perrinsとウスターの主婦説の二つに分かれている印象があります。

ウスターソースの商品化と普及

リーペリン社のソースイメーシ

ウスターソースの正確な発祥・起源はわかりませんが、世界で最初に販売されたウスターソースがJohn LeaとWilliam Perrinsの二人が立ち上げたリーペリン社(Lea&Perrins)による“Lea and Perrins Original Worcestershire Sauce”であることは間違いないようです。マーカス・サンディ卿からインドソースの製法を託された彼らは全くの一般人というわけではなく、トイレタリー用品などの製造販売などを行っていた実業家なのだとか。熟成させることで美味しいウスターソースが作れると分かった二人は自社の商品を販売して回っていたセールスマンにウスターソースを持たせ、各地で営業販売を行うように支持します。

1837年に商品化された“Lea and Perrins Original Worcestershire Sauce”は、1830年台後半には既にイギリスではステーキソースとして広まっていたそうですし、客船の食堂にも置かれるようになっていたんだとか。船旅の最中にウスターソースを口にしてファンになる人も多く、1839年にはニューヨークにもウスターソースが輸入されるようになります。ウスターソースを作った二人は商売人としても優秀だったということでしょうか。イギリスでは万能調味料としてウスターソースが愛されており、様々なソースを使い分けることを基本とするフランス人はイギリスのことを「一つのソースしか無い」と揶揄するほどだとか。

ちなみに当時は“Worcestershire Sauce”はリーペリン社の商標として扱われていたそうで、ウスターソース=リーペン社のもののみという状態でした。1876年になるとイギリスの高等裁判所によってリーペリン社は“Worcestershire”という商標を権利を持っていないことが判決され、ウスターソースという名称は同様の風味を持ったソースの総称として利用されるようになります。現在リーペン社はHeinzの子会社していますがブランドとしては残っており、世界初のウスターソースであるリーペンソースは世界中で親しまれています。

リーペン社の“Lea&Perrins Worcestershire Sauce”は販売当時から現在に至るまで、製法が秘匿されています。ただし原材料についてはある程度分かっており、イギリス版はモルトビネガー(麦芽酢)が、アメリカ版は蒸留された白酢が使われているなど、その国の人の好みに合うように調整されていることが指摘されています。日本で使用されているウスターソースと大きく異なるのはアンチョビなど魚が入っていることと・野菜果物類がほとんど使われていないという点。

欧米で使用されているウスターソースは粘度が低くシャバシャバしたテクスチャで、味も酸味が強めで少し臭みを感じます。同じウスターソースとは呼ばれますが、日本で食べられているものとは別物ですね。日本のウスターソース類に関して言えば、主婦が野菜や果物を漬け込んだという発祥説の方が近いものが出来そうです。

日本のウスターソースの歴史

国産ウスターソースの製造

欧米でポピュラーなウスターソースとは全く別物へと進化している日本のウスターソース。伝来時期については江戸時代末期頃と言われていますが、はっきりしたことは分かっていません。長崎の出島に伝わったという説や、幕末に日米和親条約や日英和親条約によって開港された町に欧米人が持ち込んだなどの説がありますが、文献には登場しないので詳細はわからないそう。

日本でウスターソースが認知されるようになったのは、明治に入って富裕層の人々が西洋の料理を食べるようになってからのことです。都市部に出来た洋食屋では使用されていたようですし、明治5年に出された『西洋料理指南』の記述からスターソースは「西洋の醤油」として認識されていたと考えられています。しかし西洋料理が普及したと言っても取り入れていたのはまた一部の人のみという時代ですし、醤油の西洋版として紹介されたイギリス式のウスターソースの主な用途は調理時の味付け・隠し味。日本の醤油のように焼き物やおひたしに掛けて食べるようなものではありませんでした。

ウスターソースのかかったコロッケイメージ

1885年(明治18年)にはヤマサ醤油からウスターソース“ミカドソース”が発売され「新味醤油」という商標で特許を取得するものの、一般の人々に馴染みのない味として受け入れられず一年で製造中止となってしまいます。この時に販売された“ミカドソース”はイギリスの製法そのままに作られたものだったそうなので、醤油感覚で料理にかけた日本人には違和感があったのかも知れません。ちなみに初の国産ウスターソースについてはヤマサ醤油の“ミカドソース”説と、同年に阪神ソースから販売されたウスターソース説の二つが争っています。会社名からも分かるように阪神ソースは日本初のソースメーカーとも称される会社です。

発売開始時には好評とは言いがたかったウスターソースですが、1894年(明治27年)にハグルマ株式会社が関西地域で売り出した“三ツ矢ソース”がヒット。明治20年代後半には洋食がさらに普及していたという背景もあり、1890年から1900年代初頭にかけての時期には様々なメーカーがウスターソース製造に参入するようになりました。明治29年には“錨印ソース(現在のイカリソース)”が、明治38年には“犬印ソース(現在のブルドックソース)”が発売されていますし、カゴメからもケチャップと同じ明治41年に“カゴメソース”が発売されています。明治後半は日本のウスターソース産業が爆発的に盛り上がった時期と言っても過言ではないかも知れません。

こうした背景には大正に入る頃には庶民にも「洋食」としてコロッケやトンカツなど、ある意味では和食と言っても良い日本式のフライ料理などが流行したという変化もあります。洋食に醤油感覚で掛けられるソースの需要が増えたこと、第一次世界大戦による好景気の影響などもあって、ソース製造に参入する業者が続々と現れたのだとか。競合が増えたことで各メーカーはソースの品質向上・自社の特色を押し出すこととなり、日本独自のウスターソース文化が形成されていく契機となりました。

この頃に作られていたソースはまだ年度が低いウスターソースのみでしたが、この時点で既にイギリスのソースに近いものを作ろうとするメーカーと、お米を主食にする日本人の味覚に合うソースを作ろうとする2つの流れに分かれていたようです。日本人特有のソース=ウスターソースという認識が出来たのは、ウスターソースが洋食とほぼ同時に「洋風万能調味料(洋風醤油)」として普及したためだったと考えられます。

戦後は日本独自のソースが続々と…

明治後半から一般家庭にまで普及しガンガン成長していったソース(ウスターソース)産業ですが、昭和初期になると日本経済は不況に。そして昭和10年代半ばからは第二次世界大戦が始まったことで材料の値上がり・国の統制などによって生産が困難になります。ソース業界への砂糖の配給がゼロになったこともあり、昭和20年には生産量が1/10になってしまったほど。富裕層を除けば「お腹いっぱい食べられるだけでも有難い」という時代ですから、ソースを使った料理を食べられた家庭はさほど多くなかったと推測されます。

しかし砂糖が仕えなかったという反動から、戦後になると甘みの強いウスターソースが生産されるようになったという面もあるのだそう。野菜や果物をたっぷり使って甘めに仕立てられたソースが好まれるようになり、1948年には神戸の道満調味料研究所(現在のオリバーソース株式会社)からとんかつソースと呼ばれる濃厚タイプのソースが発売されるようになります。イギリス式のウスターソースとは違う、日本の野菜や果物がたっぷりで甘口、野菜や果実の繊維質が主となって独特の“とろみ”が付いたのソースが誕生したとも言えますね。

後の1964年にはキッコーマンから従来のウスターソースと濃厚ソースの中間的な粘土を持った中濃ソースが発売され、現在日本で使用されている主要ウスターソース類が揃いました。東日本では両方の性質を持った中濃ソースが、西日本では濃厚ソースとウスターソースを使い分けるという好みが確立したのもこの頃だとか。

参考サイト:ソースについて|農畜産業振興機構Who Invented Worcestershire Sauce?

日本ではよく「〇〇にかけるのはソースか醤油か」という論争がありますよね、目玉焼きとかフライとか。西洋の醤油としてウスターソースが導入されたという背景を知ると、ソースv.s.醤油という図がよく使われる件について何となく納得してしまいました。本家イギリスのものに近いとされるウスターソースでも日本のものは酸味抑えめで、醤油感覚で使えるように改良されていますからね。ケチャップやマヨネーズよりも一般家庭に普及したのが古いこともあって、日本のソースは日本独自の調味料と言っても良いのではないかと思います。

ちょっと面白かったのは、英語版wikipediaでは日本のウィスターソースについて「ベジタリアンソース」と紹介されていること。イギリス式のウスターソースはアンチョビを使うのが主流で、日本のように野菜・果物をたっぷり使うということはありません。欧米ではベジタリアンやビーガン向けにアンチョビなどの魚不使用のソースを販売しているそうですから、魚を材料に含んでいないタイプの日本のソースはベジタリアン向けに感じられるのかな、と思ったり。