スイカ(西瓜)は中国語で、古代人の水筒?
スイカの原産地やルーツ、歴史を紹介
- 果物 食品類のルーツと歴史
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夏の風物詩の1つでもあるスイカ。瑞々しくさっぱりした甘さ・ひんやりした食味も夏を感じさせてくれますし、ビールや枝豆と並んで夏のイメージビジュアルとしても使われています。反面、他国で愛されているという印象は弱めですが、スイカは熱帯から温帯地域で広く栽培されている果物。世界中で食べられています。
今回はそんなスイカの原種・原産地説から、日本に伝わるまでの歴史、名前の由来などを紹介します。
目次
スイカとは? 概要と語源
スイカ(西瓜)の定義
スイカは学名をCitrullus lanatusという、ウリ科スイカ属に分類される一年生のつる性植物(草本植物)です。スイカも、メロンやイチゴなどと同じく草本性。樹木になる果実ではありません。
このため、スイカはキュウリと同じ“果菜”という野菜の一種であると扱われることもあります。ですが、それでは消費者にわかりにくいので、食品流通や栄養学などの分類では、果物もしくは“果実的野菜”という扱いをされていることが多いです。
また、メロンとスイカはどちらもウリ科、果物として食べられている仲間ですが、メロンの学名はCucumis melo。Cucumisはウリ科の“キュウリ属”という分類になるので、ものすごく近い関係ではありません。メロンとスイカよりも、メロンとキュウリのほうが近い種というのはちょっと不思議ですね。
他のスイカ属植物は?
メロンとキュウリはウリ科キュウリ属、スイカはスイカ属に分類されています。
そこで気になるのは、スイカ以外にスイカ属に分類されている植物はあるのかということ。
結論から言うと、いくつかあります。
スイカ以外のスイカ属植物として代表的なものが、シトロンメトン(Citron melon)。学名はCitrullus caffersで、南アフリカを中心に食用作物としても栽培されています。
そのほか学名Citrullus colocynthisは、bitter apple(ビターアップル)やコロシントウリと呼ばれ民間薬として使われている種もあります。ただ、どちらもスイカのように甘く、みずみずしい食感ではなく、果物として食べられることはほぼありません。
スイカ(西瓜)の語源・由来とは
私達が普段使っている、スイカという呼び名。
漢字で書くと西瓜。東アジアの東にある日本からすれば「西から(伝わった)瓜」というのは大体のウリ科植物に当てはまりそうですし、西がセイではなく“スイ”と読むところに少し違和感があります。
このスイカ(西瓜)という言葉。実は漢字表記も、読み仮名も、中国語が由来です。
中国では広東語で西瓜 (sai gwaa)、標準中国語では西瓜 (xīguā)と「シーグァ」のような発音をしていました[1]。これが日本に伝わり、日本語として取り入れられていく中で、日本人が言いやすい「スイカ」という音に変化していきました。
英名Watermelonの語源と由来
スイカの英名Watermelonは、水(water )とメロン(melon)を合体させた造語。
スイカを指すのにWatermelonという言葉が使われるようになったのは、1610年代以降です[1]。
とは言え、1610年代までヨーロッパにはメロンしかなかったというわけではありません。スイカは古代から存在していましたが、古い時代には呼び名の混同があったり、スイカとメロンをはっきりと区別する特徴の記述が少なく、どちらか断定されていないものも多くあります。
中世の“pepo”という言葉についても、南ヨーロッパではスイカ・北ヨーロッパではメロンを指していた、メロンとかかれていても果肉の色が甘もしくはピンクという記述がある[2]などの理由で、スイカかメロンかをはっきりと読み解くのは難しいのだとか。
スイカ(西瓜)のルーツと歴史
スイカの原産地はアフリカ
現在、栽培されているスイカのルーツとも言える種は、アフリカの乾燥地帯にあると考えられています。これは、1857年にイギリスの医療伝道者リビングストンが、南アフリカ中央部、カラハリ砂漠、サバンナ地帯でいろいろなスイカの野生種を発見したことがきっかけ[3]とされています。
アフリカ原産ということについては専門家も意見の一致をみていますが、アフリカのどこにあった、どの種が、現在の甘い栽培スイカの祖先であるかは意見が分かれています。スイカの祖先としてはアフリカ南部に自生するシロトンメロン(Citrullus caffers / Citrullus amarus)や、コロシントウリ(Citrullus colocynthis / Citrullus lanatus var. colocynthoides)が栽培スイカの祖先候補として挙げられています[2]。
2021年に発表されたミュンヘン大学スザンヌS.レナー博士ら国際チームによる研究では、スイカの最も近い祖先が、スーダンのコルドファン地方に自生している白い果肉を持つコルドファンメロン(Citrullus lanatus subsp. cordophanus )である可能性が高いことが報告されています[4]。
この研究ではゲノム分析が行われており、現在もっとも有力視されています。
スイカ栽培の歴史と、古代のスイカ
スイカは非常に古い時代から、人間によって栽培が行われてきました。その証拠となっているのが、北アフリカを中心に出土しているスイカの種子。リビアでは5000年前の集落の遺跡よりスイカの種が、エジプトでも4000年以上前のスイカの種子が発見されています。
今よりも3000年以上も前、紀元前1300年代~1200年代の頃と考えられているツタンカーメン王の墓からも、5つのスイカの種子が発見されています。これらはスイカの近縁種ではなく、現在のスイカに近い種子である[2]ことから、それよりも以前から人の手による栽培・品種改良が行われていたと考えられています。
また、スザンヌS.レナー博士らの論文では“スイカの祖先は苦みがない、白っぽい果肉”であり、初期の農民がおそらく野生から苦味のない植物を発見して栽培した[4]と説明されています。
スイカは糖度を決定する遺伝子と果肉を赤くする遺伝子とがペアになっています[5]。突然変異などで自然にできた苦味のない種を人が栽培し、更に味が良いものを選抜・品種改良を行っていくことで現在のスイカが確立したのでしょう。
ちなみに、紀元前のスイカはまだ白っぽく、甘みも無いものだった可能性が大。
紀元前になぜスイカは栽培された?
スザンヌS.レナー博士らによると苦くはなかったようですが、紀元前数千年の頃のスイカはほぼ甘くない果実。全く甘くないスイカ…そのまま食べても、美味しくはなかったと考えられます。紀元前の古代エジプト、例えばツタンカーメン王の時代頃についても、スイカはデザートとして食べられていた・種子をスナック感覚で食べてるのが主だった、など諸説あります。
果肉部分が美味しいか、微妙だった当時のスイカ。
苦みのないものが見つかったとは言え、なぜ、古代の人々は栽培しようと思ったのでしょう。
証拠や証言がないため断言は出来ませんが、人がスイカを栽培するようになったのは「水分」が目的だったのではないかと考えられます。安定した水分の確保、もしくは水分補給源として、です。
現在のスイカもそうですが、スイカは水分を果実(胎座)に多く蓄える性質があります。スイカの原産はアフリカ。数千年前は今ほど砂漠化が進んでいなかったかもしれませんが、乾燥地帯は多くあったと考えられます。そんな水分の確保が難しい地域で生きる、乾燥地帯を移動する必要がある動物や人々にとっては、水分が豊富なスイカはありがたい食材だったのでしょう。
しかも、スイカは日陰の涼しい場所に置いておけば数週間から数ヶ月保存が効きます[5]。革袋などに水を貯めておくよりも、スイカを保存しておいたほうがずっと長持ち。このスイカの保存性に気づいた人々は、貴重な水分を貯蔵するためにスイカを栽培したのでしょう。
スイカ=天然の水筒だったわけです。
ヨーロッパでのスイカの歴史
水分が豊富で保存性もあるスイカは、長旅の水分補給源としても重宝されました。旅の際には、水筒のような感覚で、スイカを持ち運んでいたという説もあります。
聖書がいつ頃書かれたかはさておき、旧約聖書『民数記(11:5)』にはイスラエルの人々がエジプトで食べていた食材が登場します。その食材は、スネークメロン(※キュウリとの見解も)、スイカ、ニラ、タマネギ、ニンニクの5つであると特定されています[2]。
交易品としても使われたことで、紀元前400年〜紀元500年頃にはスイカはアフリカから地中海沿岸地域、古代ギリシアや古代ローマにまで広まっていました。古代ギリシアで「pepōn」と呼ばれていたものはスイカであると考えられていますし、1世紀には古代ローマの大プリニウスが著作『博物誌』の中で“pepoは非常に爽やかで、 melopepoはマルメロの形をしていて芳香がある ”と記しています[6]。
この1世紀に大プリニウスによって書かれた記述が、メロンとスイカをハッキリと区分した最古の記述であるという説もありますよ。また、大プリニウスは1世紀に書いた『博物誌』の中で、スイカには強力な解熱効果があると紹介しています。大プリニウスよりも前の時代、古代ギリシャのヒポクラテスやディオスコリデスなどの医師たちも、スイカと思われる植物を利尿や解熱に活用していました[5]。現在の日本の“おばあちゃんの知恵袋”と通じる使い方ですね。
スイカが赤くなったのは中世後期
古代ローマの料理本『アピシウス』にスイカと思われるウリのレシピがありますが、デザートではなくお食事メニュー。硬い調理用スイカのようなものだったと推測されています[2]。ただし、200年頃に書かれたヘブライ語の文献ではスイカはイチジク、ブドウ、ザクロとの並びで分類されている[5]ことから、デザートとして食べられる果物と扱われていたという見解もあります。
とは言え、一桁世紀の頃のスイカはまだ甘みは強くなかった可能性が高いです。赤いスイカが確認できるのは、14世紀以降。14世紀に作られたバグダッド出身の医学者イブン・ブトラーンの著書をもとにした『健康全書(Tacuinum Sanitatis)』には、赤身の甘いデザートスイカと白身のシトロンスイカの両方のイラストが見られます[2]。このことから、赤くて甘いデザートスイカは中世後期に確立されたと考えられます。
日本のスイカの歴史
古くは旅をするときの水筒代わりにも使われたスイカ。
ヨーロッパよりも東の中近東や中央アジアにも伝わり、乾燥地帯を中心に栽培が行われました。
少しずつスイカの栽培地域が東へと広がり、11世紀ころにスイカは中国へ到達したと考えられています[3]。中国でスイカは「水瓜(水分の多い瓜)」「夏瓜(夏に出回る瓜)」「西瓜(西域から伝わった瓜)」などと呼ばれ、食材や生薬として栽培も行われました。中国ほかアジアでは、北アフリカと同じくスイカの種も食材として利用する地域が多いことも特徴です。
日本にスイカが伝わった時期や経緯については諸説あり、はっきりとはわかっていません。17世紀末に記された『農業全書』には“肉赤く味勝れたり”という記述がある[3]ことから、遅くとも17世紀までには伝来していたことがわかります。それよりも少し前、17世紀に中国(明)から来朝した隠元禅師が持ち込んだ、戦国時代にポルトガル人が船に積んでいたなどの説がスイカ伝来説としては有力視されています。
なお、『鳥獣戯画(鳥獣人物戯画)』の中に縞模様で球状のスイカのような絵がある、南北朝時代に書かれた僧義堂の漢詩集『空華集』にスイカに関する唄があるとの見解もあります。『鳥獣戯画』成立は12~13世紀頃、平安時代後期の鳥羽僧正が書いたのではという説もあるくらいですから、平安時代には中国からスイカそのもの、もしくはスイカという果物の存在が伝わっていたのかもしれません。
スイカの普及は江戸時代から
スイカは割ると赤い果肉が出てくることから、江戸時代初期は不吉な果物として避けられていたという逸話もあります。特に血や切腹を連想させるものが大嫌いだった武士には、嫌がられそうではありますね。
ともあれ、江戸時代中期頃にはスイカが換金できる作物として栽培されていました。現在“在来品種”と呼ばれている黒皮系のスイカが栽培され、地域ごとに品種も確立されていたようです。江戸時代後期になるとスイカ栽培は更に広がり、夏の風物詩としても親しまれるようになっていきます。
明治に入るとアメリカから西洋系スイカが導入され、在来種とも交配され様々な品種が誕生しました。
【参考サイト】
- watermelon: meaning, origin, translation – WordSense Dictionary
- Origin and emergence of the sweet dessert watermelon, Citrullus lanatus
- 株式会社萩原農場 / スイカの歴史
- A chromosome-level genome of a Kordofan melon illuminates the origin of domesticated watermelons
- スイカ、知られざる5000年の歴史
- Medieval emergence of sweet melons, Cucumis melo (Cucurbitaceae)
ウォーターメロン(watermelon)なのでメロンよりも新しいのかと思いきや、同等以上に歴史の古いスイカ。日本では英語そのままのメロンよりも、スイカという独自の呼び方(中国語由来ですが)で親しまれているように歴史の古い果物の一つでもあります。日本では中国などのように種をスナック感覚で食べる文化はありませんでしたが、最近は輸入食材店・業務スーパーなどで見かけます。
個人的には、紀元前にスイカは持ち運べる水分・自然の水筒感覚で旅のお供だったことが印象的。子どもの頃にスイカを落として割ったトラウマがあるので、はじめて知ったときは「割れない?」と思ってしまいました。古代のスイカは、薄皮推しの現在のスイカよりもっと固く、果皮も厚かったんでしょうね。
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