キュウリは日本で1000年嫌われもの?!
世界と日本のキュウリの歴史・語源とは
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日本の食卓でも定番の野菜、キュウリ。欧米にはキュウリのピクルスもありますし、世界的にもかなりメジャーな部類の野菜ですね。主役としてよりはサラダやお漬物など脇役的なポジションですが、一ヶ月間キュウリを全く口にしないという方は結構珍しいのではないかと思います。
そんなキュウリですが、実は日本では江戸中期頃まで野菜としての評価は底辺。キュウリの原産地や伝播、なぜ日本でキュウリが嫌われたのか歴史をまとめてみました。
目次
キュウリとは? 概要と語源
キュウリの定義
キュウリは学名をCucumis sativusという、ウリ科キュウリ属に分類される一年生のつる性植物(草本植物)とその果実のことを指します。果実は野菜として世界中で親しまれており、生食用からピクルス用まで様々な品種が栽培されています。
キュウリと同じウリ科キュウリ属にはメロン(学名:Cucumis melo)があります。見た目がキュウリに似ているズッキーニはウリ科カボチャ属と同科異属。キュウリとズッキーニよりも、キュウリとメロン、ズッキーニとカボチャの方が近い存在というのは、食材としての見た目や風味の印象とだいぶ違いますね。
また、食材として見ると、果実部分を使うキュウリは果菜と呼ばれ野菜の一種として扱われています。が、植物学上ではキュウリは漿果(液果)、つまりベリーの一種。
植物学上のベリーの定義は簡単に言えば“子房壁が果皮となり、多肉化して成熟後も水分を多くもっている”こと。あまりにも広い範囲の果実が当てはまるため、漿果は性質によって更にカテゴリー分けされています。キュウリやカボチャ、ゴーヤなどは“瓜状果(pepo)”というタイプに分類されています。
緑色のキュウリは未完熟
私達が普段野菜として食べているキュウリの果実は緑色をしていますが、キュウリは緑の果実をつけるというわけではありません。緑色でパリパリした食感のキュウリは、実は未完熟。熟すと表面の色は黄色っぽくなり、トゲも無くなります。
熟したキュウリはパリッとした食感や、少し青っぽい味も無くなります。品種によっては苦味が出ることもあり、正直に言えば熟したキュウリは「苦味があって、ベタッとした食感の瓜」という感じ。あまり美味しくはありません。
ちなみに、未完熟なキュウリにトゲ(イボ)があるのは“まだ種が出来ていないから”。
種ができてから食べられれば、それを食べる動物によって種子が運ばれ新天地で芽吹くことが出来ます。しかし、種が発芽できる状態までできていなければ食べられ損。まだ食べないで!とトゲで実を守っているわけです。
とは言え、現在日本で多く流通しているキュウリは、トゲというよりもイボと言ったほうがしっくりくるタイプが主流。これは品種改良でトゲ(イボ)の少ないキュウリが作られるようになったためです。
キュウリの語源・由来とは
キュウリは英名がCucumber(キューカンバー)。
このためキュウリという言葉は、英名と瓜を引っ掛けた造語のようにも思いますが、キュウリは古くから使われていた日本語。漢字では「胡瓜」もしくは「黄瓜」と書きます。
「胡瓜」という漢字は、元々は中国で使われていた表記。
中国音では「 クークワ 」というような発音でしたが、日本人にとっては言いにくい音だったため“瓜”は日本語読みして「クーウリ」と言うように。それが更に言いやすいよう「キュウリ」に変化して、現在の呼び名で落ち着いた考えられています[1]
漢字の「胡瓜」は、そのまま胡の瓜であることが由来。胡とは、古代中国の頃から北方・西方にあった民族や国の呼び名です。蔑称的な意味合いもあるとのことですから、日本で言う蝦夷のようなニュアンスでしょうか。その異民族由来である、もしくは外国由来であるという意味で、キュウリには“胡”の字が使われています。同じような成り立ちの言葉には胡椒(コショウ)や胡桃(クルミ)、胡坐(あぐら/こざ)などがあります。
また、もう一つのキュウリの漢字「黄瓜」も読んで字の如く“黄色い瓜”が由来です。古代中国や日本では、現在のようにキュウリを未完熟の状態でではなく、黄色く熟してから食べていました。そのため黄色い瓜で黄瓜。日本では胡瓜表記のほうがオーソドックスですが、中国では“胡”の字の使用を避けるようにした時期があり、現在でも「黄瓜」表記の方が一般的に使われています。
英名Cucumberの語源と由来
キュウリの英名Cucumber(キューカンバー)の語源は、ラテン語の“cucumerem”もしくはそれ以前の地中海言語に由来していると考えられています。これが古フランス語に取り入れられた時に“cocombre”になり、英語に取り入れられると”coocumber”になり、現在の形へと変化していったと考えられています[2]。
ちなみに、英語のイディオムには「(as) cool as a cucumber(とても冷静な)」という表現も。直訳するとキュウリと同じくらい冷たい、になるので、知らないと引き合いに出されているキュウリが“とても”の意味なのか“若干”の意味なのか判断しかねますね。この表現が使い始められたのは1700年代[2]のようですので、冷蔵庫が無く、夏でもひんやりと冷たいものの代表的存在がキュウリだったのかもしれません。
キュウリのルーツと歴史
キュウリの原産はインドからヒマラヤ地域
キュウリの原産地は長らく謎で、アフリカ起源説やオーストラリア起源説なども提唱されていました。しかし、2010年にキュウリの遺伝子情報を元に行われた研究では、インドからヒマラヤにかけてがキュウリの原産地であると報告[3]され、現在はアジア原産という見解が主流になっています。出土しているキュウリとメロンの化石種子は区分が難しいためキュウリを栽培化した地域は特定されていませんが、今よりも4000年~3000年前には作物としての栽培も行われていたと考えられています[4]。
紀元前のうちにキュウリは中国、ヨーロッパと東西へ伝わっていき、各地で栽培が行われていたと考えられています。水分量が多いキュウリは、単なる野菜もしくは果物として食べられていただけではなく、暑い地域ではスイカと同じく水分補給用の食材として珍重されていた可能性もあります。
古代地中海世界にもキュウリは伝わる
古代エジプトやギリシアでも、キュウリは栽培されていた可能性が高い作物。当時はまだキュウリやスネークメロンの区分がはっきりしておらず「これがキュウリである」と断定できる絵や書物は無いようですが、旧約聖書『民数記(11:5)』に書かれている、イスラエルの人々がエジプトで食べていた5つの食材にキュウリが含まれているとの見解もあります。
この食物の記述をスネークメロンととるか、キュウリととるかは意見が分かれます。日本語訳の旧約聖書では“キュウリ”を採用していることが多いです。
古代ローマ帝国でキュウリは、貴族層から一般庶民まで広く親しまれてる食材であったと考えられています[5]。古代ローマの博物学者プリニウス長老(大プリニウス)も、著書『博物学(The Natural History)』のなかでキュウリと思われる記述をいくつか残しています。同書ではキュウリに種類があること、キュウリを治療に使えることなども記載されています[6]。
古代ローマにはキュウリ大好き皇帝も?!
ローマ帝国の第2代皇帝のティベリウス・ユリウス・カエサルには、キュウリが大好物だったというエピソードが伝えられています。彼は1年を通して毎日キュウリを食べられるように命令し、現在でいう“温室栽培システム”に近いものを作らせました[4]。命令された側はさぞ迷惑だったでしょうが、この技術のおかけでローマの農業・栽培技術は高まったのかもしれません。
中世以降の、欧米でのキュウリの歴史
ローマ帝国が衰退すると、きゅうりの栽培や食用文化もまた衰退してきます。フランク王国の国王であり、初代神聖ローマ皇帝であるカール大帝(シャルルマーニュ)が、8世紀から9世紀頃にキュウリを再び栽培したと伝えられています。14世紀ころにはイギリスにもキュウリが伝わりますが、当時は普及しませんでした。気候的にもイギリスは、あまりキュウリの栽培には適していなかったこともあるでしょう。
イギリスでキュウリの栽培・食用が広まるのは16世紀以降。ヘンリー8世の最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンがスペイン出身で、スペイン風サラダを食べたいと要求したことから、必要だったキュウリ栽培が広まったという説もありますよ[4]。ともあれ、16~17世紀ころからイギリスでキュウリは急速に人気の食材となり、温室を使った栽培方法も確立していきます。
農園や、費用のかかる温室を持ってるというのは富裕層の証。19世紀から20世紀初頭のイギリスでは、新鮮な生のキュウリを挟んだサンドイッチをアフタヌーンティーで供するのが、貴族たちにとってステータスとされていました。ほんの数百年前のイギリスで、キュウリは高級食材だったのです。
16世紀にキュウリは新大陸へ
大航海時代に新大陸が発見されると、ヨーロッパの人々はそこに自分たちに馴染みのある野菜や果物を植えました。キュウリもまた、クリストファー・コロンブスによって1494年にハイチへ持ち込まれています。スペインからの入植者達もアメリカ大陸へとキュウリを持ち込み、栽培したことで、新大陸へもキュウリは広がっていきました。
16世紀には北米にもキュウリ栽培は広がり、グレートプレーンズとロッキー山脈周辺のネイティブアメリカン達もキュウリ栽培を行うようになっていました[5]。スペイン人 探検家エルナンド・デ・ソトが、1539年に「フロリダで育ったキュウリがスペインの故郷のキュウリよりも優れている」と評価したというエピソードもあります[4]。16世紀のうちにキュウリはアメリカで広まっていたことがうかがえます。
日本へのキュウリ伝播
キュウリは紀元前のうちに、中国へも伝わっていたと推測されています。
中国や日本のキュウリは華北系(白イボ)と華南系(黒イボ系)に大別されますが、この2系統は伝播ルートや伝わった土地が異なると考えられています。華北系(白イボ)キュウリはシルクロードを通って中国北部に、華南系(黒イボ系)キュウリは南もしくは東南アジアから中国南部に伝わったとされています[6]。
詳細な伝来時期はわかりませんが、6世紀の始めには中国で広くキュウリが栽培されていたようです。また、中国から日本にも、キュウリは伝わりました。
日本へのキュウリ伝来についても、正確な時期は断定されていませんが、奈良~平安時代、遅くても10世紀までにはキュウリが伝わっていたと考えられます。というのも、10世紀前半に記された『本草和名』や『和名類聚抄』に“胡瓜”の記述があるため。キュウリ伝来説としても遣唐使が持ち帰った、などのエピソードがあります。
また、夏に無病息災を願って行われるきゅうり加持・きゅうり封じも、空海がキュウリに疫病を封じて病気平癒を祈願したことが始まりとされています。空海は9世紀初頭に唐から日本に戻ってきていますから、10世紀までには日本でもキュウリが存在していた可能性は高いでしょう。
日本でキュウリが定着したのは江戸末期
江戸時代半ばまでキュウリは不人気
伝来当初のキュウリは中国で“黄瓜”とも呼ばれていたように、完熟したものを食べるのが一般的でした。苦味があり、食感も良くないことから、古い時代には食材としての評価はされなかったようです。キュウリの熟した果実や葉、茎は生薬としても利用されるため、平安時代頃は食材としてではなく“薬用植物”としての需要のほうが高かったという見解もあるほど。
『和名類聚抄』には“たくさん食べれば体に害を及ぼす”という意味合いの記述もあります[6]ので、食べてもいたのでしょうが、その味は残念。美味しくないし、体に害を及ぼすかもしれない、野菜として日常的に食べられていたものではなかったことがうかがえます。江戸時代初期まで、キュウリは不人気なままでした。本草学者の貝原益軒は『菜譜』で「これ瓜類の下品なり。味良からず、かつ小毒あり」と記しています。徳川光圀も「毒多くして能無し。」と酷評。
ちなみに、上記でキュウリの説明で使われていた「毒」という言葉は、文字通り“体に良くない”と“苦い”と2つの捉え方をされています。体に良くないと考えられたのは、水分が多く体を冷やしやすい事・胃腸の弱いと下痢の原因になる事が挙げられるでしょう。当時のキュウリは苦かったと考えられていますから、苦味成分ククルビタシンによる吐き気などを訴えた方がいたのかもしれません。
キュウリの切り口が徳川家の家紋(葵の御紋)に似ていることから武士に避けられた、という説もありますが、ものすごく美味しかったら武士以外は食べたでしょう。一般庶民も食べていなかったのであれば、現在のキュウリよりも苦く、美味しくない食材だったのが普及しなかったことが大きいと言えます。
江戸時代後期、キュウリに革命が起こる
キュウリが人々に受け入れられるようになったのは、江戸時代後期頃から。
その頃には日本へ華北系(白イボ)のキュウリが伝わっており、それを元に品種改良が行われていました。結果として、今までよりも食感が良く、苦味も少ないキュウリが誕生し、普及していったのです。江戸時代中期~後期に記された書物には「毒がない」と書かれているものも見られるので、安心して瑞々しさを味わえる食材へと地位が上がっていったのでしょう。
明治に入ると温室栽培も取り入れられ、更にキュウリの味と生産量は増えていきます。後にビニールハウスでの栽培が行われるようになると、さらに生産量は増加。栽培できる時期も長くなったため、一年を通して流通する現在の“定番野菜”としての地位を確立していきます。
【参考サイト】
- 「きゅうり」を漢字で書くと?表記を由来も含め解説するよ!
- cucumber | Etymology, origin and meaning of cucumber by etymonline
- Cucumber (Cucumis sativus) and melon (C. melo) have numerous wild relatives in Asia and Australia, and the sister species of melon is from Australia
- Cucumber: A Brief History
- Cucumber History – Origin and History of Cucumbers
- きゅうり(胡瓜)伝播・歴史
和食系のときには漬物、洋食系のときにはサラダ野菜、中華系のときには炒め物の具、韓国料理のときはオイキムチ…などなど、わりと何系のレシピで献立を組んでも登場するキュウリ。主役にはならないけど、無いとちょっとさみしいような(ウチでは、時期的にお高いときは買いませんけれど^^;)
時代劇とかでもキュウリは出てきますし、お祭りのトラディショナルフード(?)のイメージもあり、食材として親しまれたのはごく最近というのは驚きですね。奈良時代伝来説もありますから、今の品種とは違えど1000年くらい「嫌われもの」扱いだったとしたら申し訳ない気分に。今度から、もう少し感謝してキュウリを使います。。
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