グレープフルーツは“禁断の果実”だった?!
名前の由来と原産地・歴史を紹介

グレープフルーツは“禁断の果実”だった?!<br/ >名前の由来と原産地・歴史を紹介

果物やジュースとして、日本でもオーソドックスな柑橘類の1つと言えるグレープフルーツ。輸入量や消費量の減少も報じられていますが、一年を通してスーパーなどでも入手しやすい果物です。また、健康的なイメージがあったり、ダイエットのお供というイメージを持たれている方もいらっしゃるのではないでしょうか?

今回はグレープフルーツという、直訳すると「ブドウ果物」という妙なネーミングから、グレープフルーツのルーツ・原産地や歴史について紹介します。

グレープフルーツとは? 概要と語源

グレープフルーツとは

グレープフルーツはミカン科に分類される柑橘類の一種。果物としてみるとオレンジやミカンよりも果皮が厚く、さっぱりとした中にほろ苦さがある味が特徴です。香りも甘くみずみずしい印象のオレンジと比べると、少しビターな印象があります。

そんなグレープフルーツの学名はCitrus × paradisi。2011年『American Society for Horticultural Science』に掲載されたゲノム研究では、グレープフルーツはブンタン(ザボン)とスイートオレンジの交配によって生まれた種であると発表されています[1]。グレープフルーツの風味は、スイートオレンジよりもブンタンのほうが近いですね。万人受けするミカンと比べると、このビターな風味は好き嫌いが分かれるところ。

グレープフルーツの果肉の色は3種類

グレープフルーツにも品種は沢山ありますが、果肉の色で大きく三種類に大別されています。

  • 白(ホワイト)
  • ピンク
  • 赤(ルビーレッド)

ただし、日本でレッドグレープフルーツはあまり流通していません。白肉系グレープフツーツをホワイト、それ以外の赤肉系グレープフルーツを総称して「ルビー」と読んでいる場合もあります。

ちなみに、ピンクグレープフルーツは少しオレンジかかった柔らかいピンク色、ルビーグレープフルーツはやや暗く紫がかった果肉の色をしています。この果肉の色の違いは、果肉に含まれているカロテノイド系色素の違いによるもの。ピンクグレープフルーツはβカロテンが、ルビーグレープフルーツにはリコピンが含まれています[2]。

グレープフルーツは何故グレープ(ぶどう)? 由来は

私達が普段呼んでいるグレープフルーツという名前は、英語Grapefruitをそのままカタカタにしたものです。この英語はGrape+fruitを組み合わせた造語。Grape(グレープ)はブドウのことですが、グレープフルーツの見た目・風味どちらにもブドウっぽさはありませんよね。

グレープフルーツの“Grape”の由来については、断定されていません。
グレープフルーツという呼称が初めて登場するのは1814年、博物学者のジョン・ルーナンが著した『Hortus jamaicensis』内の記述。彼は「ブドウに似たフレーバーであるため」と記録に残しています[3]。

ただ、ご存知のようにグレープフルーツの味がブドウに似ているかといえば微妙。このため、後に「ブドウの房のように、グレープフルーツも木に果実が房状になる」ことが由来という見解が発表され、現在はそちらが主流になっています。

実は色々ある、グレープフルーツの呼称

グレープフルーツという言葉が残っているのは1814年以降ですが、それよりも前からグレープフルーツの存在は知られていました。昔、グレープフルーツはブンタン(サボン)の仲間と考えられていました。ブンタンは英語でShaddock(シャドック)。このため、1800年代までグレープフルーツは”Shaddock”や”Smaller Shaddock(小さいシャドック)”と呼ばれていました。

また、スペイン語圏ではグレープフルーツのことをポメロ(pomelo )やトローニャ(toronja)と呼みますが、pomeloもまた元々はブンタン(ザボン)を指す言葉。オランダ語のpompelmoesやイタリア語のpompelmoなども同じくザボンを指しているので、西洋でグレープフルーツは「ザボンの仲間だろう」と認識されていたことがうかがえますね。

グレープフルーツの起源と歴史

グレープフルーツのイメージ1

グレープフルーツの誕生は17~18世紀頃?

ブンタン(ザボン)とスイートオレンジが交配してグレープフルーツが誕生した、その場所や時期などははっきりと分かっていません。ただ、グレープフルーツが誕生したきっかけとなったのは、1693年にシャドック(Shaddock)というイギリスの船長が、いくつかのブンタンの種を東インド諸島から西インド諸島に輸送したことと考えられています[4]。

ちなみに、スイートオレンジの方は1500年前後に、既にアメリカや西インド諸島に持ち込まれています。1493年にクリストファー・コロンブスがオレンジを植えたと伝えられるイスパニョーラ島も、西インド諸島中部にありますしね。この西インド諸島に持ち込まれた柑橘類の樹木が、自然に交配することでグレープフルーツという種が誕生しました。

オレンジの歴史についてはこちら>>

グレープフルーツの“発見”は18世紀

グレープフルーツの歴史は1750年、博物学者でもあるグリフィス・ヒューズ(Griffith Hughes)牧師によって西インド諸島のバルバドス島の果物として記録されたところから始まります[5]。このため、バルバトス島で誕生したのかは断定されていないものの、便宜上グレープフルーツ=バルバトス島原産と表記されることが多くなっています。

グレープフルーツを“発見”したとされるグリフィス・ヒューズ牧師は、著書『Natural History of Barbados』の中で下記のように記しています。この時にグレープフルーツという呼び名はまだ存在せず、彼はグレープフルーツについて“禁断の果実(forbidden fruit)”というタイトルを付けています。

FORBIDDEN-FRUIT-TREE

The Trunk, Leaves, and Flowers of this Tree, very much resemble
those of the Orange-tree.
The Fruit, when ripe, is something longer and larger than the largest
Orange; and exceeds, in the Delicacy of its Taste, the Fruit of every
Tree in this or any of our neighbouring Islands.
It hath somewhat of the Taste of a Shaddock; but far exceeds that, as
well as the best Orange, in its delicious Taste and Flavour.

出典:The Natural History of Barbados.

直訳すると、「この樹木の幹、葉、花はオレンジによく似ている。熟しているときの果実は、オレンジよりも長くて大きい。そして、その味は繊細で、近隣の島のすべての木になる果実を超えている。シャドック(ブンタン/ザボン)に多少似た風味だが、それよりも遥かに美味しく、最高のオレンジさえも超える」といったところでしょうか。

“禁断の果実”なんて名前をつけていることも考えると、相当に美味しく感じたんでしょうね。

グレープフルーツのイメージ2

それから約40年語、1789年にはジャマイカに医師として定住していたアイルランド人のパトリック・ブラウン(Patrick Browne)がググレープフルーツについて報告を残しています。パトリック・ブラウンは医師であり、植物学者でもありました。彼はグレープフルーツのことを“禁断の果実(forbidden fruit)”または“小さなザボン(smaller shaddock)” と呼び、ジャマイカのほとんどの地域で成長していることを報告しました[5]。

アメリカでの栽培は19世紀から

現在、グレープフルーツの産地としては、ジャマイカよりもアメリカのほうがイメージがありますよね。アメリカでグレープフルーツが栽培されるようになった始まりは、1823年、フランスのオデット・フィリップ(Odette Phillipe)伯爵がグレープフルーツの種をフロリダ州タンパベイ近くに運び、栽培を試みたこと[5]。

この種は順調に成長し、グレープフルーツの種子は近所にも配られました。しかし、当時の人々にとって果皮の厚さなどは馴染みがなく、食用の果物としては定着しませんでした[4]。珍しい観賞用樹木というような感覚だったのでしょう。ともあれ、グレープフルーツの樹木自体は栽培され、ブドウの房のように果実をつけて成長することも知られていったことが、グレープフルーツという呼び名の普及にも繋がっていったと考えられます。

グレープフルーツが果物として普及する契機が訪れたのは、1870年。フロリダ州オレンジカウンティに住んでいたジョンA.マクドナルドが、グレープフルーツに目をつけ、初のグレープフルーツ果樹園を設立したことです。ここから本格的なグレープフルーツの栽培がスタートし、1885年にフロリダからニューヨークとフィラデルフィアにグレープフルーツが出荷されました[4]。

この出荷によりグレープフルーツへの関心が高まり、商業的な栽培が徐々に活発化していきます。1910年までにはテキサス州リオグランデバレーとアリゾナ州・カリフォルニア州でもグレープフルーツの栽培に成功しています。

果肉が赤いグレープフルーツは突然変異

果肉が赤っぽい色をしたグレープフルーツが発見されたのは、20世紀初頭。1913年、フロリダ州にあったマーシュという品種のグレープフルーツの木から、果肉がピンク色の果実が発見されました[5]。突然変異によって通常よりもβカロテンを多く含むようになったこの木は、ピンクマーシュもしくは農園の持ち主の名前からトンプソン(Thompson)と呼ばれるようになります。

このピンク色の果肉をもつトンプソンを栽培していく中で、より濃いピンク色をつける種が確立されていきました。1929年には「ルビーレッド」、1931年には「レッドブラッシュ」と、珍しく価値が高かった赤肉系グレープフツールは特許も取得されています[2]。

テキサスでも1930年代半ばに、フォルスターという品種の木から果実に赤みがかった突然変異が発見されます。こちらはルビーレッドよりも赤色の濃い「スタールビー」の元になる品種[5]。当時珍しく貴重だった事、需要が高かったこともあり、テキサスでは赤肉系グレープフルーツの栽培が中心になってきます。1962年には州によって白とピンクのグレープフルーツの栽培が禁止されたこともあります[6]。ちなみに、1993年にはテキサス・レッド・グレープフルーツがテキサス州のフルーツとして公式に認められていたりしますよ。

日本のグレープフルーツ

日本でグレープフルーツが普及するようになったのは、1971年のグレープフルーツ輸入自由化以降のことです。それ以前にもグレープフルーツの存在自体は伝わっていたのですが、気候等の問題から国内で栽培に適した地域は少なく、また輸入果物としては高価だったので、一般庶民には手の届かない存在だったようですよ。

20世紀後半に輸入グレープフルーツがお手頃価格で出回ると、食卓のフルーツとして定着。多くの家庭で食べられていたグレープフルーツですが、2000年頃をピークに消費量は減少していきます。ジュースや酎ハイ・お菓子などで口にすることはあっても、グレープフルーツという果物を食べる機会は確かに減っているように感じます。

【参考サイト】

  1. Genetic origin of cultivated citrus determined: Researchers find evidence of origins of orange, lime, lemon, grapefruit, other citrus species
  2. Red Grapefruit – A Sweet Mutation Story
  3. Citrus ID: Fact Sheet: Grapefruits (Non-pigmented)
  4. The Nibble: Grapefruit History
  5. Morton, Julia Frances (1987). “Grapefruit, Citrus paradisi”
  6. A Brief History of the White Grapefruit

グリフィス・ヒューズさんがオレンジを超える美味しさだ、と絶賛し、禁断の果実なんてタイトルを付けてしまったグレープフルーツ。アメリカでは定番の果物の1つですが、日本ではニュースになるくらい消費量が激減しているんですね。「甘さ」が評価される風潮もありますし、苦味が苦手な方もいらっしゃるような気はします。

自分はグレープフルーツダイエットが話題になった世代の人(笑)。かつ苦味も好きで、お値段的にもありがたいフルールだと思っていますが…何個もゴロゴロと買ってくることは最近無いなぁ、と書きながらしみじみ思ってしまいました。どこかのTV番組がダイエットで取り上げたら、またブームになったりして。