コーンフレークの起源と歴史とは
-ケロッグ博士が開発したのはXXXのため?!

コーンフレークの起源と歴史とは<br />-ケロッグ博士が開発したのはXXXのため?!

欧米では朝食の定番として親しまれているコーンフレーク。日本でもその手軽さから朝ごはんやおやつとして食べている方は少なくありません。砂糖(甘味料)が多いことなどから敬遠する向きもあるようですが、牛乳や豆乳をかけたりヨールグルトにトッピングするだけ、そのままでもポリポリと食べられるという手軽さが魅力ですよね。

コーンフレークを発明・販売した会社としてはケロッグ社であることが知られています。しかしなぜケロッグがコーンフレークを作ったのか、短期間でアメリカの朝食の定番と言えるほど普及したのかというトリビア域は知られていません。気になるその辺りを調べてみると、禁酒法や禁欲主義などキリスト教系宗教との絡みにまで辿り着いてしまいました。

コーンフレークについて

コーンフレークとは

朝食として食べたことのある方も多いコーンフレークは呼び名の通りコーン(トウモロコシ)の粉を原料としたシリアルの一種で、カリカリとした食感が特徴。朝食用としての利用が主ではありますが、パフェなどのスイーツ類やフライの衣の食感を出すためにもも利用されています。生産終了が発表され話題となったお菓子「森永チョコフレーク」などもコーンフレークの1種ですから、かなり幅広く利用されている穀物製品と言えるかも知れません。ちなみにコーンフレークは和製英語ではなく英語でも“Corn flakes”と呼ばれています。

コーンフレークの原料はざっくり言えばトウモロコシですが、では粉末のトウモロコシを使って手作りできるかと言うと難しいもの。基本的な作り方としては、乾燥したトウモロコシを挽いたコーンミールに砂糖・蜂蜜・水飴・食塩などの調味料+水を加えて練る→蒸気で蒸し煮にする→ローラー機械で圧力を掛けながら押しつぶす→熱風で乾燥する(→炒る)という流れだとか。

家庭で作るためのレシピも食べログさんなどで公開されていますが、正直な所、商品として販売されているクオリティのものを作るのは困難。家庭制作レシピは手軽に作れるように材料や加工方法が違いますし、家庭様料理器具と工場のものは性能が違いますからね。もしかしたら美味しく出来る方もいらっしゃるかも知れませんが、自分は何となく不完全燃焼感がありました…。

コーンフレークとシリアルの違いは?

朝食などで食べているサクサクしたフレーク、コーンフレークと呼ぶ方もシリアルと呼ぶ方もいらっしゃいますよね。同じ様なニュアンスで使っている言葉ですが、この二つには大きな違いがあります。まず、今回のメインであるコーンフレークは呼び名のままコーンのフレーク=トウモロコシの粉を主原料にして、薄い破片に成型したものを指す言葉。例えばケロッグさんで販売されている「オールブラン」は全粒小麦と小麦ふすまが原料でトウモロコシは使われていませんから、コーンフレークと言われて連想する形をしていますがコーンフレークには含まれません。

対してシリアルというのは穀物の総称で、加工食品としては穀物をそのまま食べられる状態に加工したもの全般を指します。このためコーンフレークはシリアルの1種であると表現されますし、グラノーラやミュズリーなどもシリアルに含まれます。日本では別に捉えがちですが、オートミールもシリアル食品の1種に含まれています。ただし、そうなるとシリアルの幅はかなり広いので調理せずにすぐ食べられるコールドシリアル・加熱調理する必要のあるホットシリアルの二つに大別されています。日本では一般的にシリアル=コールドシリアルのニュアンスで使用されているように感じます。

コーンフレークの起源と歴史

コーンフレークは19世紀末にケロッグ社の創設者であるウィル・キース・ケロッグと兄のジョン・ハーヴェイ・ケロッグ博士によって発明されました。現在も親しまれているケロッグ社のコーンフレークが元祖と言えますね。ケロッグ兄弟がコーンフレークを作り上げた背景には、当時の時代風潮も深く関係しています。遠回りになりますが、コーンフレーク誕生やケロッグ兄弟のイザコザなどの理由も分かるように順を追って紹介してきます。

禁酒と菜食とシリアル

ケロッグ博士がコーンフレークを発明した19世紀末は、アメリカで禁酒運動が盛んになっていた時期でもあります。禁酒運動は元々はプロテスタント系キリスト教の一派によって行われ始めたものですが、1920年に施行された悪名高いアメリカの“国家禁酒法(ボルステッド法)”へも繋がる大衆運動となっいました。アメリカにはピューリタンの人々が多く入植しており、当時も潔癖と言えるほど厳格に生きることが尊いという考えを持った人が少なくなかったそう。キリスト教を社会的な教義に格上げしようとする福音主義・日課を区切った規則正しい生活をすべきであるというメソジスト派なども登場し、人の品格を貶める原因を根絶しようという禁酒・矯風運動が大きくなっていったという流れがあります。

余談ですが、この時代の禁酒主義活動家として有名なのが、キャリー・ネイションという女性。彼女はアルコール飲料を販売している施設に侵入しては、手斧で店内を破壊いながら賛美歌と祈りを捧げるというとんでもない活動をして30回以上も逮捕されている人。当時は彼女を支持する人も多く写真やミニチュアの手斧なども売れていたそうで、現在でも禁酒法や禁酒運動について調べると高確率で名前が出てくる有名人。女性としてはかなり大柄であったそうですし、そんな活動をするくらいだから目力も凄かったでしょう。飲んでいる時に乱入されたら、夢に出てきそうな気がします。

閑話休題。
1920年に施行された“国家禁酒法(ボルステッド法)”は酒の密輸・密造や治安維持の悪化などから1933年に廃止されていますが、プロテスタント系キリスト教の方々は酒だけを不倶戴天の敵として扱っていたわけではありません。禁酒活動と共に広まったものには菜食主義(ベジタリアン)もあります。菜食主義の考えは世界各地に古くから存在していますが、19世紀に広まったものについてはキリスト教や社会活動の影響が大きいと推測されています。

動物虐待という思考だけではなく、一部のキリスト教の宗派では「病気の原因は罪である」と信じていたため動物を殺して食べることを避けていたんだそう。また19世紀には宗教的主張だけではなく、医学的な面から菜食主義のメリットも唱える医者も多く存在したことから、厳格に教義を遵守していた信者以外にも肉を食べるのを控えようという風潮が出来上がっていきました。19世紀~20世紀初頭にかけては、信仰面と医療面の両方から菜食がもてはやされていた時代と言えますね。

現在パンやパスタの原料として使われている“グラハム粉”も、1830年代に菜食の美徳を説いたシルベスター・グラハム牧師が呼び名の由来となっています。グラハム牧師は小麦粉を作る際の工程で栄養素を捨てていることを指摘し、全粒穀物を余すところなく使用することが健康のためには必要であると講演していました。彼の信奉者がこの実践のために“グラハム粉”を開発し、水で練り固めたものを焼いて細切れにして食べるようになったのがシリアルの起源とされています。

このグラハムシリアルは最初の即席朝食用シリアルとは言われていますが、岩のように固く、朝食に食べるには前日の夜から水に漬けて戻さなくてはいけないような代物。しかも、原料の10倍の価格と相当なお値段で販売されていました。それでも菜食主義や健康意識の高まりという時代の追い風もあり、売れ行きはかなり良かったそう。健康に良いと話題の食品がバカ売れするのは今も150年前も変わらないというところでしょうか。グラハムシリアルが大ヒットしたことで、シリアル食品ビジネスに参入する人も続々と現れるようになります。

コーンフレークイメージ

コーンフレークの発明

ここからが本題。
ケロッグ社の共同創始者であり、社長の兄であるケロッグ博士はセブンスデー・アドベンチスト教会というキリスト教系宗教の信者でした。医学学位を取得した後、アドベンチスト教会が運営するミシガン州の療養施設バトルクリークサニタリウムの館長として就任。菜食主義の病人食を治療として取り入れていたほか、呼吸法や腸内洗浄・温熱療法・電気療法など様々な健康法を実践していました。弟のウィル・キース・ケロッグ氏は医師ではありませんが、バトルクリークサニタリウムのサポートをしていたそうです。

トウモロコシの粉(コーンミール/コーングリッツ)を原料としたコーンフレークの発明はケロッグさんのサイトによると、シリアルを作る際に失敗したことだきっかけと紹介されています。ケロッグ兄弟は小麦粉を練ったもの加熱してローラーで薄く引き延ばすことで、病人にも消化しやすいパンを作っていたのだとか。しかし1894年4月に小麦粉を火にかけたまま忘れてしまい、気づけば小麦は鍋の中でカラカラになってしまいました。予算が厳しかったこともあってとりあえずローラーで引き延ばしてみると、フレーク状のものができ、それを焼いて食べさせると患者の評判も良かったと伝えられています。

当時はまだ粉を練って岩のようにカチカチに焼き上げたシリアルが食されていた時代。ケロッグ兄弟は食べやすいフレーク状の食品製法について特許を取り、1987年には“Sanitas Food Company”を設立。ケロッグ博士の元患者から「granose(グラノース)」という名称でフレーク状穀物を販売すると同時に、フレークにするために適した穀物を探すための研究を続け、1890年代にはとうもろこしの粉を使ったコーンフレークも完成しています。コーンフレークは食感が良いだけはなく、原料のトウモロコシは小麦粉よりも安価であるというメリットもあったのだとか。ケロッグ兄弟の会社は1900年までには年間300万ドルを売り上げるまでに成長します。

とは言え、当時のシリアル・コーンフレークは穀類と水くらいしか使用されておらず、例外なく味が悪かったそう。健康に良くないものは全て排除したのたから仕方がない、という認識で人々はそれを食していました。弟ウィル・キース・ケロッグは「不味いよりはマシ」とコーンフレークに砂糖を掛けることを考案その背景には20世紀初頭にはケロッグ兄弟が会社を構えていたミシガン州バトルクリークには多くのシリアル食品メーカーが設立されていたという事もあります。シリアルが持て囃された健康のためという部分を捨ててでも、食べ物としての美味しさを押し出すことでライバル企業と差をつけたかった様に感じられますね。

しかし共同経営者であった兄のケロッグ博士はコーンフレークに砂糖を加えることに反対し、ケロッグ兄弟は対立します。弟のウィル・キース・ケロッグ氏は1906年にコーンフレーク生産の権利をサナトリウムから買い取り、現在のケロッグ社の元となる“バトルクリーク・トーステッド・コーンフレークカンパニー”を創設します。甘くて美味しいコーンフレークを売り出すだけではなく、彼は「食品店で瞬きをした女性には無料サンプルプレゼント」など斬新な形での宣伝も行いました。こうしたキャンペーンの影響もあり売上は倍増。ケロッグ社はアメリカ以外へもコーンフレークを輸出したり、1928年には製品ラインを拡大すべく米を原料としたライスクリスピーを発売しヒットさせるなど、大企業としての地位を築き上げていきます。

ケロッグ博士がシリアルを押し、砂糖を拒否した理由

ケロッグ社の創設者であり、ケロッグ兄弟の弟であるウィル・キース・ケロッグ氏は“天才的なビジネスマン”と称されることもある方。現在でもケロッグ社はコーンフレークなどの穀類加工食品製造業としては、世界的に見てもトップクラスの規模を誇る企業ですから納得ですよね。対して兄のケロッグ博士(ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ)はと言うと、かなり評判が分かれるというか、良くも悪くも自分の信念を貫き通した方という印象があります。

ケロッグ博士はアドベンチスト教会の信者で、勤めていたのも協会関連の療養院。アドベンチスト教会としても飲酒喫煙や菜食主義・刺激物やカフェインなどの依存性があるものを避けて生活することを推奨していますし、ケロッグ博士もかなり厳しい食事制限を推奨していました。白砂糖・乳製品・紅茶・コーヒー・チョコレートなども口にしてはいけないと考えていたそう。更に呼吸法から腸内洗浄(浣腸)・電気治療など様々、時には珍妙な健康法を考案して患者に行わせていたという面もあります。医師としてだけではなく、健康器具などの開発販売でも稼いでいた方だったりします。

ケロッグ博士と健康食イメージ

様々な健康法の先駆者としてだけではなく、ケロッグ博士はかなり極端な禁欲主義者としても語られます。性行為、特に自慰行為に対しては人間の精神を不安定にする・健康にも悪いという持論を持っており、彼の考案したものの多くは性欲を抑えることに重点が置かれていた・菜食主義を徹底したもの「肉を食べると性欲が増す」と考えたことが発端だという見解もあるほど。ケロッグ兄弟がグラノースやコーンフレークを売り出した際にも、ケロッグ博士は「過度の性欲と自慰行為を抑制することが出来る」というのを売り文句にしていたと伝えられています。砂糖も病気の原因となる性欲を高めるものと考えていたため、弟のコーンフレークに砂糖をコーティングしようという提案を頑なに突っぱねたという説もあるのです。

ケロッグ博士は医者ですし、自身が考案した健康法についても医学的な主張をなさってはいますが、その根底には個人的な何らかの感情もしくは宗教感があったように感じますね。こうした性的な要因が絡む話は(特に日本では)あまり大々的には紹介されませんから、ケロッグ博士=人々の健康のためにコーンフレークを作った人というイメージがありますが……実際のところはどうだったんでしょう。英語サイトではケロッグ博士が性欲を抑制するためにシリアルが大切だったというような旨を掲載しているサイトが多くありますし、日本でもウィキペデイアや雑学系のブログでは紹介されていますよ。当時は性病に対しての危機感もあったのケロッグ博士を支持する方も多かったようです。

コーンフレークの普及と変化

コーンフレークを開発したケロッグ兄弟の弟、ウィル・キース・ケロッグが創設した穀物加工会社は20世紀初頭から半ばにかけて急激に成長しました。当時は国中を挙げての菜食主義・健康ブームの真っ只中。アメリカを中心に様々なシリアル食品メーカーが存在しており各社が売上を競って切磋琢磨していたそうですから、この時期はシリアル業界がお祭り騒ぎだった時期とも言えます。シリアルは健康食品として誕生したということもありますし、シリアルメーカーは新聞やTVへの宣伝も大規模に行っていたこともあって、1920年代までにはヨーロッパでやオーストラリアでも手軽で健康的な朝食としてコーンフレークが定着していきました。

ケロッグ博士が反対したコーンフレークに砂糖をかける点についても、ケロッグ社が売上を伸ばすと他社も取り入れて1940年代までには砂糖がけコーンフレークが主流になっています。今も昔も、体に良いものは食べたいけど不味いのは嫌と考える人が多いのは共通ですね。ただし1940年代にはシリアルの売り言葉であった「優れた栄養食品で健康に良い」ことを疑問視する声も上がるようになります。食べやすくするために大量の砂糖が使われていることはもちろんのこと、加工過程で栄養成分が損失していることも指定されています。1830年代にグラハム牧師が栄養素が抜けた小麦ではなく全粒穀物を食べることを推奨したところから始まったシリアルですが、100年経って美味しさを追求していくうちに一周回ってしまったという感じでしょうか。

しかしシリアル製造メーカーも負けません。ビタミン・ミネラル類を添加し、健康に良い栄養が摂れる・朝食はこれ一つでバランス良く栄養補給ができるという形でシリアルを売り出します。トウモロコシや小麦にほとんど含まれていないビタミンDなどの栄養素がコーンフレークだと摂取できるのもこのため。現在でもコーンフレークほかシリアル類のデメリット・添加物の危険性などを指摘する声はあります。ナチュラルなものを求める消費者にはミュズリーやふすま由来のものを、手軽さを求める消費者には食物繊維や栄養素を添加したものを、と様々なメーカーがニーズに合わせた商品を販売しているというのが現状ですね。コーンフレークやグラノーラなどでは近年はプレバイオティクス類を添加したものが多く流通していますし、DHAなどのオメガ3脂肪酸の添加を検討しているメーカーもあるそうです。

日本初のコーンフレークは

1915年~1920年代にかけての時期に、アメリカから欧州諸国へと広がったコーンフレーク・シリアル文化。日本では戦後にアメリカから導入されたように感じますが、実は1929年(昭和4年)には北海道にある日本食品製造合資会社によって国内初のコーンフレークの製造販売が行われています。北海道では明治以降とうもろこしやオーツ麦などの栽培が大規模に行われていたので、それを活用する食品として導入したのだとか。シリアルにかける牛乳も、北海道の特産品ではありますしね。

西暦1962年(昭和37年)には日本ケロッグが設立され、翌年1963年にはケロッグ社からも「コーンフレーク」と「コーンフロスト」が販売されます。また、同じく1963年には日清シスコ株式会社(当時はシスコ製菓株式会社)からも「シスコーン」が発売されています。当時は日本の生活スタイルが変化していた時期でもありますから、手軽に食べられる朝食としてコーンフレークが急速に普及していきました。子供からすればお菓子感覚で食べられるもの嬉しいですし、アメリカの文化が日本でも広まっていた時期なのでオシャレな印象もあったのかもしれませんね。

参考サイト:20 Interesting John Harvey Kellogg FactsDrop that spoon! The truth about breakfast cereals日本食品製造合資会社

恥ずかしながら北海道民ではあるものの、日本初のコーンフレークはケロッグだと信じていました。まさか北海道が国産コーンフレーク発祥の地だったとは…! 日食さんからは今でも北海道産素材を使った“アールグレイ風味のオーツ麦と大麦のグラノーラ ”など美味しそうなシリアルが販売されています。スーパーなどで売っているのをお見かけしたことが無い気がしますが…発見したら地元応援のためにも、日本初に敬意を示す意味でも購入したいです。

そしてケロッグ博士!!! 子供の頃に親しんだポップなパッケージと名前から「子供の健康な成長を考えた人」というイメージがあったのですが、調べてみると全然違うっていう(苦笑)なんか調べるほど性欲抑制=健康のため以外にも思うところはあったんじゃないかという邪推が湧きます。子供時代に大変お世話になった方は、ケロッグ兄弟のお兄ちゃんじゃなくて弟さんの方だったんですね。砂糖がかかっていたりチョコ味だったりしなかったら、多分喜んでコーンフレークを食べることは無かったと思いますから。