春分の日・秋分の日とは
-お彼岸との関係や、キリスト教の祝日も紹介
春分や秋分は昼と夜の長さが同じになる日、もしくはお彼岸の中日として知られています。しかしそれ以外はほとんどイメージのない日で、単なる「祝日」やお彼岸の目安という位置付けではないでしょうか。そんな春分・秋分の定義や2019年や2020年はいつになるか、お彼岸との違いは何なのか、キリスト教で春分や秋分に関係する行事はあるのかなどをご紹介します。
目次
春分の日・秋分の日の意味と日にち
春分の日とは
春分の日は春(3月頃)に、昼と夜の長さがほぼ同じになる日。二十四節気の第4番目でもあり、春の彼岸の中日でもあります。実際には昼の長さのほうが少し長いので、一日の中で昼間=太陽が出ている時間が長くなる境目の日と言った方が的確でしょうか。春分を境に日の出が早く、日の入りが遅くなっていきます。
また天文学的には太陽の黄経が0度を通る瞬間を春分点と呼び、春分点通過時を含む日を春分日と定義されています。日本で「春分の日」は国民の祝日の一つにも数えられていますが、この「春分の日」も太陽黄経によって決められています。ちなみに『国民の祝日に関する法律(祝日法)』に記載されている「春分の日」の趣旨は“自然をたたえ、生物をいつくしむ”ための日。
春分の日はいつ? 計算方法は?
月曜固定祝日制度(ハッピーマンデー制度)によって成人の日や敬老の日が特定週月曜日の移動祝日となったのに対し、春分の日は太陽黄経から導き出した春分日のままとなっています。日にちとしては3月20日もしくは3月21日になることがほとんどですが、2091年以降は3月19日になる年があると予測されています。また1924年以前には3月22日が春分日という年も存在していました。
今後、近い年度での春分の日は下記のようになります。
- 2023年の春分の日:3月21日
- 2024年の春分の日:3月20日
- 2025年の春分の日:3月20日
これは夏至の日と同じく、西暦年を4で割ることで春分の日を計算したもの。算出方法は西暦を4で割った際の余りの数から、3月20日か3月21日かが分かるようになっています。2023年までは西暦を4で割った際の余りが0・1なら3月20日、余りが2・3なら3月21日。2024年から2055年までは余りが4であれば3月21日、それ以外であれば3月20日が春分日。
2019年の場合は2019÷4=504と余り3なので3月21日が春分、2020年の場合は2020÷4=505ジャストなので3月20日ということですね。数十年先まであるようなカレンダーはこの計算方法によって春分を掲載していますが、春分の日は国立天文台が定気法で算出した春分日を基にして閣議決定されたのち、前年2月1日に暦要項として告示されています。このため春分日が祝日としての“春分の日”になるかは、前年の告示まで断定できません。
秋分の日とは
秋分の日は秋(9月頃)に、昼と夜の長さがほぼ同じになる日。二十四節気の第16番目でもあり、秋の彼岸の中日でもあります。実際には昼の長さのほうが少し長いので、一日の中で昼間=太陽が出ている時間が短くなっていく境目の日と言った方が的確でしょうか。秋分を境に日の出が遅く、日の入りが早くなっていきます。
また天文学的には太陽の黄経が180度に達する瞬間が秋分点、秋分点を通過する日を秋分日と定義されています。日本で「秋分の日」は国民の祝日の一つにも数えられていますが、この「秋分の日」も太陽黄経によって決められています。ちなみに『国民の祝日に関する法律(祝日法)』に記載されている「秋分の日」の趣旨は“祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ”ため。
秋分の日はいつ? 計算方法は?
秋分の日も春分の日と同様に月曜固定祝日制度(ハッピーマンデー制度)の影響を受けず、太陽黄経から導き出した秋分日がそのまま使われています。日にちとしては9月22日もしくは9月23日になることがほとんどですが、2100年以降は9月24日が秋分日になる場合もあります。過去1979年までにも秋分日が9月24日のことがありましたが、当面は9月22日か9月23日のどちらになります。
今後、近い年度での春分は下記のようになります。
- 2023年の秋分の日:9月23日
- 2024年の秋分の日:9月22日
- 2025年の秋分の日:9月23日
春分日と同じく秋分日も西暦を4で割ることで計算することが出来ますよ。2043年までは西暦を4で割って余りの日にちが出れば9月23日、出なければ9月22日が秋分日となります。2044年から2075年までの期間であれば西暦を4で割った際の余りが0・1なら9月22日、余りが2・3なら9月23日。計算方法自体は難しくありませんが、算出方法(余りの数と日にちの関係)が切り替わる年が、春分は2024年、秋分は2044年、夏至は2020年とバラバラなため注意が必要。
2019年の場合は2019÷4=504と余り3なので9月23日、2020年の場合は2020÷4=505ジャストなので9月22日が秋分日ということですね。また秋分の日も国立天文台が定気法で算出した春分日を基にして閣議決定されたのち、前年2月1日に暦要項として告示されるもの。春分と同様に秋分日も祝日としての“秋分の日”になるかは、前年の告示まで断定できません。これまで春分日・秋分日と“春分の日”や“秋分の日”が別になったことはありませんが、可能性が皆無というわけではありません。
春分・秋分と節気
春分・秋分と二十四節気
春分と秋分は1年を太陽の動きに合わせて分割した二十四節気の一つでもあり、二十四節気を定めるの基準となった日でもあります。太陽の動きに合わせ一年を二十四節気として分割したのは、かつて月の満ち欠けの周期を基準に作られた太陰暦が使用されていたため。太陰暦は新月から次の新月までを一ヶ月と考えますが、この方法で一年を計測すると、地球が太陽の周りを公転している周期とはズレが生じます。
純粋な太陰暦の場合は三年経つと約1ヶ月の差が生じ、8年経つと四季が一つ変わってしまいます。1月1日が夏になることもあるということですね。数年で一ヶ月くらいのズレが出来てしまうようでは、生活や仕事をするための指標としては当てになりません。5月も末だから梅雨の準備をしようと思ったとしても、現在で言う2月だったり7月だったりと季節感はかなり違うということになります。
かつて日本でも用いられていた太陰暦は古代中国で考案されたもの。古代中国ではこの季節感のズレを埋めるため、太陽の動きで一年間を計測する二十四節気を考案しました。太陽の動きを元にしているため、現在私達が使用している太陽暦(グレゴリオ暦)に近いもの。つまり二十四節気は季節感を正確に捉えるために考案された、暦の補間手段・もう一つの暦と言える存在です。季節変化の指標としてはかなり正確な二十四節気は、生活・農業の目安として日本でも暦と合わせて重要視されていました。
現在は定気法と呼ばれる、太陽黄経によって二十四節気が算出されています。
しかし古くは黄道を太陽が最も低い冬至・最も高い夏至の間で等分し、その中間に位置する春分と秋分を割り出すことで二十四節気を決めていました。この四つの点は二至二分と呼ばれ、二十四節気を配置するにあたり重要な点となります。太陽が最も低い冬至・太陽が最も高い夏至に次いで、昼の夜の長さがほぼ同じになる二分も二十四節気の中で特別な日と言えます。
こうして割り出した二至二分の中間に四立(立春・立夏・立秋・立冬)を入れて八節となり、節から節の間をそれぞれ三等分すると一年は24に分割されます。ある程度仕組みが知られるようになると、冬至から翌年の冬至までの時間を24等分する平気法(時間分割法)が使われるようになりました。冬至を起点として約15日ごとに節気と中気を交互に割り当てていくという方法ですね。
平気法で計算すると日にちが違うことも
平気法(恒気法)と呼ばれる方法では、冬至から冬至までを24等分し、約15日ごとに節気と中気を割り当てていくことで二十四節気を配置します。定気法と同じく冬至は太陽黄経から導き出しているので日にちに違いはありませんが、機械的に計算される春分・夏至・秋分などの節気については定気法と平気法で日にちが異なる場合があります。
平気法での定義として
春分は冬至から1/4年=約91.31日後
秋分は冬至から3/4年=約273.93日後
とされています。概ね春分は3月23日頃・秋分は9月21日頃と大差は無いものの、冬至の日程や端数の関係によっては太陽黄経によって決定される日にちと数日程度のズレが生じることもあるそう。現在日本では太陽の黄経角度を元にした定気法を使うのが一般的となっており、国民の祝日の決定も定気法で算出したものが使われています。しかし平気法が使われることが全く無いわけでもありませんので、日にちが違う気がする場合は平気法の可能性があります。
期間としての春分・秋分
春分も秋分も二十四節気に含まれているため、春分日・秋分日としての“日にち”だけではなく、次にやってくる節気までの約15日間の“期間”を表す言葉としても使われます。年度によっても異なりますが、期間としての春分は3月20日頃~4月3日頃まで、秋分は9月22日頃~10月7日頃までとなっています。
春分期間の七十二候
- 初候:雀始巣(すずめはじめてすくう)
⇒雀が巣を構え始める頃 - 次候:桜始開(さくらはじめてひらく)
⇒桜の花が咲き始める頃 - 末候:雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)
⇒遠くの空で雷の音がし始める頃
秋分期間の七十二候
- 初候:雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)
⇒雷が鳴り響かなくなる頃 - 次候:蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)
⇒虫が穴をふさいで冬支度を始める頃 - 末候:水始涸(みずはじめてかるる)
⇒田畑の水を干し、刈入れを始める頃
秋分・春分は日本ではお彼岸、世界では…?
春彼岸・秋彼岸
春分の日と秋分の日は、どちらも彼岸の中日でもあります。彼岸というのは仏教で煩悩や迷いを捨てて至ることが出来る悟りの世界を指します。対して現在私達が生きている世界を「此岸(しがん)」と呼び、仏教では彼岸は西・此岸は東に存在すると考えられています。春分や秋分は昼と夜の長さがほぼ同じになるだけではなく、太陽が真東から昇って真西へと沈んでいく日でもあります。このため此岸と彼岸が近づく日と考えられ、彼岸へと渡ったご先祖様の供養をするのに相応しい頃合いとされました。
お彼岸にはお寺で開かれている“彼岸会(ひがんえ)”に参加されたり、お墓参りに行くという方も多いのではないでしょうか。お彼岸は春分・秋分を真ん中に、それぞれ前後に3日間ずつを加えた7日間の期間。春分の日を挟む彼岸を春彼岸、秋分の日を挟む彼岸を秋彼岸と呼び分けます。また春分日と秋分日を基準に日にちが決まるため、年度によって日程は若干変化します。
彼岸は春と秋の年に2回ありますが、個人的な見解では秋彼岸の方がお墓参りに行かれる方が多いように感じます。仏教などでは同じく重視されていますし、季語としての「彼岸」は春彼岸を指す言葉となっていますが…日常生活で単に「お彼岸」と言った場合には彼岸花など秋っぽいものを思うかべる方も少なくないのではないでしょうか。
祝日法の定義でも春分の日が“自然をたたえ、生物をいつくしむ”とされているのに対し、秋分の日は“祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ”日とお彼岸っぽいですよね。春分の日・秋分の日共に趣旨は彼岸の風習を踏まえたものであると紹介されますが、よりダイレクトに先祖供養のイメージが強いのは秋分の日の方。季節としても日本では4月からを新年度としていることが多いので、3月の春彼岸は新生活・新業務の準備などで忙しく、遠方であればお墓参りに行きにくいということもあります。
秋分の日は同じく国民の祝日である「敬老の日」と日にちが近くなっています。ハッピーマンデー制度の導入によって「敬老の日」は月曜日になっていますから、春分の日が水曜日になった場合は祝日法の規定で間に挟まれる火曜日も国民の休日=土曜日から数えて5連休になります。通称シルバーウィークと呼ばれる連休ですね。大型連休にはならなくても彼岸期間に三連休になることが多いので、慌ただしい春よりもお墓参りに行く人が多くなるのではないかなと愚考します。
彼岸花は秋の花
彼岸と同じ名前を持つ彼岸花。ヒガンバナ科ヒガンバナ属に分類される植物で、別名は曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。実際には白・黄色・オレンジなどの花を咲かせるものもありますが、鮮やかな赤い色の花が代表的ですね。彼岸花という名称は、秋のお彼岸の頃に咲くことが由来とされています。お彼岸を代表する秋の花のように感じますが、秋限定なんですね。
一面に赤い彼岸花が咲いている景色は、綺麗でもありますが、毒々しく不吉だとも言えます。また彼岸花は毒を持っているということから、害獣害虫駆除のためにお墓に植えられることが多かったという敬意もあります。そうしたイメージから死人花や地獄花・剃刀花など毒々しいイメージの別名も多く、一説では方言を含むと1000以上の別名が付けられているとも言われていますよ。曼珠沙華という呼び名は“天界に咲く花”を意味するサンスクリット語が語源とされていますが、日本では不気味な印象の別名のほうが多かったりします。
キリスト教では春分が重視される?
キリスト教の大イベントといえば、クリスマス(キリスト降誕祭)とイースター(復活祭)が挙げられます。クリスマスは12月25日と日程が決まっていますが、イースターは“春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日”と定められています。四旬節(受難節)やキリスト昇天祭・五旬節(聖霊降臨)などはイースターの日にちから計算して行なわれるので、キリスト教の移動祝祭日の大本は春分の日にあるという見方も出来ますね。
ただし、キリスト教は全世界に信者がいる宗教。日本で春分を決めているように太陽が春分点を通過するタイミングを計測して決めてしまうと、国によって時差が発生します。春分点通過の時差だけであれば良いですが、国によって日にちが変わり、かつ春分日が最初の満月と合致すると大変なことになります。国によってイースターが約一ヶ月ズレてしまうわけです。このためグレゴリオ暦を使う西方教会では、教会暦で「暦の上での春分は3月21日」と固定にしています。
なぜ移動祝祭日の元となる日であるイースターの日にちが、春分を基準に定められたのかは断定されていません。個人的な見解としては、キリスト教の位置付けと、春分の日の扱いが関係しているのではないかと思います。日本では暦上「春の真ん中」を春分としていますが、ヨーロッパの国々では春分=春の始まり、日本で言うところの立春としてとらえる地域が多くなっています。
衰えていた太陽が復活する(これから力を取り戻していく)と考えられた冬至は冬至祭→クリスマスになりました。しかしご存知のように冬至の後もまた日は短く、冬の寒さが続きます。対して春分の日は冬が終わり太陽が再び力を取り戻しつつあることを実感できる頃合い。イエスは人の罪を取り除くための生贄になり、神の許しを得て復活した救い主。贄となるために降誕した日は太陽が再び力を取り戻す日=冬至で、許されて復活した日は春の訪れを感じる日=春分にイメージが一致したのではないでしょうか。
またキリスト教は各地にあった古代宗教や民間信仰の伝統・象徴を取り込み、習合している事も指摘されています。それを認めない信者さんもいらっしゃるので過激な発言は避けますが、クリスマスが冬至祭に結びついた・キリストの生涯も古い神々の逸話からの引用があるなどのことが紹介されていますね。イースター(Easter)の語源についても諸説あるものの、ゲルマン神話に登場する“オスタラ(Ostra)”や“エオストレ(Eostre)”という春の女神、それにちなんだ春祭りが由来という説もあります。
このため春という季節がキリストの復活と重なるイメージであったこと、各地には元々春祭りを行う風習があっったのでイースターと結びつけやすかったと考えられるのです。言い方は悪いですが、民間信仰の春祭りをイースターが乗っ取ったような形ですね。緑が芽吹き、ポカポカと温かい春は復活祭を行うのにベストだった気がします。
キリスト教での秋分は聖ミカエル祭
キリスト教では二至二分のお祭りが
冬至:クリスマス
春分:イースター
夏至:聖ヨハネの日
秋分:聖ミカエル祭
になっていると紹介される事もあります。
クリスマスやイースターとは異なり、日本で「聖ミカエル祭(Michaelmas/St. Michael’s Day)」というのはあまり馴染みのないイベント。しかしカトリック教会では重要な典礼儀式の一つに数えられており、降誕祭(クリスマス)・聖燭祭(キャンドルマス)・聖ミカエル祭(ミカエルマス)の3つを三大ミサと称する事もあります。ちなみに全てに付けられている“mas”はミサを意味する言葉。
といってもイースターが春分よりも後に祝われている様に、聖ミカエル祭も秋分よりも後の9月29日に行なわれています。しかし聖ミカエル祭は大天使ミカエルを讃えるだけではなく、秋の収穫を感謝する祝日。日にちは異なっていますが、各地で古くから行なわれてきた秋の収穫祭の影響を強く受けていると考えられますね。そのほかに日が短くなり厳しい冬へと向かう日でもあるので、悪と戦う天使であるミカエルの力を分けてもらおうという考えもあるようです。
聖ミカエル祭のシンボルは靴下・ガチョウ・生姜。祝日にはクリスマス市ならぬミクルマス市が立ちますが、この位置の始まりを告げるのが“吊り下げられた大きな手袋”です。この手袋にはその土地の権力者が「売り手と買い手を喜んで迎える市を開く(位置を開くことを許可する)」という意味があるのだそう。人々は市で売買を行い、行事食と言えるガチョウの蒸し焼きと生姜料理・ジンジャーエールなどを飲んで、祝日を祝うというのが伝統的な形です。
参考サイト:二十四節気と七十二候|暦生活/夜長の季節を迎える頃に行われる豊穣の祝祭・ミカエル祭(ミカエルマス)とは?
日本では春分・秋分に何らかの行事を行うというよりは、二分が含まれる「お彼岸の期間にでお墓参りに行く」というのが伝統的な風習と言えるのではないでしょうか。墓参り以外では、おはぎ(ぼたもち)を食べるくらい。冬至こそ柚子湯に入ったり冬至カボチャを食べる風習がありますが…春分・秋分・夏至は結構スルーですよね。
隣の芝生は何とやらですが、イースター&聖ミカエル祭の方が信仰にかかわらずイベントとして見ると楽しそうですよね。イースターは入ってきてますが、ミカエルマスは無いですよね?我が出身地では“さっぽろオータムフェスト”が行なわれている時期でもありますし、各地で収穫祭・秋の食い倒れ祭典的なものはあるようですが。日本でもミカエルマス……までは行かなくても、秋分に生姜を食べようキャンペーンとか起こらないかしらと思ったり。
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