フルーツケーキ(プラムケーキ)は嫌われ菓子?
-起源と歴史・クリスマスとの関係は

フルーツケーキ(プラムケーキ)は嫌われ菓子?<br />-起源と歴史・クリスマスとの関係は

日本では洋菓子ギフトセットでよく目にするフルーツケーキ。生の果物が使われているケーキではなく、ドライフルーツを混ぜ込んだパウンドケーキ系の焼き菓子の方です。このフルーツケーキ、実は欧米ではクリスマスに食べられる伝統的なお菓子の一つでもあります。古代から脈々と受け継がれてきたフルーツケーキの歴史を見ると、各国で似たフルーツケーキがお祝い菓子感覚で食べられている理由もわかるかもしれません。

フルーツケーキについて

フルーツケーキとは

フルーツケーキはバターケーキ・パウンドケーキなどにドライフルーツもしくは果物を漬け込んだものを混ぜて焼いたものを差します。日本語と英語では若干ニュアンスが違い、日本ではフルーツケーキ=果物を使ったケーキという意味で使うのが一般的。このためスポンジケーキにフレッシュフルーツを乗せたもの・生の果物入りロールケーキなどもフルーツケーキと呼ばれることがあります。

しかし、英語の場合は“fruit cake”と“fruitcake”という言葉は別物のよう。一つの言葉的に“fruitcake”と表記されている場合は、保存の効く状態に加工された果物・ナッツ・スパイスを生地に練り込んで焼いたものを指すのが一般的のようです。使用される果物はドライフルーツ・砂糖漬け・ラムやブランデーなどの洋酒に浸したもの・煮てジャムにしたものなどフレッシュフルーツではないもの全般。また、英語版wikipediaでは「Fruitcake (or fruit cake or fruit bread)」と書かれているようにパンに近いものもフルーツケーキに含まれます。

プラムケーキ=フルーツケーキ?

フルーツケーキの一種には“Plum cake(プラムケーキ)”と呼ばれる種類があります。ヨーロッパの国の大多数でプラムケーキは新鮮な西洋すもも(プラムもしくはプルーン)を使ったケーキもしくは焼き菓子のことを指します。ドイツのPflaumenkuchen(フラウメンクーヘン)もしくはzwetschgenkuchen(ツヴェチケンクーヘン)と呼ばれる焼き菓子や、フランスのPâté aux prunes(パテ オ プリュンヌ)というタルト系のお菓子が代表的です。

しかし、イギリスやイギリス文化の影響を受けている国では別。
17世紀頃のイギリスではプラムだけではなくレーズンなどのドライフルーツ類も合わせて「Plum」と呼ばれていたことから、フルーツケーキと同じような意味合いでプラムケーキという言葉が使われます。プラムケーキと言うのにプラム/プルーンが入っていないものもあります。クリスマスに食べられることの多いプラムプディングも同じくプラムを使っているとは限らない、むしろレーズンを使っているものの方がポピュラーなのだそう。言葉の綾と言うか…紛らわしいですね。

イギリス式プラムケーキも果物の砂糖漬け・ジャム・洋酒漬けもしくはドライフルーツを生地に混ぜ込んでおり、スパイスもしっかりと効かせています。このためフルーツケーキとプラムケーキは同じものを指す言葉として使われる、というわけですね、そのほか細かく刻んだフルーツのラム酒漬け+カラメルや糖蜜を混ぜ込むことで生地を焦げ茶色にした“ブラックケーキ(black cake)”というものもあります。こちらは生地の色が特徴的なので分かりやすいですが、フルーツケーキ/プラムケーキの一種と扱われることが多いようです。

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フルーツケーキはクリスマスの定番だが…

フルーツケーキという言葉はパンに近い焼き菓子も含まれており、イタリアのパネトーネ、ドイツのシュトーレン、アイルランドのバームブラックなどもフルーツケーキの一種として扱われています。アイルランドのバームブラックはハロウィンの行事食ですが、シュートレーンとパントーネはクリスマス時期に多く食べられるお菓子。上記のブラックケーキについてもジャマイカなどのカリブ海地域でクリスマスやお祝い事があったときの伝統的メニューの一つとされています。

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イギリスでも円形に焼いたフルーツケーキ(プラムケーキ)、もしくはその表面をマジパンやアイシングでコーティングしたケーキが伝統的なクリスマスケーキとして親しまれています。イギリスによる植民地支配を受けていたインドやオーストラリア・カナダなどでも同様にクリスマスにフルーツケーキが食されてきました。そのほかポーランドでは“Keks”、ルーマニアやブルガリアでも“Cozonac(Kozunak)”と呼ばれるドライフルーツ入りの菓子パンがクリスマスを含む主要な祝日に用意されるそう。ポルトガルにはフランスのガレット・デ・ロワのような感覚でクリスマスシーズンに食べられているフルーツケーキ“Bolo-rei”もありますし、イースターにも使う・イースター用として別のフルーツケーキのレシピが存在しているという国も少なくありません。

欧米文化圏でフルーツケーキは単なる焼き菓子ではなく、伝統的なクリスマス・お祝い事があるときのデザートとして親しまれていると言っても過言ではないでしょう。その時期には手土産としてフルーツケーキを持参することもあるようですが、アメリカやカナダでは嫌う方が増え人気は年々低下している・最も嫌われているケーキであるという指摘もあります。そのせいか1月3日は「National Fruitcake Toss Day」とされており、コロラド州などでは不要なフルーツケーキを投げるという競技(?)も行われています。この記念日は“クリスマス後に不要なフルーツケーキを取り除く手助け”として作られたと紹介されています…なんだか悲しい気持ちになりますよね。

The Village Voiceの記事によるとクリスマス前の時期にパネトーネやシュトーレンを買える店舗は多くても、フルーツケーキを買える店はほとんどないそう。アメリカでフルーツケーキが嫌われる理由は「レンガのように重く、異様に甘く、パサパサして美味しくない」からだそう。アメリカで標準的なフルーツケーキはだいたい2ポンド=900g程度で、大きいものだと4ポンドもあるようです。筆者はアメリカでクリスマスに販売・贈答されるフルーツケーキを食べたことがないので恐縮ですが、アメリカのケーキ類は普通でも砂糖甘かった記憶があります。日本人からするとドロ甘のケーキを普通に食べている人たちが嫌がるって…。

余談ですが、同サイトでは年中販売されているフルーツケーキとして“日本の高島屋”が紹介されていたりします。確かに焼き菓子的なフルーツケーキは日持ちが良いので、高島屋さんに限らず百貨店やスーパー・洋菓子店などのギフトカタログには一年を通して高確率で掲載されていますよね。時々我が家に送って頂けるのは美味しいものですし、貰っても捨てる・大嫌いという方もそこまで多くないから定番ギフトになっているのかなと。英語以外のサイトは読めないので未確認ですが、調べた限り北米以外でクリスマスの伝統的なフルーツケーキ類がそこまで嫌われている様子は無さそうです。

フルーツケーキの起源と歴史

フルーツケーキの起源は紀元前まで遡る

古くから食されている他の食べ物と同様、フルーツケーキの起源についても断定はされていません。一説では古代エジプトでは既にフルーツケーキのようなもの=ドライフルーツやナッツ・蜂蜜などを混ぜ込んだケーキもしくはパンが焼かれていたと言われています。このフルーツケーキ類の原型とも言える食べ物は亡くなった人に捧げられたと推測されています。乾燥果実・種子と蜂蜜を使った日持ちの良い食べ物は死後の世界を旅するのに適していると思われていたそう。また、ドライフルーツとナッツは富の象徴とされ、転じて亡くなった人に対しての親族の愛や尊敬を伝えるアイテムとして使われるようになったのではないかとも考えられています。

ドライフルーツのイメージ

このパンがイタリアのパネトーネ、ドイツのシュトーレン、東欧のコゾナックなどフルーツケーキにカテゴライズされる菓子パン類の共通の祖先ではないかと目されています。余談ですが、酵母を使って発酵させる現在のような「発酵パン」の発祥も古代エジプト。発酵パン製造技術は後に古代エジプトから古代ギリシャへと伝えられました。ドライフルーツやナッツを練り込んだパンも紀元前のうちに古代ギリシアに伝わり、蜂蜜・レーズン・クルミを練り込んだパンが“plakous(πλακούς)”と呼ばれるようになります。

生地を発酵させた柔らかいパン生地の作り方を獲得したギリシア。古代ローマもこのパン製造技術を欲し、時にはギリシアのパン職人を自国に拉致することもあったと伝えられています。ギリシアから発酵パン作りを習得したローマ人たちは彼らなりのアレンジを加えていき、その中でレーズン・ザクロの種・松の実などのナッツ類・ハニーワインを大麦のマッシュ混ぜて平らな円形に焼いた“satura”というケーキが作られるようになります。古代ローマ帝国のレシピ本『アピシウス(De re coquinaria)』に掲載されておりレシピが分かること・古代ギリシアの“plakous”よりも現在のフルーツケーキに近いことから「フルーツケーキの起源は古代ローマにある」と紹介している書籍・サイトもあります。

こローマのフルーツケーキと言える“satura”は贅沢な一品としてお祭りでも使用されるようになったほか、日持ちが良く栄養補給にも適しているとエネルギーバー感覚でローマ軍が遠征する際にも用いられました。絶頂期の古代ローマ帝国は周辺地を征服しただけではなく広範囲に遠征もしていましたから、その関係で発酵パンの製造技術・フルーツケーキもユーラシア大陸西側の広範囲で定着していきました。おそらくローマ以外の地域でも日持ちがよく、乾燥果物や蜂蜜などをふんだんに使った甘いもの=贅沢品として特別な日に用意されたのでしょう。

プラセンタの語源もフルーツケーキと一緒?

現在美容関係で目にする機会の多いプラセンタ(Placenta)は直訳すると胎盤のこと。実際に豚や馬などの胎盤から抽出された成分が化粧品やサプリメントなどに使われています。このプラセンタという単語の語源を調べると、古代ローマの料理“Placenta cake”の存在が登場します。元々古代ギリシアでは平たいことを“plakous”と表現し、ナッツと蜂蜜を入れて焼いたケーキも平べったい形だったことから“plakous”と呼ぶようになったようです。胎盤も似たような形状をしていることから同じ言葉で表現され、別の言語へと取り入れられていく中でプラセンタ(Placenta)へと転化したのでしょう。ちなみに古代ローマのプラセンタケーキはプラセンタケーキはチーズと蜂蜜を混ぜ込んだ生地を層状に重ね、焼いてから蜂蜜でコーティングしたもの。チーズケーキのルーツとも言えそうな食べ物ですね。

中世に入るとスパイスが加わった

中世に入ってもドライフルーツや蜂蜜を練り込んだケーキはヨーロッパ中で親しまれていました。まだ現在のように豊富な食べ物があったわけではない時代、糖質が多く甘いケーキは嗜好品としても栄養源としても高く評価されていたのでしょう。祝日や結婚式など家庭でのお祝いに使われていただけではなく、十字軍もまたローマ兵士と同じ様にフルーツケーキを持って中東まで遠征したと伝えられています。

ヨーロッパ、特に北ヨーロッパには当時まだ柑橘類もスパイスも砂糖もほとんどありません。しかし十字軍が遠征した先の中東地域には様々な柑橘類やデーツ、そして砂糖とシナモン・ナツメグ・クローブなどの甘い香りを持つスパイスがありました。きっと当時のヨーロッパの人々にすれば衝撃的だったのではないでしょうか。彼らはこうした果物やスパイスを自国へと持ち帰り、戦時以外にはそれを欲した人々によって貿易も盛んに。生の果物は腐ってしまうため乾燥させ輸送するようになり、ご馳走として食べるものには珍しい果物やスパイスを加えることが流行します。

また、こうした乾燥フルーツ・香辛料は聖地エルサレムの近くからやってきたという事もあって、よりクリスマスやイースターなどのキリスト教行事の中で重用されるようになったのではないかという見解もあります。ともあれ、十字軍による遠征が行われるようになった11世紀頃からフルーツケーキやクリスマスプディング・ミンスパイなどは、現在食べられているものにより近付いたと言えます。イタリアのパンフォルテ、ドイツのシュートレン、ルーマニアやブルガリアで食べられているコゾナックなどの独自のフルーツケーキ・パン類が作られるようになったのも11~15世紀頃と推測されています。

フルーツケーキ(シュトーレン)イメージ

加えて15世紀頃にはマデイラ島とカナリア諸島でサトウキビの栽培がスタートし、ヴェネチアを中心とした砂糖の流通が行われるようになります。とは言え、当時の砂糖は高価で「風邪を治し、胃の働きを良くし、肺の苦痛を和らげる」と薬効を持つ薬に近い食材として扱われていたほど。しかし16世紀に入るとアメリカやカリブ海地域の植民地化が行われ多くの砂糖工場が設立され、果物を砂糖に漬けるという保存法も普及していきます。18世紀頃までは砂糖は贅沢品とされていましたが、それ以前から特別な日のご馳走・保存食作りには利用されていたようです。

18世紀以降イギリスで人気に

17世紀頃にはスパイスや砂糖の流通量も増え、ヨーロッパ各地ではナッツ・フルーツ・砂糖をたっぷりと使ったフルーツケーキが焼かれるようになっていました。収穫したナッツと果物を使ってフルーツケーキを焼き、収穫・豊作の象徴として翌年まで保存するという風習があった地域もあるようです。その年の収穫祭には前年に作ったものを食べるのだとか。これもまたフルーツケーキの保存性の高さを語るエピソードでもありますね。

イギリスでも17世紀後半頃には当時plumと呼ばれていたレーズンやカラントなどのドライフルーツを混ぜ込んだ、プラムケーキ(フルーツケーキ)が食べられていたことが分かっています。18世紀初頭からバターと砂糖をふんだんに使ったフルーツケーキ類はヨーロッパで「罪深い贅沢品」と見做され禁止された時期もあるようですが19世紀に入るとイギリスでは結婚式や休日などの特別な行事のためにフルーツケーキを作ることが大流行します。これは禁止が解けたと言うだけではなく、材料の価格低下・ケーキ製造技術の工場も関係していると考えられます。家庭の結婚式でも「花嫁のケーキ」と呼ばれるフルーツケーキが用意され、未婚のゲストはこれをお土産にもらってに枕の下に敷いて寝ると夢で結婚相手を見られるというジンクスもありました。

ところで、19世紀のイギリスと言えばヴィクトリア朝。1840年にヴィクトリア女王が自らの結婚式で純白のウェディングドレスを身にまとい、白くアイシングで装飾したウェディングケーキを用意しています。ホワイトウエディングとも称される現代の結婚式スタイルが確立し定着したのも、ヴィクトリア女王の結婚式から始まっているというのが定説となっていますね。このヴィクトリア女王の結婚式で用意された巨大なウェディングケーキ、当時は国民から不評で「フルーツケーキのオバケ」と揶揄されたという逸話もあるようにアイシングの中身は砂糖漬けのフルーツやナッツを生地に入れて焼いたもの=フルーツケーキだったことが分かっています。それ以外にもヴィクトリア女王は誕生日に受け取ったフルーツケーキを食べるのに1年待ったなんていう逸話もありますし、ティータイムのお菓子としてもフルーツケーキがよく使われていたそうですよ。

ウェディングケーキの歴史はこちら>>

アメリカのフルーツケーキ

イギリスからアメリカやカナダ・オーストラリアなどの英国植民地にもフルーツケーキ(プラムケーキ)は持ち込まれ118世紀末頃から食べられてきました。長い船旅での食事として保存の効くフルーツケーキが食された、単身赴任のような形で英国植民地で働いていた男性に家族がクリスマスカードやワインと共にフルーツケーキを贈ったという見解もあります。当時は今ほど人や物が短時間で別の地域に移動できなかった関係上、何年でも持つくらいの保存性はフルーツケーキのアドバンテージだったのではないでしょうか。東海岸の初期のアメリカ人入植者にとって、フルーツケーキは幸福の象徴であったという説もあります。

イギリス人入植者たちはクリスマスや公現祭の夜(十二夜)などの宗教行事から、結婚式まで英国式フルーツケーキ(プラムケーキ)をお祝い事に広く使用しました。祝日・お祝い事のかなり前から作り置きが出来るという部分も便利だったのでしょう。18世紀には町の会議や選挙に出席するようにと選挙日にプラムケーキが用意されていたことから“ElectionCake(エレクションケーキ)”とも呼ばれるようになりました。この時に作られたケーキは糖蜜・レーズン・スパイスが混ぜ込まれていたようで、後にブランデーも加えられたそうです。糖蜜が使われているので現在オーソドックなフルーツケーキよりはブラックケーキに近いように思います。

ヨーロッパではドライフルーツを使ったフルーツケーキが食べられてきましたが、アメリカでは大量に輸入され色がきれいな砂糖漬けの果物“glace fruit(Candied fruit)”が多く使わる傾向もあったそう。20世紀に入るとアメリカは産業の発達・大量生産時代に入り、安く大量に生産することに重点が置かれたフルーツケーキが多数登場。この頃に人々は家庭で受け継がれてきたレシピではなく、工場生産されたフルーツケーキを食べるようになっていきました。フルーツケーキは不味いから嫌い、というのも低品質な量産を食べているせいだという指摘もあります。また、イギリスから独立した=イギリス文化に対するヘイトも含まれているのではないかという声もあったり。

フルーツケーキがクリスマスの定番となった理由

フルーツケーキがクリスマスの定番となったヒントは歴史にあるように感じます。まず、古代エジプトから脈々と貴重なもの・富の象徴と考えられてきたドライフルーツやナッツを使った“特別な食べ物”だったということが挙げられるでしょう。小麦粉・香辛料・お酒・砂糖などその時代に贅沢品だったものが盛り込まれるようになっていったこと、18世紀初頭に贅沢品として規制されたこともその裏付けになります。香辛料が中東方面=聖地エルサレム周辺のものでキリストに関わる行事に適していると考えられたという説も、有り得そうな気はします。

更にもっと原始的な部分として、古い時代は作物の栽培・保存技術が格段に劣っていたということも考えられます。冬至祭の日程に合わせたという説もあるクリスマスの時期、ご馳走を作ろうと思っても用意できる食材は穀物・加工した肉・ドライフルーツなど保存の効くもののみでした。保存性の高いフルーツケーキは冬に用意できる食べ物であり、クリスマスシーズンに消費しなくても保存食として役立ったのではないかなと思います。地域によってはフルーツケーキ類がイースターやハロウィンにも用意されていますが、イギリスや北米でフルーツケーキがクリスマスに限定された理由にももしかすると保存性の関係があるのかも。

また、19世紀後半までイギリスでは十二夜のお祝いが盛んで“Twelfth Night Cake”と呼ばれるアイシングで装飾されたフルーツケーキが定番だったという背景もあります。フランスのガレット・デ・ロワと同じような感覚で、クリスマスシーズンの終わり・新年お幕開けをお祝いするケーキという感じですね。しかしロンドンでは十二夜のお祭りが過激な乱痴気騒ぎのようになってしまったことで、1870年代にビクトリア女王はこの祭りを禁止したそう。十二夜の“Twelfth Night Cake”を販売していたお菓子屋さんは損失を被らないようにとクリスマスにこれを売り出すようになり、その利益の大きさからクリスマスケーキ商戦が盛んになっていたのではないかという説も囁かれています。日本でもクリスマスはケーキ屋さんの稼ぎ時。伝統+利益的利点によって現在まで続いているという部分もあるのかもしれません。

参考サイト:
Fruitcake 101: A Concise Cultural History of This Loved and Loathed LoafUltimate Guide to FruitcakeWhy Do We Hate Fruitcake So Much?

アメリカでは「迷惑なクリスマスの贈り物」扱いのフルーツケーキ。しかし色々調べていると「自家製(家庭のレシピで作ったもの)は美味しい」と言っておられる方もおり、砂糖漬けのフルーツやピーカンナッツなどを大量に使って低品質なものを大量生産した企業が悪いのではという指摘もありました。日本で使われているギフトセットのフルーツケーキはしっとりしていて美味しいですが、輸入食品で安価のフルーツケーキ(?)には「ドライフルーツ入りパウンドケーキが干からびた」と称したいハズレも。もっと商品として味の改良・工夫をしたら憎しみまで抱かれるものにはならないんじゃないかと無責任に言ってみる。日本のクリスマスケーキとは比べ物にならない歴史があるのに勿体ないですよね。