カヌレはボルドーの修道院発祥、は要審議だった
-歴史から消えたフランス菓子発祥の謎

カヌレはボルドーの修道院発祥、は要審議だった<br />-歴史から消えたフランス菓子発祥の謎

フランス伝統菓子であり、ちょっぴりオシャレなイメージもあるカヌレ。外側はカリカリで香ばしく、内側は柔らかくカスタードのような甘く濃厚な風味と、食感風味共に内外の対比が美味しいお菓子です。かつて日本でカヌレブームがあったので、世代によっては懐かしの思い出と結びついている方もいらっしゃるかもしれません。

日本でも一時期下火になっていたカヌレですが、実は歴史的に存在が消えてしまった時期があることをご存知ですか?しかも空白の期間を挟んでレシピが大きく変わっている可能性があり、発祥地や作られ始めた年代も断定されていません。カヌレの不思議な歴史・成り立ちを紹介します。

カヌレ(Canelé / Cannelé)基本情報

カヌレとは

カヌレはフランス、ボルドー地方の伝統的な焼き菓子。
ボルドー地方の特産品であることから“カヌレ・ド・ボルドー”とも呼ばれます。

“カヌレ型”と呼ばれる円筒の縦に溝が入って波状になっている見た目も、ラム酒とバターが香るリッチな風味も特徴的ですね。また、表面は濃い茶色でカリッと、内側はしっとり・もっちりとした食感も人気の一端を担っています。

表面の味を強く感じる方ならば「カラメルのような」、内側の味を強く感じる方は「カスタードクリーム」とも表現されます。マフィンなどよりもずっと濃厚な風味、表面の焦げ色など、他の焼き菓子と被るところが少ない個性的なお菓子と言えるのではないでしょうか。カヌレほど表面を黒っぽい焦げ茶色に焼き上げる菓子もそうありません。

そんなカヌレの基本的な材料は小麦粉、卵、牛乳、砂糖、バニラ、ラム酒
どれも洋菓子ではよく使われる食材ですよね。カヌレの特徴と言えるのは卵黄が多く使われていること。卵黄のみ、もしくは卵黄+全卵と全卵のみを使用した場合よりも卵黄の比率を高くして作られます(レシピによっては全卵のみの場合もあり)。卵黄が多く使われることで、濃厚なカスタードのような生地になるのですね。

カヌレの由来は?

カヌレという呼び名はフランスでの菓子の呼び名を、そのままカタカナ呼びにしたもの。カヌレの語源は、ボルドーで使われていたガスコーニュ語で「溝」や「フルート」という意味を持つ“canelat”とされています[1]。

「溝」と言われると、縦に深い溝が入っていて、真上から見ると中心部の大きい菊紋のようにも見える“カヌレ型”を連想しますよね。このカヌレの溝ですが、カヌレを上手に焼くために一役買っていると考えられます。カヌレを上手に焼き上げるには熱伝導が重要で、熱伝導が良いことから今でも伝統的な“銅のカヌレ型”が最も適していると支持されています。表面積が多いほど熱は早く伝わりますので、表面に溝を作ることで熱を伝わりやすくしている可能性もあるでしょう。

名前の由来については、焼き上げる形状が“カヌレ(溝のある)”だからという説が一般的ですが、否定的な見解もあります。というのも、昔食べられていたカヌレ、カヌレの原型といえるようなお菓子は今のような型を使って焼いていなかったため。杖のような形状に生地を巻き付けてラードで揚げる[1]と、スティック型のお菓子が食べられていました。このため「フルート」が由来なのではないかという説もあります。

カヌレはCaneléそれもCannelé?

カヌレやカヌレ・ド・ボルドーとカタカナで書いてしまうと一緒なのですが、フランス語のスペルでは2パターンの書き方が混在しています。

  • Cannelé de Bordeaux
  • Canelé de Bordeaux

カヌレの「n」が1つのものと、2つのものがありますよね。

これは1985年にボルドーのパティシエを中心に、伝統的なカヌレのレシピを守る『Canelé de Bordeaux』という組合が設立された影響です。『Canelé de Bordeaux』ではカヌレの伝統を保護するために、基準を守ったレシピを使用したカヌレはスペルから「n」を1つなくした“Canelé”とすると決めたのです[2]。一種のブランド・商標のようなものですね。

  • Canelé→規定のレシピで作られているカヌレ
  • Cannelé→材料等を自由に設定し作られているカヌレ

そもそも、本来のスペルはCanneléなので良いのでは? と思いますが、この『Canelé de Bordeaux』による名称の縛りについては賛否両論あります。組合員以外には、材料も製法も明かされていないというのも問題なのかもしれませんね。こうした事情から、フランス全体ではCanneléの方が多いようです。日本で私達が食べているカヌレも、フランス語で書くならn2つCanneléのですね。

カヌレの発祥エピソードと歴史

カヌレのイメージ画像

カヌレの有力な発祥説は2つ

カヌレはフランス、ボルドー地域あたりが発祥のお菓子です。紹介されることが多い発祥説は「ボルドーの修道院で作られた(修道女が作った)」というお話ですが、実のところ起源は断定されていません。有力視されているカヌレ発祥説を紹介します。

ボルドーの修道院発祥説

カヌレ発祥説として最も紹介されることが多いエピソーソードは「ボルドーにある女子修道院(couvent des Annonciades)で、修道女の方々によって考案されたお菓子である」という説。マカロンもヴェネツィアの修道院で作られていたお菓子がルーツと考えられていいることから、引き合いに出されることもあります。

ボルドーの修道院でカヌレが焼かれるようになった時期についても諸説ありますが、早いものでは16世紀、遅くとも18世紀までとなっています。このボルドーの修道院は1519年に設立されているため、カヌレが作られるようになったのはそれ以後~18世紀という形ですね。

清貧なんて言葉もありますし、修道院の方々がカヌレのようなリッチなケーキを作っていたというのは意外ですよね。実は、修道院でカヌレが作られたのはボルドーという地域の状況が関係しています。

ボルドーと言えば、ボルドーワイン。ワインの名産地です。
ボルドーでは約2,000年前からワインが生産され、歴史の中で生産方法も進化していきました。ボルドーでカヌレが食べられるようになった時期は、ワインド作る際に濁りや澱を除去するろ過工程で「卵白」を使用していた時期[2]。このため、使用しなかった卵黄を有効活用するためにカヌレが作られたと考えられています。

ただし、このボルドー修道院発祥説には証拠がありません。
修道院では考古学的な発掘調査が行われてたのですが、現在のような形をしたカヌレ型も、カヌレ型の制作や修理を頼まれたという記録も見つかっていません[2]。元祖カヌレのレシピも発見されていません。このことから、修道院で作られていたカヌレは、現在私達が思い描くお菓子とは全く別物だった可能性が高いとの声もあります。

これがカヌレの由来で「溝があったのではなくフルートの形をしていたから」という説がある理由。16~18世紀の間にボルドーの修道院で作られていたお菓子は、杖のように生地を巻き付けてラードで揚げたスティック型のもの[1]だったという説に繋がるわけです。生地を伸ばして巻きつけるのであれば、型も使いませんから、発掘調査で発見されなかったことも分かります。

※画像はイメージであり、当時の再現ではありません。

リモージュの名物Canole説

ボルドーの修道院で作られていたスティック型のお菓子がカヌレというのなら、それよりもカヌレのルーツとしてふさわしい菓子がある、という声もあります。それはフランス中部にあるリモージュで食べられていた“canole”と呼ばれるパン。

リモージュ発祥とされる“canole”は小麦粉と卵黄が主原料で、細長い形に切り分けた生地を2本合わせて捻る(撚り合わせる)というものでした[3]。今の私達が知るカヌレには似ていませんが、ツイストスティックパン“canole”が17世紀頃からボルドーでCanauléまたはCanauletと呼ばれていたものと同じ、もしくは非常に近い存在[4]、つまりカヌレのルーツとなるお菓子ではないかとの説もあります。

ボルドーでこのCanauléと呼ばれるパン/焼き菓子は人気となり、18世紀にはCanaulé専門の職人“Canauliers”も登場しています。1785年にはボルドーに39以上の専門店があったそうですから、かなり普及していたのではないでしょうか。まずリモージュから伝わった“canole”がCanauléが普及し、これを18世紀頃にボルドーの修道女たちがアレンジし呼び名を変えた[4]という見解も出てくるのです。

18世紀のボルドーはワインを作るために沢山の卵白を使い、卵黄は余剰傾向にありました。ボルドーには植民地で生産させていた砂糖が運び込まれる港もありましたから、商品としての差別化を図るために砂糖を加えた職人がいた可能性もあるでしょう。

リモージュで食べられていた“canole”はパンでしたが、ボルドーで菓子に近づいていったのかもしれません。

カヌレは一度、歴史から消えた

17~18世紀頃からボルドーで人気を博したツイストスティック型のパン/菓子Canaulé。しかし、このまま製法が確立され現在のカヌレに近づいていった・有名料理人が型を使って焼く方法を考案した…というわけではありません。実は、19世紀にカヌレは一度歴史から消えてしまいます。

レシピ・料理に関する書物からCanauléやCanauletの記述が見られなくなり、Canauléを作る職人“Canauliers”もボルドーの職人リストから消えてしまいました[2]。Cannelonsなど似た記述は見つかっていますが、これらは折パイ系のお菓子なのだそう。

リモージュから伝わったパンから進化したCanauléや、ボルドーの修道院で作られていた菓子も私達の知るカヌレとはかなり離れています。ただ、材料などの共通点はありますから、ルーツであると言われれば否定できません。しかし、一度パイ料理になってから今のカヌレになると考えるのは不自然。19世紀に食べられていたパイ菓子は、名前が似ているだけで別物と考えたほうが良さそうです。

20世紀にカヌレ再登場・カヌレ型も作られる

20世紀の前半に再びカヌレは現れます。
誰かは分かっていませんが、あるパティシエが古いレシピを参考に「ボルドーっぽい食材」であるラム酒とバニラを加えて、現在のカヌレの元となるレシピを考案したと考えられています[4]。修道院から発見されていないため、現在のような“カヌレ型”を使って焼かれるようになったのも20世紀に入ってからできた製法と考えられています。

“Canauliers”が存在していた18世紀のボルドーは、交易港として栄えていた地域でもあります。植民地で生産させていた砂糖やコーヒーはもちろんのこと、バニラやラム酒、そして奴隷まで様々な商品が日々運び込まれていたのです。18世紀のレシピは定かではありませので、特産品であるラムとバニラを使って「ボルドーっぽさ」を演出した可能性もあるでしょう。

この、現代式カヌレの発案者であるパティシエがどこの誰かは分かっていません。18世紀に食べられていた形状と20世紀に考案されたレシピには大きな隔たりがあるため「パティシエが独自に考案し、溝のついた型の形からカヌレと名付けた」という見方をしているかたもいらっしゃるそうです。

カヌレは20世紀に作られた菓子とも言えますね。
数百年の伝統を主張しているボルドーには認められなさそうな主張ではありますが、実はカヌレが広く知られるお菓子となったのは1985年にカヌレの組合『Canelé de Bordeaux』が設立されて以降。1970年に発刊されたフランスのグルメガイド『Guide gourmand de la France』にはカヌレの記述がありません。

それまでは一部地域でのみ食べられていた菓子なのか、町興しの一環として活用されたのか。どちらにせよカヌレの風味を味わいながら、ボルドーの歴史と特産に思いを馳せてみると楽しいのではないでしょうか。

【参考サイト】

  1. Cannelés Bordelais
  2. Tout savoir sur les cannelés
  3. Les canoles limousines
  4. Canelés bordelais

実は最近まで「ボルドーの修道院」説を信じていた自分です。wikipediaもそうですし、日本だとほぼ定説という感じで語られていますよね。本当は記事を書くにあたり「修道院でなぜラムやバニラを使ったか」を調べるはずでしたが、修道院で焼かれていたのは現在のカヌレと別物の可能性が高い…という事実に行き着いた次第です。

母がカヌレブームの時に手作りしてみたらしく「手間と時間がかかって面倒だった」という話は聞いていましたし、レシピを見たら確かに大変。王侯貴族や富裕層お抱えの料理人ならともかく、修道院や街の人がここまで手間のかかる(売ったとしても採算のあわなさそうな)ものは作らなかった様に思います。型も発掘されていないですしね。個人的にはカヌレは20世紀に誕生した、新しい部類のお菓子なのではないかと思います。