盆踊りの意味・歴史とは
-元は念仏踊り? 盆踊りも花火も鎮魂が始まり?

盆踊りの意味・歴史とは<br />-元は念仏踊り? 盆踊りも花火も鎮魂が始まり?

盆踊りは花火大会や夏祭りと共に夏の風物詩と言える行事。夏休み時期になると、大抵どの地域でも公民館・商店街などの駐車場や、幼稚園・学校の校庭などに櫓が組まれますよね。夜店も出るので「夏祭りの一種・参加型イベント」のようなイメージが強い盆踊りですが、お盆時期に開催されると言うだけではなく、亡くなった方を供養するために行なわれていたお盆行事の一つでもあります。

盆踊りの意味と時期について

盆踊りとは

盆踊りは文字通り、お盆にみんなで集まって踊る行事。
夏の地域行事・お祭りの一種というイメージのある盆踊りですが、名前に“盆”と付くのはお盆時期に開催されるということだけではなく、この世に帰ってきた祖霊を慰めるための“霊鎮め(たましずめ)”もしくは“鎮魂”行事としての意味合いもあると考えられています。お盆にはお墓参りをしたり、精霊棚やお供え物を用意したりと、ご先祖様の霊に感謝して供養する風習が多く残っています。盆踊りもまた先祖供養の意味を持つ、お盆行事(宗教行事)の一つということですね。

また今でこそ日程も様々ですが、かつて盆踊りは旧暦7月15日の夜に行なわれていました。お盆に私達の世界へと帰ってくる精霊(祖霊)は16日には再びあの世へとお帰りになる…と考えられていることから、盆踊りはあの世へと帰るご先祖様の霊との別れ惜しむため・先祖の霊を送り出すための宴であるという見解もあります。

豊穣祈願という説も…

盆踊りは鎮魂だけではなく、豊作祈願の舞でもあるという見解もあります。これは仏日本古来の民間信仰の考え方では、亡くなったご先祖様は歳月を経ると家や土地を守る神様になると考えられていたため。こうした祖霊信仰と呼ばれる思想では、稲作や農業を司るとされていた神様“田の神”もまた、死んだ祖先の魂の集合体のようなニュアンスを持つと考えられています。

このため日本のお盆行事は仏教の盂蘭盆会に祖霊を迎える風習が結びついてことで、供養だけではなく収穫祭や豊作祈願としての意味も合わせた総合行事になったという見方がなされています。さらに日本には農作業などの動作を行うことで成功を祈願する、田植踊などの予祝芸能も存在します。江戸時代頃には現在よりもさらバリエーション豊富な振り付けの盆踊りが各地で行なわれていましたから、豊作祈願の予祝となる動作が使われていた可能性も否定できませんね。祖霊を祀るという行為自体も豊作祈願に通じます。

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盆踊りの開催日は様々

盆踊りはお盆に行なわれる行事ですが、現在行なわれてる盆踊り開催時期は7月10日辺りから、9月の所までと、地域によって実に様々。この開催時期の違いは旧暦から新暦への切り替えによって“お盆”をいつにするか地域によって違いが生じたことが大きいと考えられています。

明治に入って暦が変更された際、暦上の日付を同じくする7月15日前後、旧暦の時期に合わせるように月遅れの8月15日前後、旧暦の7月15日にピッタリ合う日と、お盆の時期が3つに分かれてしまいました。東京などは7月盆が主流ですが、全国的には月遅れ盆を採用している地域が多いため、盆踊りの開催日も8月15日を中心とした8月13~16日前後が多くなっています。そのほかに、旧暦7月20日前後の裏盆や24日地蔵盆・八朔(陰暦の八月朔日)あたりの日に盆踊りをする地域もあります。

お盆の歴史・日程についてはこちら>>

また、最近では参加者が都合をつけやすいように土日などを考慮して開催日時が決められることもあります。7月盆の代表とされる東京都でも盆踊りは子どもが夏休みに入った8月に開催するという地域がありますし、全国的に正月休みは8月15日前後がポピュラーなので帰省した人が参加できるようにと時期を合わせている地域もあるそう。鎮魂や祖霊の歓待などの意味があると言われる盆踊りではありますが、地域行事としては参加者ありきのものですよね。

盆踊りの起源と歴史

盆踊りの行列イメージ

盆踊りの由来・起原

諸説ありますが、盆踊りの起原は平安時代に空也上人が行った“踊り念仏”ではないかという説が現在は有力視されています。空也上人は平安時代中期(10世紀半ば頃)の仏僧で、声に出して念仏を唱える口称念仏の祖・民間に浄土思想を広めた先駆者として知られています。念仏と言えば法然上人の開いた“浄土宗”が現在も存在していますが、百年以上も前に生まれた空也上人はその下地を作った人として評価されています。

空也上人が活動していた時代の仏教は出家して修行し、難解な経典を理解することで悟りを開くことが目的でした。貴族は在家として仏教に帰依し、お金の力で死後の安泰などを得ようとした部分も大いにあったと考えられますが…出家していない・法会を開くようなお金もない一般庶民にとっては仏教のいう“救われる”というのは縁遠い話だったでしょう。

しかし空也上人は浄土教(浄土信仰)という、衆生を救うと宣誓した阿弥陀仏を信じて念仏を唱えることで死後極楽浄土に往生しようという考えを持った人でした。修行も多額のお布施も要りません。空也上人は絶望していた民衆にこの思想を説きながら、人々が念仏を覚えやすいようにと「南無阿弥陀仏」の念仏に歌うように節を付けて教えたと伝えられています。親しみやすい念仏は脚光を浴び、いつしか念仏に合わせて踊るようになったそう。

この“踊り念仏”は盂蘭盆会とも結びつきました。その経緯は分かっていませんが、自分だけではなく念仏を知らない親・先祖も救って欲しいという思いが、日本で祖霊を迎え入れる民間信仰と結びついたことで先祖供養を行うようになっていた盂蘭盆会と結び付けられたのではないでしょうか。阿弥陀仏への祈りとして行なわれていた“踊り念仏”から、精霊(祖霊)を慰め供養するための“盆踊り”の原型が出来上がったと言えますね。

目連尊者起原説も

盆踊りの始まりはお盆と同じく“盂蘭盆会”の起原とされる『盂蘭盆経』や『報恩奉盆経』などに記載されている目連尊者の伝説にまで遡るという説もあります。この伝説の中では餓鬼道に落ち苦しんでいる母を見つけ、その母を救うのにはどうしたら良いかをお釈迦様に相談します。お釈迦様は「衆生を終えた僧たちが7月15日に集まるから、その人たちにご馳走を振る舞い、心から供養しなさい」とアトバイスし、目連がその言葉に従うと目連の母は餓鬼の苦しみから救われたというのが、お話のあらすじ。

この時に餓鬼道から抜け出して天上界へと浮かび上がった母を見て、目連は喜びのあまり踊りを踊った…というの盆踊りの起原を目連とする説母が歓喜の舞を踊りながら昇天したという話もあります。ただし当サイトで参考にさせていただいている盂蘭盆経では“得脱一劫餓鬼之苦(目連の母は餓鬼道の苦しみから脱した)”と書かれているのみで、目連が踊ったという記述はありません。『盂蘭盆経』についても梵語の原典がないことから中国の偽経であるという指摘もあります。実際にこうしたエピソードがあったのか、目連尊者が踊ったのかは定かではありません。

盆踊りが全国行事に

文献で盆踊りの記述が見られるのは室町以降のため断定はされていませんが、平安末期くらいには盂蘭盆会と結びつき盆踊り文化が誕生していたのではないかと考えられています。そして鎌倉時代に入ると、空也上人に倣った一遍上人によって踊り念仏と盆踊りは全国へと広がったと言われています。一遍上人の踊念仏は「民間芸能・見世物興行に近い」とも称されるように、現在で言うキワドイ野外フェスなどに近かったそうです。一遍上人は行く先々でステージを設置し、そこでバックダンサーならぬ僧達(※約半数は尼僧)が輪になって念仏を歌いながら踊りまくったそう。

この一遍上人のイベントは民衆を巻き込んで法悦に至るという趣向だったそうですが、男女入り乱れて衣服をはだけながら踊り狂う…とやっていることは超強烈。保守的な人々、特に高貴な方々からは大批判を受けたそうですが、娯楽が少なかった時代にこの催しは大ブームになり踊り念仏は各地で広まりました。しかし上記のように乱痴気騒ぎのような広まり方をしたせいか、鎌倉後期の盆踊りは仏教的な意味合いはほぼ無くなり、振り付け・衣装・音楽など芸能面が重視されるようになっていきます。室町初期には太鼓を叩いて踊るようになり、江戸時代初頭にかけて各地で様々な趣向が凝らされていきました。

非日常の娯楽から、現在の盆踊りへ

江戸時代の盆踊りは日々の秩序・制約を離れることができる非日常的イベントとして人々に楽しまれていたとも言われています。派手な娯楽として進化したことも勿論ですが、盆踊りが行なわれていたのは旧暦の7月15日。旧暦は新月から始まり15日は満月=一晩中月明かりで過ごすことが出来たというのも大きいでしょう。電気がなく現代人からすると非常に早い時間に就寝していた人々にとって、一晩中踊り明かすということ自体が非日常の極みでもあったのではないでしょうか。また江戸時代の盆踊りは地域の人々の交流の場・藪入で帰省した人々の再会の場というほっこりした一面もありましたが、男女の出会いの場でもありました。

今の盆踊り会場よりもずっと暗い月明かりの中…というとロマンティックですが、実際は一時的な肉体関係を持ったり、雑魚寝(複数男女での性行為)もあったそう。満月の影響でルナティックになっていたとも言われますが、当時の一般庶民は現代と異なる性観念を持っていたという面もあります。日本では性は豊穣と恵みをもたらす神聖なものという考えがありましたから、民間信仰としては供養や祭事に繋がる行為と捉えられていた可能性も否定できません。よく「昔のお盆は(性的な)乱交パーティーの場であった」と紹介されますが、現代人が感じるそれとはニュアンスが違っていたように思います。

しかし明治に入ると性は隠すもの・性の開放は悪しきことであると言う認識が広まります。明治政府は性の解放要素は風紀を乱し文明開化の妨げになると問題視し、各県に盆踊り禁止令を公布します。取締のために警察が出動することもあり、各地の盆踊り文化は一時衰退しました。しかし大正時代には弾圧が弱まり、昭和に入ることには各地で盆踊りを復活させようという復興活動が活発化します。この復興時には人々の性観念も概ね変わっていましたし、再び禁止にならないようにという思惑もあり、盆踊りは健全な娯楽・季節行事である現在の姿になりました。

夏の風物詩、盆踊りのイメージ

近年の盆踊り事情・各地の盆踊り

盆踊りはさらに進化している

踊り念仏から始まったとされる日本独自の風習、盆踊り。1900年台半ば頃からは、日本人移住者によって海外へも伝えられ「Bon Dance」としてアメリカやブラジルなどでも行なわれています。日本文化に関心が高まったこともあり、日系人以外も参加する大掛かりなフェスティバルになっている地域もありますね。楽曲も日本のものだけではなく、現地の方に親しみやすい洋楽も取り入れられています。

日本国内でも盆踊り健全化時期と前後して使用されている炭坑節や東京音頭などのほか、きよしのズンドコ節やAKB48の曲が使われたり、アラレちゃん音頭・ポケモン音頭など人気を博したアニメ関連の曲が使われたりと、民謡などのリズム・音階に馴染みのない方でも親しみやすいよう工夫されています。振り付けも新しいものが考案され、youtubeなどで練習用の動画が公開されていたりもします。伝統行事ではありますが、時代と共に盆踊りは進化し続けているとも言えますね。

代表的な盆踊りと楽曲

時代に合わせて今なお進化している盆踊りですが、盆踊りは時代や流行だけではなく地域性が高い行事でもあります。代表的なものとしては“日本三大盆踊り”として知られる徳島県の阿波踊り・秋田県の西馬音内盆踊り・岐阜県の群上八幡盆踊りの3つがありますね。

特に阿波踊りは「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…」というフレーズと合わせて全国的に知名度が高いものの、独特の振り付けから盆踊りではなく別の行事と思われている方もいらっしゃるほど。沖縄県のエイサーも念仏が起原の盆踊りとされていますが、盆踊りではない伝統芸能と感じる方もいらっしゃるでしょう。こうした各地の盆踊り文化からも、地域に合わせて進化してきたことが窺えるのではないでしょうか。

また西馬音内盆踊では“ひこさ頭巾”と呼ばれる目にだけ穴の空いた黒頭巾や絹布を接ぎ合わせた“端縫い”衣装、毛馬内盆踊りは手拭い(豆しぼり)で頬被りをする、徳山の盆踊では少年らが鹿の仮装をして“鹿ん舞”を踊るなど、衣装の面でも特色があります。他にも地域より伝統衣装がありますが、一般参加者は浴衣・TシャツとジーンズなどでもOKな所がほとんどと参加しやすい配慮もなされています。

踊る曲についても最近取り入れられたJ-POP系やアニソン系などは全国的に利用されていますが、
東京:東京音頭
大阪:河内音頭
福岡:炭坑節
岐阜:群上節
秋田:ドンパン節
北海道:北海盆唄
などなど、地域感の強い楽曲も残っています。仕事などの関係でお引越しをすると、定番だと思っていた盆踊り唄がかからなくて困惑することもありますね。

花火大会もお盆行事?

夏の夜の行なわれるイベントとしては、盆踊りだけではなく花火大会もあります。現在は曜日などとの兼ね合いもありお盆と花火大会は全く別物のイベントとして行なわれていることもありますが、花火・花火大会もまたお盆と関わりの深いものと考えられています。

日本では古くから“火”は鎮魂の意味を持つ、神聖なものとして捉えられてきました。左義長(とんど焼き)・お焚き上げなどにも火を使いますし、不浄なものを焼くことで浄化するという思想も現在に至るまで残っています。…となれば供養や鎮魂の意味を持つ行事であるお盆にも、神聖で鎮魂の意味を持つ火が使われるのは自然なこと。お盆には13日に精霊(先祖の霊)を迎えるための“迎え火”を、16日には先祖を送り出すための“送り火”を焚く風習がありますよね。

そして火薬を使って夜空に美しい模様を描く花火も、古くは鎮魂のために打ち上げられるものであったと考えられています。花火が風物詩として定着した理由には火薬扱いの進歩・戦争がなくなった火薬屋の収入源など現実的な面もありますが、夜空に広がる火は単なる娯楽ではなく神秘的な力を持つと考えられていたのでしょう。お盆に行なわれた訳ではありませんが、隅田川花火大会も1732年に大飢饉とコレラ流行で亡くなった方を弔うために花火が打ち上げられたことが起原とされていますよ。

火が送り火や迎え火としてお盆に取り入れられた様に、花火も魂や霊を供養するためにお盆行事の一つとして打ち上げられたと考えられています。特に“打ち上げる”という性質上、送り盆に使われることが多かったようです。送り火としては京都の大文字焼きが有名ですし、川や海に火のついた灯篭を流す「精霊流し」もご先祖様を送り出すためのものですね。

そう言われてみれば、空に向かって打ち上げられる花火も「あの世へと祖霊を送り出す」ことに通じているように感じます。精霊馬を作り込んで馬からバイクやロケットになったように、花火でご先祖様を送り出すのも超特急感があって中々シュールな光景の気もしますが。家族や友達とワイワイ楽しんだり、ロマンティックな花火デートも良いですが、一瞬くらいは生まれてきたことに感謝しながら花火を見ると良いかもしれません。

参考サイト・書籍:下川 耿史著『盆踊り 乱交の民俗学』/真夏の風物詩、花火。その歴史と意味を見直してみよう /盆踊りの禁止と復興に関する歴史的研究 

ダンス色の強い盆踊りも楽しいですが、昔ながら(?)の盆踊りも廃れず継承されていって欲しいなと思う次第です。有名盆踊りは衣装・振り付けがしっかりしていて入りにくい部分もあるので、よくわからないけど踊ってみたい人を受け入れてくれる感じを増やして欲しいなと思う大人です。事前練習しろって話ですが、場の勢いもあると思うんだ…。

余談ですが、我が里北海道には子供だけで踊る盆踊りタイムがあり、専用の「子供盆おどり唄」もあります。他の地域には子供用が無いと言われたのはお盆時期が違う以上にカルチャーショックでした。延々同じ曲が繰り返されるのも本州以南の方からすると驚きなのだそう。北海道出身の大人は“シャンコ、シャンコ、シャンコ、シャシャンがシャン、手拍子そろえてシャシャンがシャン♪”という曲を聞いたら、何となく遠い目をするはず(笑)