破魔矢・羽子板・熊手とは
-縁起物としての意味や由来・飾り方は?
破魔矢・羽子板・熊手の3つはお正月飾りに含められる縁起物。男の子の初正月(生まれてから初めて迎えるお正月)には破魔矢が、女の子の初正月は羽子板飾りが贈られるという風習もありますしね。松飾りや注連飾りよりは「飾っていない」というご家庭も多くなるとは思いますが、年神様をお迎えするための飾り物に対して、この3つは厄除け・ご利益祈願など“お守り”的な役割が占めるものとなっています。運気アップを狙っている方は、ぜひそれぞれの由来や込められた願いも確認してみて下さい。
破魔矢・羽子板・熊手とその意味・由来
破魔矢とは
破魔矢(はまや)は魔を破る矢、つまり「魔除けや厄除けになる矢」という意味。その名前からも想像がつくように、厄除けのお守りとされる縁起物です。先が尖っていない形をしているのも、人や獣など存在するものを射るための矢ではなく、邪気を払うための矢であるためとされています。飾り物になっていますので、安全面の問題もあるとは思いますが…。ちなみに破魔矢を射るための破魔弓(はまゆみ)もあります。
古く破魔矢は子ども、特に男の子の成長を祈るものとして使われていました。邪気を払うことで健やかな成長を願っていたわけですね。鯉のぼりの天辺にも、風車の羽根を矢に見立てた“矢車”が付けられているのも同じ理由とされています。しかし時代と共に邪気払い=厄払いになると考えられたこと、加えて「幸運を射止める」という意味を持つという説も登場したことから、男の子の成長祈願以外にも飾られるようになったと考えられています。
破魔矢や破魔弓は11月に開かれる酉の市からお正月まで販売されていることが多いですが、初正月に贈る以外であれば、年末に揃えるよりも初詣に行って授与してもらうという方の方が多いのではないでしょうか。お正月飾りにも含まれていますが、お守りの一種というニュアンスが強いものでもありますね。
破魔矢の飾り方
破魔矢の飾り方については諸説あります。飾る場所についても神棚が良い・床の間が良いなど様々ですし、矢を向ける方向にしてもその年の凶方位に矢じりを向けるようにする・鬼門に向けると良いなど諸々。しかし、実際のところは設置場所や方角についての決まりはありません。代々伝えられてきた縁起担ぎから色々なことが言われていますが、現在はあまり関係ないという見解が主流。実際に邪気(厄)を射抜いて追い払うわけではありませんので、置いておくだけで魔除けとしての効果を発揮すると考えられています。
そのため破魔矢を飾る場所については、飾りやすい場所でOK。ただし邪気を払ってくれる神様的な力を持つ“お守り”を見下してしまうのは失礼に当たりますので、大人の目線よりも高い位置に設置するようにしましょう。また日本の宗教(神道)で最上位として扱われている天照大神は太陽神でもあります。このため天に向って矢を向けることも失礼になってしまうので、矢尻は下に向けておくようにします。破魔矢を飾る場合には高い場所・矢じりを下に、この2点を重視しましょう。
破魔矢が縁起物とされた歴史・由来
破魔矢の起原には色々な見解がありますが、飛鳥時代頃から宮中で行われていた“射礼(じゃらい)”という競技が関係しているのではないかと言われています。射礼は単に的に当てるものではなく、当たった矢の具合で作物の吉凶が占われていたそうですから一種の神事ですね。この競技で使われていた的は藁や樹皮などを輪にしたもので、いつしか「はま」と呼ばれるようになったそう。この音が“破魔”に通じるとして、占いから邪気払い・厄除けという意味合いも持つようになったと考えられています。
この正月に行なわれる年占の神事“破魔打(はまうち)”は、後に弓矢を持った子どもたちの前に的を投げて中央を射抜かせる正月遊戯としての色が濃くなっていきます。そしてこの“破魔打”に使われた弓矢は子供の成長を願うために持ち帰られたのだそう。これが厄除けの意味を持つ縁起物としての、破魔矢・破魔弓の起原であると考えられています。時代と共に神事や正月遊戯に使ったものではなくとも、弓矢であれば縁起物として使われるように変化したと言えますね。
また平安時代には「鳴弦の儀」と呼ばれる、矢を付けないで弓の弦を鳴らすことで邪気を払うという邪気払いの儀式も行われていました。鳴弦の儀は皇子誕生の際の行事なので一般人は行いませんが、「この子も邪気を払って元気に育って欲しい」という願いを込めて初正月を迎える男児に祝い物として弓矢のセットを贈るようになったという説もあります。当初は飾るだけではなく、お正月に頂いた弓矢を使って遊ぶこともあったようです。
現在のように弓矢ではなく破魔矢、つまり矢だけが使われるようになったのは、神社で授与(販売)されるのが矢だけだから。元々は寺社でではなく歳の市などで買って男の子に贈っていたそうなので、その風習に寺社のほうが便乗したという見方もできますね。矢だけが売られているのは弓を使って邪気を払うのは修行を積んだ神職者しか出来ないことので、お守りになる破魔矢を飾れば良いという事のようです。
羽子板とは
羽子板は日本風のバドミントンとも表現できる遊び、羽根突きに使う道具。この羽子板が縁起物として使われているのは、羽根を弾き返す板が「邪気を跳ね返す」ことに通じるためです。また羽根突きにつかう羽根の形状が蚊を食べてくれるトンボににていることから、子供が蚊に刺されないように⇒無病息災で成長しますようにという願いに繋がったという説もあります。
破魔矢が初正月を迎える男の子へ贈る縁起物として使われているのに対して、羽子板は女の子の無病息災を願う縁起物として初正月に贈られることも多いですね。初詣で授与してもらうことが多い破魔矢に対して、羽子板は新年を迎える前に歳の市などで揃えておく方が多いのではないでしょうか。
お正月の遊びとして羽根突きをしたことがある方もいらっしゃると思いますが、縁起物として使われるものは“羽子板飾り”とも呼ばれるように実際に羽根突きをするのには適さないものもあります。その代表格と言える3Dっぽい凹凸のあるものは、押絵羽子板と呼ばれるもの。こうした芸術性の高い羽子板飾りは、かつては新生児ではなく女性に対して厄除けの縁起物兼装飾品として贈ることもあったそうですよ。
羽子板の飾り方
羽子板飾りも破魔矢同様に、飾る場所や方角などに決まりはありません。装飾品のようなニュアンスが強いので忘れがちですが、厄除けのお守り(縁起物)の一種ですから、置いておくだけで十分ということですね。羽子板飾りは重さがありデリケートなので、壁の高い位置に掛けるのではなく、置き飾りにするのが一般的。近年は額縁に入った壁掛けタイプも販売されていますから、室内で飾りやすいものを選ぶのがお勧めです。
また素材によっては直射日光や湿気に弱いものもあるので注意しましょう。子供が気にして手を伸ばした時に倒れた・落下したという悲しい事故防止のためにも、子どもの手が届かない場所に飾ってあげて下さい。
羽子板が縁起物とされた歴史・由来
羽子板・羽根突きの起原は、奈良時代頃から宮中で行なわれていた「毬杖(ぎっきょう)」という女子の神事と考えられています。女の子の初正月に羽子板が贈られるのも、羽子板が元々女性の使う道具だったからなのですね。しかし平安時代くらいまでの毬杖は現在の羽子板とは異なり、木製の杖を使って毬を打ち込むという、野球のような遊びでした。これが鎌倉~室町時代頃になると長方形の面と持ち手で構成される羽子板、ムクロジの木の実に羽をつけた“羽根(羽子)”が使われ、現在の羽根突きとほぼ同じ形が完成します。
この頃には神事として行なわれるものではなく、遊びのニュアンスが強かったようです。と言ってもムクロジは漢字で書くと“無患子”。患う子が無い=子供が病気にかからないという意味になるため、これを長く打ち続けることで無病息災の祈願にも通じるとされていました。この羽根を落としてしまうことが健康祈願の途絶えになるという考えから、羽根を落としてしまった場合は身を守るために魔除けの力があるとされていた黒(墨)を塗っていました。墨を塗るのは羽根突きの罰ゲームとなっていますが、元々は親切心だったんですね。
この羽根突きの風習から、時代と共に羽子板そのものが無病息災・厄払いになるものとして重要視されていきます。戦国時代頃には羽子板に装飾も施され縁起物の一つとして使われることが増え、遊ぶ用・飾る用という区分もハッキリして来ます。飾るための羽子板には美しい絵が書かれ、江戸時代半ば頃までには武家や公家の間で女の子が誕生するとお祝いとして羽子板を贈る風習も生まれます。
江戸後期になると庶民にもこの習慣が伝わり、生まれた女の子へのお歳暮として羽子板を贈るのが定着しました。また江戸後期には歌舞伎役者の姿絵などを使った豪華な押絵の羽子板が登場し女性に大ウケ、人気歌舞伎役者の羽子板がずらりと並べられた浅草寺の歳の市には女性が殺到し「羽子板市」と呼ばれるようになったほど。現在でも浅草では“歳の市(羽子板市)”が冬・歳末の風物詩として開催されていますね。
熊手とは
近年は正月の縁起物として昔よりもマイナーであるという声もある熊手。と言っても酉の市の定番商品の一つですし、初詣に行った時に神社などでも販売されていますね。農業や庭の落ち葉掃除などに使われるレーキの1種“熊手”に、小判やおかめ・招き猫・達磨などの縁起物が飾り付けられたものです。酉の市やスーパー・ホームセンターなどで販売されているお正月用の縁起物付き熊手は「縁起熊手」と呼んで区分することもありますし、神社やお寺が御札を付けて授与(販売)しているものは「熊手守り」とも呼ばれています。
原型となる“熊手”が粗い櫛状の歯で物をかき集める道具であることから、縁起物としての熊手も「金運をかきこむ」や「幸福をかき集める」ものとして大切にされてきました。この運気をかき集めるということから、別名“かっこめ”とも呼ばれています。そのほかに形状が鷲掴みにする爪の形状に似ていることから「福徳を鷲掴みにする」という意味があるという説もあります。
熊手は金運・幸運など自分にとって良いもの(福徳)をかき集めて、しっかりと掴んでくれる縁起物。中でも金運アップにご利益のある商売繁盛の縁起物として使われている方が多いのではないでしょうか。男の子の初正月には破魔矢・女の子の初正月には羽子板という使われ方をしていたのに対して、熊手は大人向けというか、家もしくはお店用として使われることが多いですね。
熊手の飾り方
熊手の飾り方にも厳密な決まりはなく、飾りやすい場所に飾って問題ありません。縁起物ではありますので破魔矢と同じく、なるべく大人の目線よりも高い位置に設置すると良いでしょう。お守りの一種としての面もありますから、画鋲や釘で打ち付けたり、壁の間などに挟むのも避けたほうが無難。裏から紐を通すなどして、本体に傷をつけないように飾ってみて下さい。そのほか気にする方は北向きは避ける・その年の凶方位を避けるという説もあります。また金運が欲しければ西向き・仕事運が欲しければ東向きというように、風水と絡めて欲しい運気の方角を向けるという方もいらっしゃいます。
前年よりもサイズの大きい熊手を用意すると繁栄に繋がるという説もあります。大きくしていって自分の成功や成長を確認するのが醍醐味だ!という方もいらっしゃいますが……地域によっては一定以上のサイズが入手できないこともあります。毎年より大きいものを買い続けるのは無理があるという方もいらっしゃると思いますし、この辺りになると売る側の思惑も入っていると思われます。ガッツリ縁起を担ぎたい方でなかれば、サイズは気にする必要はないでしょう。
より縁起を担いで願を掛ける場合は、熊手を購入した後に掛かっているビニールをすぐに外すと良いとも言われています。これは神社の境内内をビニール無しで歩くことで良い運気をかき集める(拾う)ためなのだとか。境内を出たら再びビニールを掛ける・素で売られているものは袋に入れるなどして家や店に持ち帰り、家で再びそれを外して飾ります。こうすることで良い気を持ち帰ることが出来るとも言われていますので、来年こそは…とお思いの方はチャレンジてみても良いかもしれません。
熊手が縁起物とされた歴史・由来
現在は熊手と言うと、庭の落ち葉をかき集めるのに使っている方がいるかなというもの。しかし農業機械が発達する以前には人もしくは農耕馬が土を柔らかくする・干し草や穀物を集めるなど農具としても使われていたものです。さらにそれ以前、平安時代頃には敵を引っ掛けて倒すための武器として使われていた側面もあります。武器であると同時に、船軍の時などには水に落ちた味方を引き上げるためにも使われていたことが分かっています。農民にも武士にも身近な道具だったと言えますね。
そんな熊手が縁起物として使われるようになったのは、浅草・鷲神社の御由緒では日本武尊(ヤマトタケル)が東夷征討を行った際にまで遡るとされています。出立前に東夷征討の成功を祈願していた日本武尊は、帰路にお礼参りを行いましたが、その時に社前の松に武器として使われていた“熊手”を立てかけていたのだそう。その日が十一月酉の日だったため、これが鷲神社例祭日とされ、後に酉の市が開催される事になったとも言われています。
日本武尊の時代とされるのは1世紀頃で、熊手が武器として使われたのは平安後期以降という説が主流ですから、この伝説の真偽は分かりません。また浅草酉の市の公式サイトでは、戦に行く前に軍扇を奉納し祈願した武将のエピソードが掲載されています。こちらは勝ち戦にて帰陣した際に、軍扇は反り返った骨だけになっていた=熊手のようなものになっていたから開運を招くお守りとなったと紹介されています。
そう書くと武士が縁起物として重宝したようにも感じますが、そうした記述はないようです。縁起物として熊手が広く用いられるようになったのは江戸時代以降。諸説ありますが、酉の市の起原とされるのは葛西花又村の鷲大明神。元々は神社に市が立ち、近所の農民が農作物を売ったり、農具を買ったりすることがメインであったと考えられています。しかし鷲大明神へ江戸の町からも参拝する人が増えたことで、色々なものをかき集めるのに使われていた熊手や大きな唐芋・黄金餅などが縁起が良いと人気になったのだとか。江戸っ子は言葉遊びの洒落が大好きな人達。熊手は「幸福をかき集める(金運をかきこむ)」という語呂合わせのような縁起も、おそらく江戸っ子によって広まったのでしょう。
購入者が増えれば作る側も趣向を凝らすようになり、縁起物を盛り込んで“縁起が良い”ことをアピールした熊手が作られるようになります。後に浅草でも酉の市が開かれるようになると、その傾向はさらに強くなります。縁起と新しいものが好きな江戸庶民に売れるようにと、様々な種類の華やかな“飾り物”としての縁起熊手が登場します。農具である熊手としての機能性は無いに等しい、現在の形が完成したと言えますね。
破魔矢・羽子板などの縁起物を飾るタイミングは?
飾り始め
正月飾りに含まれているため、破魔矢や羽子板・熊手なども正月事始め(12月13日)から12月28日までに飾るのが望ましいとされています。クリスマスツリーなどクリスマス関係の飾り物を出す場合には、そちらを終い終わってからにした方が無難ですね。お正月準備を避けるべきとされている12月29日と、一夜飾りになってしまう12月31日は避けるようにしましょう。
と言っても破魔矢は初詣の際に授けてもらう(買う)という方が多いのではないでしょうか。元々はお子さんが生まれると12月半ばくらいまでに親類が贈ってくれたもの・歳の市で買うものだったため12月28日までが望ましいと言われていますが、初詣で授かった破魔矢を帰って飾っても全く問題ありません。問題があれば元日から発売はされていないはずですよね。
また子供の無事な成長と祈願するという意味では15歳位になったら破魔矢や羽子板は不要という考えもありますが、現代では破魔矢も羽子板も家全体の厄除けになると言われています。松の内が終わるとお正月飾りを下げますが、破魔矢や羽子板・熊手は飾りっぱなしでもOK。年神様を迎えるための準備というより、縁起物とか厄除けのお守りという意味合いの強いものですので、そこまで厳密に考えなくても良いでしょう。授かりたい神社やお寺のものがある場合は、気にせず年明けに購入しても大丈夫ですよ。
飾り納め
上記でもご紹介したように破魔矢・羽子板・熊手は正月飾りとしての面と、縁起物もしくはお守りとしての面があります。しめ縄や門松を下げる時に一緒に片付けるという方が多いようですが、そのまま継続して飾っておくこともできます。お子さんがいらっしゃる場合であれば破魔矢は端午の節句(こどもの日)・羽子板は桃の節句(雛祭り)にも使えますので、それれらの節句が終わるまでは出しておくという折半案もありかと。ただし宗教的な意味合いのあるものですから、置きっぱなしにしてホコリを被っている様な状態は避けましょう。
処分方法について
破魔矢・熊手の処分
破魔矢や熊手などお守り的なニュアンスを持っているものは「効力があるのは一年間」だという説もありますが、こちらは民間伝承のようなものであると言われています。教義で定められたものではないのそう。ただし一般化している説でもありますから、破魔矢・熊手については一年飾ったら購入した所へお返しして新しいものを購入するという方が多くなっています。酉の市や歳の市で購入した場合であれば「納め所」など返却する場所が設けられていますし、神社やお寺であればお焚き上げに出す形になりますね。正月飾りと同じく、お塩をかけて紙で包めば自治体のゴミ回収に出しても問題ありません。
羽子板飾りの処分
値段が高価なこともあってか、羽子板だけは扱いが別。
特に女の子の初正月に贈られる羽子板飾りについては、女の子がある程度成長して役割を果たすまでは同じものが使われます。大体十五歳を目安に役割を終えると言われていますが、厳密な決まりはありません。中学校入学でありがとうをするというご家庭もありますし、18歳や20歳になるまで飾るご家庭もあります。
また羽子板飾りは歳の市だけではなく、人形専門店・赤ちゃん用品店・おもちゃ屋さんなどでも売られています。デザイン的に親しみやすいものが多いということもあり、寺社以外で買われる方も少なくないでしょう。このため処分をする際には何処に持っていこうかと悩む方もいらっしゃるはず。羽子板飾りは上記二つや松飾りとは異なり、お顔がついている“人形”でもありますから、気になる方は人形供養に出すのが確実です。扱いとしては雛人形に近いと言えますね。
もちろん一般ごみ・粗大ごみとして出しても問題はありませんし、リサイクルショップによっては買い取りしてくれるお店もあります。お正月飾りほか縁起物全てに言えることですが、処分する際には「誰々がこうしないといけないと言った」ということではなく、自分の気持ちが納得する方法で行えば良いでしょう。感謝の気持ちを持ってありがとうございましたと伝えられて、何か嫌なことが起きた時に処分法が悪かったと思わないならば十分です。
参考サイト:酉の市とは 御由緒- 浅草 鷲神社公式ホームページ/浅草酉の市/「破魔矢」の基礎知識
松飾りや注連縄・注連飾り、鏡餅などと比べるとマイナーな3点。実家でも飾っておらず、女の子だったけれど羽子板飾りもなかったと思われます。ですが改めて調べてみると、年神様に来て頂く・お過ごし頂くためのものというよりも、縁起担ぎやお守り的なニュアンスが強いものだったんですね。お高めの羽子板はさておき、ミニ熊手が欲しいなと思った次第です。熊手は去年よりも小さいものを買うと運気が下がるという信仰があるので、最初は小さいのを買うと良いらしいです。なんかビジネス臭もしますけどね。
あとメーカーさんには失礼ですが、破魔矢・羽子板飾り・熊手の三点を飾る家庭が減っているというのは…良く言えば昔ながらなデザイン・悪く言えばあんまりオシャレな感じじゃないのも関係している気がします。破魔矢は難しいですが、熊手と羽子板飾りは自分で作っちゃう派もいらっしゃるよう。たぶん私も導入する時はDIYするか、神社さん販売のお守り感が強いものにします。。
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