初詣の意味や由来、参拝作法とは
-初詣の期間はいつまで? 喪中は?
老若男女問わず、お正月には初詣に行くという方が多いのではないでしょうか。お正月行事の全てを慣例通り行っているというわけではなくとも、おせち・年賀状・初詣は生活に定着していると言っても過言ではないように思います。パワースポットブームの影響もあり「〇〇神社は〇〇に良い」となると人が殺到したり、毎年ご利益のあるオススメ神社ランキングなども紹介されていますしね。
お正月に寺社にお参りすることが初詣ということは周知のことかと思いますが、初詣は何のために行くのか・きちんと参拝のマナーを知っているかと言われたら…自信を持ってイエスと言えますか? 初詣は古い形から人々に合わせて臨機応変に変化していった行事なので様々な説があり「これが絶対だ」とは言えませんが、その由来や参拝作法・おみくじを引く時のマナーなどをご紹介します。
目次
初詣に行く理由・初詣の歴史とは?
初詣とは
初詣の「詣」は詣でる=神社・寺・墓などにお参り(参詣)することを意味しています。初につていは初物などと同じく“その年に初めて”のことを指しているため、言葉の意味としては年が明けてから初めて神社やお寺にお参りすることを言います。
初詣と言うと神様に新年のお願いをしに行く・ご利益を頂くために行くという方も少なくありませんが、初詣というのは神様にお願いをしに行くだけの行事ではありません。過去の一年お守り頂いたことを感謝して、新年もまたよろしくおねがいしますという祈願をするのが元々の形だと言われています。
初詣に行く意味・歴史とは?
日本古来の伝統のように感じられる初詣ですが、見方によってその歴史は平安以前とも、明治以降とも言われています。この幅の広さは初詣の起源である風習は古くから存在していたものの、初詣という言葉や自分の行きたい神社に参拝するということが定着した時期に差があるため。初詣をどの意味で捉えるかによって大幅に時代にズレが生じるというわけです。
初詣の起原には「年籠り(としごもり)」と呼ばれる、大晦日の夜から元日の朝にかけての期間を寺社に籠もって眠らずに過ごすという風習があると考えられています。いつ頃から行われていたかは定かではないものの、平安時代には既に年籠りが行われていた事が文献からわかっています。年籠りの仕方については地域差がありますが、簡単に言うと大晦日の夜を寝ずに過ごすこと。
余談ですが大晦日の夜は寝ないで過ごす・寝てしまうと白髪やシワが増えると言われているもの、この年籠り時代から続く伝統。0時(24時)で日付が変わる現代とは異なり、昔は日没が一日の終りと考えられていました。昼は人の時間・夜は神の時間であるという意識もありました。このため大晦日の夜は既に年が明けており新年(元日)に含まれていますし、一年の最初に当たる神様の時間でもあります。その大切な時間である大晦日の夜は、神様をお迎えするために起きていようということですね。
お家の中で年神様を待つという地域もありますが、夕方頃に氏神様のいらっしゃる所へ向って、夜明けまでそこに籠もって感謝を捧げたり祈願をするという方法が知られています。この場合は、家長のみが寺社に行き年籠りをするという地域が多かったようです。
この年籠りの風習は、時代と共に大晦日の夜の「除夜詣(じょやもうで)」と元日の朝の「元日詣(がんじつもうで)」という2つの行事へと別れていきます。この2つのうち元日詣が今日の初詣の原形となります。一般的に大晦日の夜の「除夜詣」は一年の感謝を捧げて古い一年を送り出すためのもの、夜明け後に行われる「元日詣」は旧年の感謝を捧げたり願掛けをするもの、と言われています。
初詣の原型となった「元日詣」は元々、お家の近所にある神社(地域の氏神)へお参りすることでした。それが江戸時代後半になると、その年の恵方に当たる寺社を詣でる「恵方参り(恵方詣)」という考え方が流行するようになります。恵方は古くは歳徳神が来臨する方向だったのですが、後に占術と合わさって「その方角に向かって事を行えば万事が吉」と考えられるようになったため、どうせ行くなら新年の恵方にある神社に行こうとなったわけですね。
江戸時代には自分の済む地域を守ってくれている氏神ではない神社を詣でる下地ができますが、それでも当時は家の近くの恵方にある寺社へ出向くことが多かったようです。遠くまでお参りに行くというのは一般的ではありませんでした。それが現在のように徒歩では難しいくらいのところまで足を伸ばすようになったのは明治以後、蒸気機関車などの鉄道が普及したことがきっかけという見方が主流です。初詣という言葉が使われるようになったのも大正にかけての頃のため、初詣という文化は明治以前には存在しなかったと解説されることもあります。
当時の人からすると鉄道に乗るというのは一大イベントでしたし、鉄道会社からも「汽車に乗って参拝に行くのが時代の最先端」というようなキャンペーンが行われていたそう。鉄道の目新しさとこの鉄道会社による宣伝が大当たりして、恵方にある有名な寺社まで初詣に行く方が増加したと言われています。しかし色々な沿線で神社仏閣が恵方として宣伝されたことで徐々に恵方に向くという感覚は薄れ、有名な神社に行くことが重視される傾向が強まっていきました。当時は旅行も気軽に楽しめるものではありませんでしから、初詣などの参拝を旅行の名目にしたという側面もあったような気がしますね。
ちなみに年籠りから分裂したもう片方である除夜詣。初詣が鉄道に乗って遠方まで出向くようになった明治中期以降は年籠り・除夜詣をせずに、元日詣(初詣)のみを行うことが増えたとも言われています。その後も除夜詣をして一旦家に戻り、元日詣に行くという「二年参り」が行われていた地域もありますが、現在は除夜詣という風習はほとんど残っていません。廃れたという言い方もできますが、大晦日の夜に神社に行って0時を過ぎ元日になったら参拝する…と初詣に内蔵された見方もできますね。「二年参り」についても一旦家に帰って再び出直すのではなく、深夜零時をまたいで神社仏閣に参拝・参詣することを指す言葉として使われています。
初詣はどこに、いつまでに行くべき?
初詣の期間はいつ?
初詣という言葉だけを捉えると「年が明けてはじめての参拝は何時だって初詣」とも言えますが、2月や3月に初詣に行こうという方はほとんどいません。初詣という行事の起原である年籠り・元日詣ということを考えると、元日である1月1日に行くべきだと言う方もいらっしゃるでしょう。
が、しかし。実のところ初詣の期限というものはありません。
年籠りという行事が変化していって初詣に、明治には元日詣(初詣)のみでもOKという考え方になったという話をご紹介しましたが、初詣にいく時期についても時代と共に元旦でなくとも元日であれば良い、三が日中であれば良い、松の内であれば良いと伸びていきました。
現在は年神様がいらっしゃる松の内(1月7日もしくは15日)までに参拝するという考え方が主流ですが、1月中であれば良いとか、年明け最初の参拝であればいつでも初詣になるという捉え方もあります。遅れると縁起が悪いとか、運が低迷するということは無いと言われています。遅くなったとしても敬意を持ってお参りすれば認めてくれるでしょう。破魔矢や護符などお正月期間限定の授与物もありますので、欲しいものがある場合は早めにお参りをする方が良いでしょう。
初詣は神社とお寺どちらに行く?
結論から言いますと、神社でもお寺でもどちらでも初詣が出来ます。
神様は神社にいらっしゃるような印象もありますが、明治に入るまで日本では神道・仏教・民間信仰(祖霊信仰)を一体化した神仏習合と呼ばれる考え方が一般的でした。神仏習合についてはそれだけで一冊の本では足りないくらい様々な説や信仰の変遷があるので割愛しますが、ざっくり言うと「神(祖霊を含む)と仏は同じもの」として信仰していたということ。宗教戦争も珍しくない他国の方からすると驚くべき宗教観ですよね。この考え方から初詣は寺社を選ばす、どこに詣でても良いということになっています。
初詣は2回行っても良い?違う寺社でも良い?
初詣はお寺でも神社でもどちらでも構いませんが、最初に自分の住んでいる地域の氏神(家の近くの神社)、もしくは菩提寺に行くべきだという意見があります。普段お世話になっている神様・仏様をすっ飛ばすのは失礼だ、という考え方です。確かに常日頃見守ってあげているのに、肝心な時に挨拶もなければやる気を無くしてしまいますよね。
でも希望するご利益のある神社にもお参りにいきたい・友達や恋人とも初詣がしたい、と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。そこで初詣は何回行っても良いのか・去年と違う寺社にお参りしても良いのかという点が気になりますが、こちらも好きなだけ行けば良いというスタンス。ご利益ばかりを求める参拝については否定的な見解も多いですが、基本的に何回行こうと、何処に行こうとそれは個人の自由とされています。
神社のはしごは良くない・お参りする寺社の組み合わせについても祀られている神様の来歴などから「これは避けたほうが良い」という方もいらっしゃいますが、それはあくまでも個人的な見解と言えます。日本の宗教は寛大なので、神社やお寺の側から「あそこに行ったなら、うちには来ないで」と言うことは一切ありません。神仏に対する敬意と感謝さえ持っていれば問題ありませんので、あとは自分が納得できるかどうかだけ。浮気をしているような後ろめたい気分になるならば、お参りされる神仏にも悪いので避けましょうというくらいのものですね。
初詣の時に押さえておきたい参拝のマナー
初詣は神社仏閣どちらでも、日にちも何日までという決まりはなくいつでもOK。最初に氏神もしくは菩提寺に行くのが良いと言われていますが、こちらもマストと言い切れるものではありません。別のところにお参りに行っても良い・複数回行っても良いと自由度が高いと言えます。しかし初詣の全てがフリーダムというわけではありません。特に気をつけたいのは参拝時のマナー。神様に対してだけではなく他の参拝客の方にもご迷惑になりますから、基本的なルールは守るようにしましょう。
初詣の参拝作法・マナー(神社)
鳥居をくぐって参道を歩く
神社に来たら、まず鳥居をくぐる前に一礼します。この礼は正式には「一揖(いちゆう)」と言い、軽くおじぎをすること。鳥居は神域である神社の境内との境界(結界)とされていますから、簡単に言えば鳥居をくぐるのは神様の領域に立ち入らせて頂くということ。もっと砕けて言えばお家に訪問するようなものなので、いきなりズケズケと入っていくのは礼を失することになります。同じ様にお参り後に出ていくときも一揖します。
鳥居をくぐると拝殿までの参道があります。参道を歩いてお参りに行くわけですが、参道の真ん中は「正中(せいちゅう)」と呼ばれる神様の通り道でもあります。このため参道のど真ん中は神様のために空け、私達は参道の端の方を通るようにします。手水舎の配置などでの関係で反対側に横断したい時には、軽く頭を下げながら通るか、神殿に一礼してから横切るようにするのがベストです。
よく「神社への参拝は上司のお宅に伺うような感覚」でと言われますが、これは非常に分かりやすい例えです。玄関でお邪魔しますも何もなく、廊下のど真ん中を大声で喋りながら入っていったら…印象悪いですよね。ここから先も色々と参拝の決まりがありますが、基本的には目上の方のお宅を訪ねているので失礼のないようにということを頭に入れておけば大きな失敗はしないはずです。
手水舍で手水を行う
参道を進んでいくと手水舎と呼ばれる、水盤と柄杓が置かれた場所があります。手水舎は神様にお参りをする前に、心身を清めるための場所。単純に手を洗おうというわけではなく、目に見えない穢れであったり罪を払うための場所です。
本来は川などで全身を清める“禊(みそぎ)”を行ってから参拝をしていましたが、現在では立地や衛生面などの問題もあり難しくなりました。つまり手水舎は簡略化されていますが、禊を行う場所と言えます。有名な神社では鳥居の外まで行列が出来ていて、列から外れて手水とるのはちょっと勇気が必要なところもあります。が日本の神様はとにかく穢を嫌う(と言われています)から、きちんと身を清めてからお参りするようにしましょう。
手水の手順は…
- 手水舎に一揖(一礼)する
- 右手で柄杓を持って水盤から水を掬う
- 掬った水を左手にかけることで清める
- 柄杓を左手に持ち替えて、右手を清める
- 柄杓を右手に持ち替え、左手に水を少しためる
- 静かに口をゆすいで、下に水を吐き出す
- 改めて左手を清める
- 柄杓を立てて、残った水を柄杓の柄に垂らし洗う
- 柄杓を下向きにして元の位置に置く
こう書くと沢山やることがあって覚えられない!と感じるかも知れませんが、左手→右手→左手で水をすくって口→口をつけた左手→自分が持っていた柄杓という順番で清めるだけ。左を最初に清めると覚えておけば、後は自然な流れで出来ますよ。最後の柄を洗うあたりが、後に使う方のこと考えた日本人らしい配慮を感じられて素晴らしいと思います。
注意点としては使用する水は柄杓一杯分のみということ。途中で汲み足すのは好ましくありませんので、各動作で使う水は少しずつでOKです。物質的にも綺麗なのに越したことはありませんが、手水は目には見えない穢れを清めるための行為。周囲の方に迷惑になるくらいバシャバシャと水を使う必要はありません。
また口を濯ぐ際に、柄杓に口をつけるというマナー違反な行為は絶対にしてはいけません。これは神様に対してだけではなく、後に使う方にとっても非常に迷惑な話。周囲の方や後に手水舎を使う方を不快にするような自己中な行為は、穢れが清められるのではなく上書きされることになりかねません。きちんと他の人のことも考えて、美しく心身を洗い清めるようにしましょう。
神殿に参拝する
神社の前についたら一揖(軽く一礼)してから、鈴を鳴らして賽銭を入れます。鈴を鳴らすタイミングとお賽銭を入れるタイミングが逆にかかれている文献もありますが、これはどちらが先でも問題ありません。気をつける点は鈴とお賽銭の順番ではなく、お賽銭を投げ込まないということ。お賽銭は神様に献上するものですから、投げ入れるという行為は失礼に当たります。目上の方に差し上げることを意識しましょう。ちなみに鈴を鳴らす意味については、神様にお参りに来ましたということを伝えるためだという説と、鈴の音で邪気・悪霊を払うという説があります。
鈴を鳴らしてお賽銭を入れたら、神様に拝礼します。神社により違いがありますが、一般的な参拝の作法としては「二拝二拍手一拝」となっています。よく二礼二拍手一礼と言われますが、正式には礼ではなく「拝」です。この「拝」というのは腰を90度折った、深いお辞儀のこと。別に唱えながら行うわけではないのでどちらで覚えていても問題はありませんが、要は神様に敬意を払ってしっかりと深くお辞儀をするようにしましょう。
お祈りをするタイミングは二拍手の後。
まずしっかりと二度深く礼をして敬意を表した後、一度胸の高さで手を合わせてから右手を少し下にずらした状態で二回手を打ち合わせます。柏手を打ったら手をピッタリと合わせて、お祈りをします。祈り方については諸説ありますが、神様にひたすらお願い事を言うのは避けましょう。名前を名乗ってから日頃の感謝を伝えるのが第一で、なにか努力していることがある場合は「頑張っていますので成果が出るようにお導きください」という姿勢でいきましょう。
祈り終えたら祈りを聞いてくれたことに感謝しながら深く一礼して、神様をお送りします。その後はおみくじを引くなり、破魔矢や熊手を買うなり、お好きに境内で過ごしてください。帰る時には鳥居のところで再び一揖するのを忘れないようにだけ気をつけて下さいね。神様から頂いたパワー(ご利益)を逃さないように帰りは寄り道しないほうが良いという説もありますので、願掛けをした方はまっすぐ帰るようにすると良いかも知れません。
より正式な参拝方法には、社務所などで申し込みをして拝殿もしくは神楽殿で参拝する「昇殿参拝」というものもあります。こちらは神社や祈祷して頂く内容などにより作法にかなり違いがありますので、申込みの時に尋ねてみてください。また出雲大社の「二拝四拍手一拝」など作法が異なる神社もありますから、参拝作法が不安な場合も予め確認しておくようと確実です。
おみくじの引き方・結び方
初詣に行ったら、おみくじを引くという方も多いでしょう。おみくじを引く場合は参拝後が望ましいとされています。おみくじは漢字で御神籤もしくは神籤・仏籤などと書きます。籤には“人の直接の意志によって選ばない”という意味があり、その前に神や仏が付きますから「神様・仏様に選んで頂くもの」と捉えられます。籤(くじ)も古代は神様の意思を知るために使われていたものですので、おみくじを引くのは神様や仏様からのメッセージを受け取るという行為に通じるわけです。そのため神仏にきちんとお参りをしてから、おみくじを引くようにします。
また神様からのメッセージを貰ったことになるので、悪い結果か出たからと行っておみくじを引き直すのはNG。おみくじの凶というのは確かに嬉しくないことが書かれていますが、同時に「ここに注意しなさい」という戒めやアドバイスでもあります。折角それを教えてくれているのに、望んだ回答じゃないから聞きませんというのは単なる駄々っ子かクレーマー。日を改めれば良い結果が出るまで引き続けても良いという見解もありますので、どうしても引き直したいという場合は後日に。
引いた後のおみくじが沢山結ばれていますが、おみくじを結ぶべきかについては意見が分かれるところ。おみくじを結ぶ習慣や理由については諸説ありますが、神様との縁を結ぶ・利き腕と反対の手で結ぶと結果が逆転するという2つの説がよく紹介されますね。これ実はどちらも寺社側ではなく一般の人々が勝手に行った行為が定着したもの。このため神様から頂いたお言葉を持ち帰らないのは失礼とする意見もありますが、寺社側もおみくじを結ぶための場所を設置してくれていますから粗雑に扱わなければどちらでも良いでしょう。心のままに結ぶなり、持ち帰るなりしてください。
喪中の場合は初詣(参拝)を避けるべき?
身近な方に不幸があって喪中にあたる方の場合は、晴れがましいことを慎むべきという考え方があります。お正月の場合であれば年賀状ではなく喪中はがきを出すことが知られていますし、松飾りや鏡餅などのお正月飾りを飾る・おせちやお屠蘇も控えるという認識があります。喪中の間は初詣にも行ってはいけない・鳥居をくぐるのもダメと言われたことのある方もいらっしゃるかもしれませんが、実はこれは間違い。
身近な方が亡くなった後は喪に服しますが、この期間が全て喪中というわけではなく、日本では「忌中」と「喪中」という2つの期間があるという考え方をしています。明治時代などには政府が亡くした相手の近さから忌中と喪中の期間を定めていましたが、現在は忌引き休暇の規定こそあるものの忌中と喪中の明確な線引はなされていません。慣例から仏教では四十九日法要が終わったら、神道では50日祭を忌明けとするのが一般的です。
喪中に参拝してはいけないと言われる理由は、社会的事情もあり「故人の死を弔うのに専念するために神社にお参りするのは避けましょう」と言われますが、神社(神道)では死は穢れであるとして遠ざける考え方があることも大きいようです。余談ですが日本では死だけではなく血液も穢れに通じると考えられ、古くは妊娠・産褥中や月経期間中の女性が神聖な場所に立ち入ることが禁忌とされていた事実もありますね。
女性の穢れに対しては神道古来の考え方ではなく仏教が導入され入り混じったこと・男性優の社会形成になった関係などもありますが、とにかく昔の日本人は神仏問わず「穢れ」というものを大変恐れていました。死でも血でも、とにかく「穢れは遠ざけるべきである」という考え方があり、昔の貴族・上流階級の人々は穢れを避けるために必死だったと言っても過言ではありません。
現在はさすがに女性が穢れているとか、出産が穢れているとかいう残念な考え方は(一部の極端な方を除いて)ありませんが、死というのは穢れ・忌避するものという考え方は残っています。このため忌中には神域に入らない=鳥居をくぐらないようにという考え方も根付いています。しかし忌中ではなく、忌が開けた「喪中」の状態であれば、神社も参拝が認められています。なので身内に不幸があったとしても、50日以上日が経っているのならば初詣に行ったとしても問題ありません。
ただし喪中というのは“晴れやかなことを控える期間”とされています。通常の参拝ではなくお正月の初詣というのはハレの日という捉え方もできますので、周囲の人の考え方によっては「常識がない」と弾劾されてしまう可能性あります。お寺(仏教)では死を忌避しないとので喪中の初詣もOKという見解が多いですから、お寺に行ってお墓参り+参拝する方が良いかも知れません。忌中の最中でもお寺への初詣は問題ないという見解があります。このあたりは地域や各神社仏閣によっても捉え方が違いますので、気になる場合は問い合わせてみることをお勧めします。
「ご利益!」と鼻息荒く(?)向かう方も少なくない初詣ですが、本来の参拝は神様や仏様に感謝を伝えるもの。いきなり願い事を言うのではなく、きちんと日頃(初詣であれば去年一年間)について感謝の言葉を言いたいものです。また何もしていないのに金運高めてくださいとか、恋人くださいと言われれば神様でも困るでしょう。他力本願な願いばかりを言うと困るだけではなく横を向いてしまうかも。。
人混みが苦手なのでここ何年かは遅めの初詣をしていますが、かつての印象で有名所は元日すごく混み合いますよね。行列+殺気立っていて手水が出来ないというのも実話です(苦笑)。列を守る参拝はともかく、おみくじコーナーが境内一の修羅場になっているという残念な光景も目にしました。ご利益が欲しいという気持ちは私もありますが、気遣いに溢れた素敵な伝統を壊しなくないなと改めて思いました。
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