1月15日は小正月? 女正月?
どんど焼きの歴史、小豆粥・餅花の意味とは?

1月15日は小正月? 女正月? <br />どんど焼きの歴史、小豆粥・餅花の意味とは?

1月15日は小正月。と言っても、三が日が終わって仕事も始まり、すっかりお正月モードの抜けた時期ではあります。20世紀には小正月と「成人の日」が同じだったので華やかさが戻ってきていましたが、現在は何も意識もせずに過ごす方も少なくないでしょう。地域によっては左義長(どんど焼き/さいと焼きなどとも)が行われるのでその準備をするという方、正月りや御札を持って神社やお寺に行くという方もいらっしゃいますが…小正月という言葉はマイナーな部類。

しかし昔は小正月も節目として大切にされていた日で、とんど焼き以外にも様々な行事が行われていました。さらに昔まで遡れば小正月こそが“元日”だったという話もありますから、当然と言えば当然かも知れません。小正月がいつのことを指すのか、なぜ「女正月」と呼ばれているのかご存知ですか?小正月の行事食とされる小豆粥についてや、とんど焼き・餅花などについても合わせてご紹介します。

小正月とは? 行事や名物はある?

小正月とは

小正月は1月15日、もしくは15日を中心として行われる正月行事の総称です。
とは言っても現在は松の内が1月7日まででそれ以降は平常運転という地域が多いので、1月15日については正月というよりは「(旧)成人の日」というイメージのほうが強いのではないでしょうか。現在の成人式は1月の第2月曜日に行われていますが、1999年までは1月15日に行われていましたよね。

実はかつて1月15日が「成人の日」として制定されていたのも、この日が小正月であったためと考えられています。現在の成人とは年齢も考え方も違いますが、昔の日本で行われていた成人になったことを示す儀式“元服”も慣例的に小正月に行われることが多かったと言われていますよ。古くから行われてきた成人の儀礼があって、現代に入ってからも成人を祝う日に相応しいと選ばれたのではないでしょうか。

なぜ1月15日なのかというと、昔の日本で使われていた暦と関係があります。太陰太陽暦では基本的に月の満ち欠けによって日にちを定めており、1日が月の朔(新月)で15日は満月でした。つまり1月15日というのは、新年になって初めての満月の日小正月の別名の一つには「望の正月」という呼び方もありますね。

さらに古い時代、月の初めが朔(新月)ではなく満月だったとも言われています。なので本来の正月・元日というのは1月15日のことであり、暦に関する考え方が変わった際に、一年のはじめの日を大正月・今までの正月を小正月と呼び分けるようになったという見解もあります。小正月には小年・若年・花正月など様々な呼び方がありますが、二番正月や戻り正月と呼び方は何となくそんなニュアンスを感じますね。

お正月は年神様(歳徳神)をお迎えし、持て成すことで新しい一年間の福徳を頂こうという行事が起原だと言われています。現在では1月7日までを「松の内」と見做している地域も多いですが、伝統的には1月15日の小正月までが「松の内」とされていました。今でも関西を中心に15日までを松の内としている地域もありますね。このため現在ではお正月感は払拭されている1月15日の小正月も本来は年神様が滞在されている「松の内」であり、正月行事を行う日として大切にされてきた節目の日の一つと言えます。

小正月はいつからいつまで?

小正月はざっくり言うと「1月15日前後」ですが、地域や考え方によって異なります。
1月15日のみを指す場合もありますし、同じ一日限りであっても昔は日没が一日の終りであったことから1月14日の日没から15日の日没までの期間を指すという見方もあります。お正月の“三が日”と同じ様な感覚で1月14日~16日の三日間を小正月の期間であるとする場合もありますね。

また現在のカレンダーではなく旧暦(太陰暦)の考え方に則って、年が明けて初めての満月の日としている方もいらっしゃるようですね。そのほか元日から15日までの期間を通して・成人の日(1月の第2月曜日)であるなどの考え方もありますが、現在一般的に言われている小正月としては1月15日、もしくは1月14~16日の三日間のどちらかが多いでしょう。

小正月の行事・飾り物・食べ物とは?

正月の大々的なイベントと言える1月1日「元日」に行うのは年神様をお迎えする・氏神様などの神仏への感謝や祈願を捧げるという意味合いの強い行事ですが、1月15日の小正月に行われるものは仕事始めに近い位置づけであると言えます。

とんど焼きイメージ

左義長(とんど焼き)

門松や注連飾りなどのお正月飾り・書き初めで書いたものなどを寺社で焼いて貰う、左義長(さぎちょう)。どんど焼きやどんと焼き・さいと焼き・道祖神祭りなど地域によって様々な呼び方があり、行程にもそれぞれ特色がありますが。火を使って注連飾りなどを焼く“火祭り”であるということは共通していますね。行われる時期も地域によって差異がありますが、小正月=1月15日前後に開催されることが多いのではないでしょうか。

左義長は道祖神(障の神/塞の神)と結び付けられることから、現在は悪霊払い・無病息災の祈願という意味合いがクローズアップされているように思います。しかし民俗学的には、正月飾りをつけてお迎えした年神様のお帰りを見送るということが本来の形であったと考えられています。左義長の火にあたると体が丈夫になる・若返るという伝承や、左義長の火で焼いた餅や団子を食べて無病息災を願うということから、道祖神信仰の影響だけではなく鏡開きで餅を食べるのと同様に年神様の力を分けて頂くという思考があったという見解もあります。逆に左義長を「子供の祭り」としている地域が多いのは、道祖神が子供を守る役割を持っていた関係と考えられます。

余談ですが、左義長と同じく火を使う行事の代表として、お盆の“迎え火”と“送り火”もあります。特に“送り火”の方は「帰ってきたご先祖様をあの世へと送り出す行事」と共通点が多いですが、これは左義長が起原であるためではないかと言われています。というのも日本の宗教は様々な信仰が習合されており、年神様(歳徳神)は祖霊と同一視されていた存在でもあるため。後に仏教が導入されると祖霊の部分が祖先供養の行事であるお盆に、年神様の“神”の部分が強調されたものがお正月と振り分けられたとも言われています。

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左義長の起原や発祥については諸説あり、はっきりと分かっていません。有力とされているのは、平安時代に行われていた「毬杖(ぎっきょう)」に関わる宮中行事。毬杖は現在の羽根突きの原型とも言われている、木製の杖を使って毬を打ち込む野球やホッケーのような遊び。小正月になると宮中では毬杖を三本結んで三脚のような形で立て、その上に食物や短冊などを載せて焼くという火祭りが行われていました。はっきりとは分かっていませんが、目的は邪気払いだったと考えられています。後に吉田兼好が記したとされる『徒然草(180段)』には“さぎちやうは、正月に打ちたる毬杖を、真言院より神泉苑へ出して、焼き上ぐるなり”と記されていますよ。

他の行事と同じく左義長(三毬杖)も貴族文化であり民間には全く馴染みのない行事でしたが、後に民間へと広まった際に年神・祖霊・道祖神などの信仰と結びつき、正月の松飾りを焼き上げることで無病息災や五穀豊穣を祈る行事として浸透していったと言われています。地域・神社によって正月飾りや書き初めを燃やす以外の部分が大きく異なっているのも、各々の土地で強く信仰されていたものの影響を受けているという事かもしれません。地域によっては邪気払い(無病息災)祈願以外にも、書き初めを左義長の日で焼くと字が上手くなる・燃えさしを持ち帰ると火災避けになるなどの伝承もあります。

小豆粥

小正月の代表的な食べ物と言えるのが「小豆粥」。
近年では通年レトルト食品などでも購入できますが、昔の人にとっては小豆粥もお餅などと同じく特別な食べ物でした。粥ではありませんが、現代でも小豆を入れて炊いた「お赤飯」はハレの日の食べ物というイメージが強いですよね。これは古代中国で小豆の持つ赤色は邪気を寄せ付けない効果を持つ色、と考えられていたということが大きいでしょう。小豆を炊いて家族の健康を祈るという風習もあり、これが日本にも伝わったことで冬至や小正月、ハレの日の食べ物として取り入れられました。

平安時代に記された『土佐日記』や『枕草子』などにも記述が見られることから、平安貴族達の間では小正月(1月15日)に小豆粥を食べるという習慣があったと考えられています。また紀貫之は『土佐日記』の中で“十五日なのに小豆粥を煮なかった。口惜しい”というような事を記していますから、結構楽しみにしている人も多かったのかも知れません。ちなみに人日の節句も貴族は七草粥の原型とされる七種粥を食べていたと言われていますが、一般官人は小豆粥を食べていたと言われていますよ。

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また小豆粥の炊け具合によって一年間の吉凶を占うことにも使われています。現在でも各地の神社では粥を用いて1年の吉凶を占う“粥占(かゆうら)”という神事が行われています。これは竹筒の中に小豆粥がどれだけ入っているのかで吉凶を占うもので、一時期当たりまくるとネットでも話題になったので、ご存知の方も少なくないのではないでしょうか。

占いに使われると同時に、小豆は特別な力を持つと考えられていた食材。小正月には今年一年の吉凶を占い、占いに使った小豆粥を無病息災と五穀豊穣を願って食べていたということだと考えられます。ちなみに小豆粥…ではなく小豆粥を煮る際に使う粥掻棒(粥杖)も特別な力を持つと信じられ、男性が粥杖で嫁の尻を叩くと豊作多産に繋がる・男児が生まれるという言い伝えもありました。『枕草子』の中でも粥杖で女性のお尻を叩くシーンがありますよ。

餅花・繭玉

餅花イメージ

地域によって馴染みのある方・無い方がくっきり分かれるのが餅花。餅花は繭玉・みずき団子とも言われる、上記の写真のような花(蕾?)を模した飾り物のことです。元々の形としては紅白のお餅を切ったもの、もしくは米粉で作った繭型の団子を木に差して飾るもの。現在は餅や米ではなくポリエチレンなどが使われているもの、縁起物を追加した可愛らしいものなどもたくさん売られており、小正月飾りとしてではなくお正月飾りの一種として12月から飾るご家庭もあります。

見た目にも賑やかでおめでたい印象のある餅花ですが、これは豊作の予祝であると言われています。予祝というのは予め農作業の動作を一通り演じることで、それが実現する形で稲が実るように祈願するということ。飾り付けられた餅(団子)は稲の花を表しており、古くは飾るだけではなく餅花を使って田植えの動作を行っていたそう。小正月を「花正月」と言うのも、この餅花を使った行事が行われていたことが由来とされています。また繭玉と呼ぶ地域は養蚕が盛んだったところが多く、良い繭がたくさん出来ますようにという祈りもあったのだそう。

ところでこの餅花、一から本格的に作ろうとするとなかなか大変ですが、お正月の切り餅を使って簡単に作ることが出来ます。作り方は至ってシンプル。袋に書かれている方法で切り餅を柔らかくして、全体量の半分くらいを少量の水で溶いた食紅と混ぜ合わせます。指先くらいの量の餅を木の枝に巻き付けていくだけ。口に入れられるものなので、温度にさえ気をつけてあげればお子さんと一緒に作ることも出来ますよ。

小正月が終わった後には「餅花を焼いて食べると1年の無病息災に繋がる」とも言われていますが、飾っておく期間によっては衛生的な問題もあるので無理をして食べる必要はありません。食べ物を無駄にするのが心苦しいという方は紙粘土やフェルトボール・丸く加工された発泡スチロールなどを使ってDIY感覚で作るもの楽しいですよ。

その他

地域色が強かったり、現在は廃れてしまっているものもありますが、小正月にはその他にも様々な行事が行われていました。餅花が豊作の予祝とされているたけではなく、小正月に行われていた行事というのは農作物の豊作祈願(予祝)や家族の無病息災を願うものが多いということが特徴とされています。1月1日からの大正月よりは家庭的・地域的な印象のある、素朴かつ原始宗教的なイメージのもmのが多いと言えるかもしれません。

上記以外の小正月の行事としては、果樹の豊熟を祈願する「成木責め」や、東北地方に多く見られる「田植踊」などがあります。「成木責め」は予祝と言うよりもまじないに近い行事で、家長が手斧などを持って木の霊に“成るか成らぬか、成らねば切るぞ”と言って脅しをかけます。家人が木の影に隠れて“なります”と木の代わりに答えることで、木の霊に豊熟を約束させるというものなのだとか。「田植踊」の方は農作業の過程を踊りで表現することで豊作を祈願するものです。

また秋田県は男鹿半島周辺の名物行事となっている「なまはげ」も、江戸時代までは小正月に開催されていました。太陽暦(グレゴリオ暦)への改易を始めとする諸事情から、現在は大晦日に行われています。ちなみに仮面のインパクトから鬼のように思われがちですが、なまはげは来訪神と呼ばれる神様の使いを模したもの。悪事を諌めたり災いを祓いに来てくれるのだとと言われていますよ。

小正月は女性のためのイベントでもある

女正月イメージ

豊作や無病息災を願う行事が残っている小正月ですが、地域によってはそれとは別に特別な意味を持たせられていることもあります。それは「女正月」や「女の年取り」とも呼ばれるように、女性がお参りや年始の挨拶などお正月行事を行う日であるということ。大辞泉では“この日に女が年賀に出向く”ことが由来とされています。

現在でこそ仕事も様々で正月期間に働いている方も少なくありませんが、昔の日本では正月=仕事は休みでした。しかし家事や年賀の挨拶に見えたお客様の接待をしなくてはいけない女性は、お正月も忙しい。お正月の準備段階として見ても、おせち作りや大掃除など男性よりも女性が働くことの方が多かったのでしょう。

古く小正月は松の内が終わる日でもありました。年賀イベントが一段落して、女性がやっと親族に挨拶に出向いたり、神社にお参りする時間を確保できるようになる日ということですね。また女性が一息つける日・疲れた女性を労わる日であるという説もありますよ。地域によっては小正月は家事を男性が行って女性を休ませるという風習や、親戚や友人などを集って男子禁制の「女の酒盛り」を開くというところもあります。当時の女性にとっては数少ないお休みだったんですね。

そのほか秋田県鹿角郡では1月16日からの半月間を「女子正月」と言って女性の休みにしていたという話もあります。何とも羨ましい……と思いませんか?女正月は伝統行事と言うよりも、各地で気遣いから生まれた風習の一つ。そのため特に細かい決まりなどはありませんから、現在でも1月15日もしくは成人の日あたりに奥さん・お母さんへのお休みを作ってあげては如何でしょうか。

参考サイト:【正月・小正月】小正月とは?赤飯と小豆粥

筆者の出身地である北海道は明治以降に開かれた土地ということもあるのか、恥ずかしながら上京するまで小正月というものを知りませんでした(家庭環境もあるとは思いますが)。どんど焼きには確かに行っていましたが、餅花はただ紅白でおめでたさをアップする飾りだと思っていました。

調べてみて「女正月」という言葉が良い意味であることにも驚きました。女って言葉は「小(ショボい・本体の劣化版)」とか「準じる」のような意味で使われることも少なくありませんからね。女性に優しい素敵な行事なのに、成人の人の兼ね合いもあってか脚光を浴びていない女正月。恵方巻きが全国区になったように、女正月の文化も復活して全国区で行われるようになってほしいところです。