バウムクーヘンには2000年の歴史があった?
-ルーツと仲間のお菓子はお祝い菓子

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日本で最も馴染みのあるドイツ菓子と言っても過言ではないバウムクーヘン。コンビニでも変えますね。名前からもドイツのお菓子っぽいなぁという印象があるバウムクーヘンですが、そのルーツは古代ギリシアにまで遡るとも言われています。ドイツのバウムクーヘンだけでなく、バウムクーヘンに似たお菓子も見ていくと、私達の知るバウムクーヘンまで進化した歴史がちょっぴり見えてきますよ。

バウムクーヘン(Baukuchen)基本情報

バウムクーヘンとは

バウムクーヘンは、棒を中心に生地を少しずつ層状に重ねて焼き上げたお菓子です。
芯になる棒に生地を巻きつけつように垂らし、表面がこんがり焼色が付くまで回しながら焼く→再び薄く生地をかける、という方法で何層にも薄い層を重ねて作られています。この特殊な製法のため、バウムクーヘンを焼くときはバウムクーヘンオーブンと呼ばれる専用の焼き器が使用されています。

バウムクーヘンはドイツ菓子に分類され、バウムクーヘンという呼び名もドイツ語をそのまま日本人が発音しやすいようにカタカナにしたものです。原産国のドイツではクグロフとともに“König der Kuchen(ケーキの王様)”と呼ばれる存在。

ここでの「王様」は綺麗にバウムクーヘンを焼き上げるためには繊細で高度な技術が必要なこと、1841年にバウムクーヘンの名産地であるザルツヴェーデルを訪れた(当時はプロイセンの)王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が気に入って妻のために持ち帰ったという逸話が由来[1]とされています。

バウムクーヘンの意味・由来は?

バウムクーヘンのスペルは「Baukuchen」で、英語でもそのまま使われています。

バウムクーヘン(Baukuchen)という名前は、2つの意味を持つ単語に分解できます。
それは、そのまま呼び名の由来でもあります。

  • Baum(バウム)=木
  • kuchen(クーヘン)=お菓子・ケーキ

バウムクーヘンはカットした時に切り口が何層にも重なっていて、木の年輪のような模様に見えます。この見た目から日本語に直訳すると「木のケーキ」という名前で呼ばれるようになりました。

ちなみに、英語で検索すると、呼び名の由来も合わせて“Baumkuchen(German Tree cake)”と表現されていることもあります。しかし「Tree cake」だけだとブッシュ・ド・ノエルなど丸太・切り株を模したケーキや、もっと装飾的に「木」のデザインに作り上げたケーキのことを指している場合もあるため注意が必要です。

バウムクーヘン? バームクーヘン?

日本ではバウムクーヘンはバームクーヘンとも呼ばれていますよね。
お菓子の商品名としても両方見かけますし、ネットショップでは検索対策か「バウムクーヘン」と「バームクーヘン」の両方を商品名のところに入れていらっしゃるお店もあります。

日本で二通りの呼び方・表記が使われているのはドイツ語の「Baukuchen」をどう聞いたか・どう言いやすい形にしたかの違いです。本来のドイツ語の発音に近いのはバウムクーヘンですが、TBS系『マツコの知らない世界』ではバウムクーヘンサークルの代表の方が「日本のバウムクーヘンは、厳密に言えばバームクーヘン」と紹介していました。

この説明は、本場ドイツでバウムクーヘンを名乗るためには、国立ドイツ菓子協会の規定に則っている必要があることを根拠とされていました。例えば、農業法人深作農園有限会社さんからは、本場ドイツの伝統製法で作りドイツからもお墨付きを頂いている「ドイツバウム」が販売されています。

「ドイツバウム」の商品ページには、国立ドイツ菓子協会の規定も紹介されていました。

国立ドイツ菓子協会規定のドイツ伝統バウムクーヘン

・使用する油脂はバターのみで、マーガリンやショートニングは使用不可。
・ベーキングパウダー(膨張剤)使用不可。
・添加物の使用不可。
・配合は卵2:小麦粉1:砂糖1:バター1の割合。
・一般的な共立て製法ではなく、生地とメレンゲを合わせる別立て製法で製造。

引用元:ドイツバウム|深作農園

また、書かれてはいませんが、機械での大量生産もNG。職人が焼き加減を見ながら手作業で焼き上げる必要があるので、本場ドイツでは日本のように手軽に食べられる菓子・菓子パンの一種という扱いではないのだそうです。材料もリッチですし、手間暇もかかっていますから、ドイツのバウムクーヘンはコンビニで150円くらいで変えるお菓子でではないのでしょう。

日本では商品名について何の規定もされていません。なのでバウムクーヘンと名乗っても良いですが、この規定を見ると日本独自の進化を遂げたお菓子=バームクーヘンと言いたくなる気持ちも分かりますね。

バウムクーヘンの仲間たち

東欧から北欧にかけての地域を中心に、バウムクーヘンのように芯に生地を巻き付けて焼く菓子・菓子パンが食べられています。私達が聞いて思い浮かべるドイツ系のバウムクーヘンとは違うものの、バウムクーヘンの仲間といえる代表的なお菓子を紹介します。

リトアニアとポーランドでは、バウムクーヘンをトゲトゲにしたようなケーキがあります。リトアニア語ではシャコティス(Šakotis)、ポーランド語ではセンカチュ(sękacz)と呼ばれ、結婚式や誕生日パーティー・クリスマスなどの特別なお祝いのときに食べる料理・伝統菓子として扱われています[2]。こちらも生地を回転させながら、層を重ねる方式で焼き上げられます。

ハンガリーやルーマニアの一部でキュルテーシュカラーチ(kürtőskalács)、チェコやスロバキアでトルデルニーク (Trdelník)と呼ばれている焼き菓子は、生地の表面をカリッとした食感になるまで焼き上げます。串を使って焼く点は一緒ですが、キュルテーシュカラーチ/トルデルニークは生地で芯を包むようにしてことが特徴。このため生地を薄く何層にも重ねるバウムクーヘンに対して、パンに近い食感になります。

バウムクーヘンのルーツと歴史

バウムクーヘンのルーツは古代ギリシア

現在のようなバウムクーヘンではありませんが、古代ギリシアの時代から、棒に生地を巻きつけ、火で焼き上げるという料理法が既に存在していました。このことから、バウムクーヘンのルーツは2,000年以上前、紀元前にまで遡るという主張もあります。

バウムクーヘンのルーツ・原型とされる古代ギリシアの料理は“オベリアス(Obelias)”と呼ばれる、棒に生地を巻きつけて焼いたパン[3]。パン生地は細く薄く伸ばして棒に巻き付けていた、蜂蜜を使って甘くしていた、と考えられています。私達のイメージする層状のバウムクーヘンよりは、キュルテーシュカラーチやトルデルニークと呼ばれるタイプの焼き菓子に近いですね。

また、生地の材料や製法の関係か「パン」と表現されているは“オベリアス”ですが、古代ギリシアの食材状況を忘れてはいけません。古代ギリシア人や古代ローマ人は砂糖を食材として使っていはいませんでした。当時のヨーロッパの人々にとって、甘味をつけるものと言えば蜂蜜。その蜂蜜が加えられていたとしたら、約2,000年前の感覚では菓子・デザートのような位置づけだった可能性が高いでしょう。

古代ギリシアではお祭り料理?!

ギリシア神話には、ディオニューソスというブドウ酒と豊穣の神が登場します。この神様を祝し、古代ギリシアではディオニューシア祭と呼ばれる盛大なお祭りを行っていました。バウムクーヘンのルーツとされるパン“オベリアス”も、このお祭りで販売され[3]祝菓子のような扱いでもあったようです。

余談ですが、ディオニューシア祭ではPhalloiと呼ばれる男根を模したオブジェが使われていたことが分かっています。棒に生地を巻き付けたパンは、見ようによってはそれっぽい。このため、男根や出産の象徴としての意味合いもあったのではないか[4]という見解もあります。古来、東西問わず豊穣のお祭りと性は結び付けられやすかったので、さもありなんですね。

ローマ帝国によって各地へ広まる

古代ギリシアを征服したローマ人も、棒に生地を巻きつけて焼いたパンを気に入り、自分たちの生活に取り入れました。当時はギリシアのほうが料理、特にパンに関しては先進国。パン職人をさらったなんて逸話もあるくらいにローマはギリシアのパン製法を求めていたのです。

また、ギリシアの神々もローマの神話・信仰に取り入れられました。ローマには酒の神バッカス(バックス)がいますが、この神様の名前はディオニューソスの異名バッコスが由来。ギリシアのディオニューシア祭の影響も多分に受けながら、ローマでも豊穣を祝うバッカス祭が開催され、人々は大いに満喫していたようです。ローマでもバッカス祭の時には、ギリシアから学んだ棒に生地を巻き付けたパンが食べられていました。

そして、ローマは周辺地域を征服し領土を拡大していきます。イタリア半島から中央ヨーロッパにかけてのエリアも全盛期ローマの支配圏です。この時、ローマ人は遠征・征服した土地にもパンの製法、棒を使ってパンを焼く方法を伝えたと考えられています[3]。歴史的に考えて、1~2世紀事には広い範囲でバームクーヘンのルーツと言えるようなパンが作られていた可能性があるでしょう。棒に生地を巻きつけ直火で焼けば、パン窯が必要ないので手軽に作れますしね。

バームクーヘンの起源は?

古代ギリシア・ローマで食べられていた、棒に巻きつけて焼くパン。
これが現在のバウムクーヘンの起源・発祥と言える状態に変化したタイミングは分かっていません。地域ごとにそれぞれ発展していった可能性もあるため、ドイツ、ハンガリー、ルーマニア、オーストリア、ポーランドなどなど様々な国や地域で「バウムクーヘンの発祥地はうちだ」と主張されています[4]。

有力視されている3つの発祥地を紹介します。

ハンガリー発祥説

バウムクーヘンの起源と考えられている焼き菓子の中で、ルーツとされる古代ギリシアの“オベリアス”と近い形をしているのがハンガリーやポーランドで食べられている(kürtőskalács)です。キュルテーシュカラーチは棒にパン生地を巻きつけ、回転させながら焼き上げる焼き菓子。ただし、バウムクーヘンのようにカットしても木の断面のような層状にはなっていませんし、生地も薄めです。

私達の思うバウムクーヘンと、古代ギリシアで食べられていたパンとの中間に位置しているようにも思えますね。ちなみに、キュルテーシュカラーチは洗礼やお祭りなどお祝い事に食べられる祝い菓子でもあり、ウエディングケーキとして使われることもあったのだとか[4]。起源はトランシルバニアとも言われていますが、バウムクーヘンの起源としてはトランシルバニアではなくハンガリーが挙げられています。

ポーランド発祥説

リトアニア語ではシャコティス(Šakotis)、ポーランド語ではセンカチュ(sękacz)と呼ばれるケーキがバウムクーヘンの起源であるという説もあります。14世紀、リトアニアとポーランドの関係性を強化するために、ポーランド女王のもとへリトアニア君主の息子ヨガイラが婿入するという事がありました。この2人の結婚式(披露宴)で、ヨガイラの出身地の料理としてシャコティスが振る舞われました[2]。

14世紀の披露宴で既に“お婿さんの郷土料理”として存在してたわけですから、それ以前からリトアニアでは食べられていたのでしょう。国のトップの結婚式で提供されたことから、ポーランドとリトアニアの広い範囲で知られるお菓子となったと考えられます。また、披露宴用のお菓子を焼いた職人は、その防備でもらった指輪で意中の人にプロポーズして成功した、という逸話もあるため結婚式のお菓子として定番なのだとか。

シャコティスはパン生地ほど固くない、バッターとでも呼ぶべき緩めの生地が使われます。
木の棒に生地を垂らして回しながら焼き、また生地を垂らして…という作り方も、バウムクーヘンに近いですね。シャコティスの製法を元にバウムクーヘンが出来た、と言われても納得です。

ドイツ、ザルツヴェーデル発祥説

より私達の知るバウムクーヘンに近いお菓子は、ドイツのザクセン=アンハルト州にあるザルツヴェーデルで作られたという説もあります。少なくとも200年以上ザルツウェーデルでバウムクーヘンは作られていたとされ、現在ザルツウェーデル式バウムクーヘンはEUによる原産地名称保護制度の認証も受けています。ただし、いつから食べられていたのかははっきりしていません。

1581年にMarx Rumpoltによって書かれたドイツ料理の本『Ein new Kochbuch』にはバウムクーヘンのレシピが掲載されている[5]ため、16世紀事から存在していたという見解もあります。とはいえ、より現代の一般的な“バウムクーヘン”のレシピが確認できるのは18世紀から。1776に発行された『Nieder-SächsischesKoch-Buch』という料理本にレシピが掲載されています[1]。それよりも少し前、1749年にはザクセン=アンハルト州にバウムクーヘン工場も作られていました[2]から、現在のようなバウムクーヘが普及し始めたのは18世紀頃からの可能性が高いですね。

日本のバームクーヘンは広島発、元祖はユーハイム

本場ドイツのバウムクーヘンではなく、私達に馴染み深い日本のバウムクーヘン(バームクーヘン)。こちらは第一次世界大戦後に日本に捕虜として連れてこられたドイツ人、カール・ユーハイム氏が広島の1919年に広島県物産陳列館で焼いたバウムクーヘンから始まりました。この時に焼かれたバウムクーヘンはシャコティスのようにツノのある形状だったため、ピラミッドケーキと呼ばれていました[6]。

ちなみに、元々ユーハイム氏は中国の青島で菓子店を営んでいました。日本が青島を攻めたことで捕虜となり、日本につれてこられたのですね[1]。捕虜になったドイツ人の方々の多くは、戦争が終わって釈放されると国に帰りました。しかし、ユーハイム氏は日本に永住することを決め、1622年に横浜で「E・ユーハイム」というお店をオープン。このお店が元になり、現在も親しまれているユーハイムチェーンができました。

バウムクーヘンが引出物の定番なのは

結婚式でゲストの方にお礼・お土産としてお渡しする引出物(引菓子)。地域によって差はありますが、全国的にバウムクーヘンは引菓子の定番の1つに数えられます。バウムクーヘンが引菓子としてよく使われるようになった理由は、

  • 切り口が木の年輪に見えることを、夫婦で歳を重ねることに見立てた縁起物
  • 指輪の形状に似ていることが好まれたから
  • 持ち運びやすく、常温で日持ちがするから

などがあります。

持ち帰りやすく日持ちがするのも良いですし、年輪がたくさんある木のように…という発想も素敵ですよね。古代ギリシアの時代から、ヨーロッパでもバウムクーヘン系統のお菓子はおめでたい時に食べられてきました。ウエディングケーキとして使われていた歴史もあります。最近はおしゃれな引菓子が使われることも増えましたが、トラディショナルなバウムクーヘンを使っても素敵なのではないでしょうか。

【参考サイト】

  1. Baumkuchen – Abenteuerreise von Deutschland ins ferne Japan
  2. シャコティス – Wikipedia
  3. Historie des Baumkuchens | Harzer Baumkuchen
  4. Baumkuchen, the ‘King of Cakes’
  5. Baumkuchen / Schichttorte – Fae’s Twist & Tango
  6. ユーハイムの歴史 | ユーハイム

気になる料理・菓子の歴史を調べるのに海外のサイトをよく見るのですが、「日本のバウムクーヘン」が紹介されているページが多いことに驚きます。本国ドイツよりも、日本人のほうがバウムクーヘンが好きでよく食べているらしいぞというのは、欧米で知られているようです(笑)フレーバーの多さも、海外の方からすると驚ろきなんですね。

コンビニやスーパーでも売っていて、気軽に食べられる日本のバームクーヘン。伝統製法が守られている国々からすると和食・和菓子の一種として進化したようなイメージなのかもしれません。2000年の時を辿れば古代ギリシアのパンから各地で独自に進化していったわけですから、日本で親しみやすいバームクーヘンが流通するようになったのも歴史の流れに沿っているのかもしれません。