アイスクリームの起源と歴史とは
-元々は富裕層限定の超高級スイーツ?!
かき氷やシャーベットよりも濃厚な味わいの氷菓、アイスクリーム。凍らせた牛乳ともカスタードクリームとも違う濃厚なクリーミーさが特徴で、そのこってり感から気温が高くなりすぎると売れなくなるという難点もあるアイスクリーム(笑) 好みはありますが、フローズンスイーツの代表格であり王様と言っても良い存在だと思います。前回に引き続き人が氷菓を食べてきた歴史、いつからアイスクリームと呼べるものへと進化したのか・ソフトクリームやジェラートとの違いは何かなどアイスクリームについて気になったことをまとめています。元々は特権階級スイーツ、大衆化したのはごく最近のことだったんですね。
目次
アイスクリームについて
アイスクリームとは
アイスクリームは乳製品・砂糖・卵黄などを混ぜ合わせたものを、冷やしながら撹拌し凍らせた氷菓子。呼び名の通りクリーム状になっていることが特徴です。広義であれば牛乳(乳固形分)が少なくクリーム状でないもの=凍った菓子類全般の総称としてアイスクリームという言葉を使う場合もありますが、日本ではアイスクリーム製品の規格というものがあります。なので製品としては乳脂肪分8%以上のものがアイスクリーム、もしくは乳成分量が3%以上の氷菓(アイスクリーム類)を指す言葉として使われるのがポピュラー。もっともこの商品規格は日本で定められたもので、国によって基準は違います。
アイスクリームとよく似た食べ物としてはソフトクリームがありますが、この二つの違いは製法による固さと食感が主。原材料はほとんど変わりありません。原材料によるソフトクリームの分類というものはなく、アイスクリームと同じ規格が適応されています。アイスクリームとソフトクリームの違いは、牛乳などを撹拌して凍らせた後の処理。アイスクリームはフリージングの後に-30℃以下の温度で凍結させて出荷し、-25℃から-30℃で保管されます。ソフトクリームはこの工程がなく製品温度は-5℃から-7℃くらいのため、独特の柔らかい食感があります。この工程の違いから「ソフトクリームは出来たてのアイスクリーム」のことと紹介されることもあります。
アイスクリームとジェラートの違いは?
イタリア生まれのアイスクリームとして、日本でもジェラート。日本ではアイスクリームやソフトクリームとはまた別のジャンルの氷菓として認識されていることが多いですが、実は“ジェラート(Gelato)”という呼び名はイタリア語で「凍ったお菓子」を意味する言葉。広義でのアイスクリームと同様、アイスクリーム類や氷菓全般を含んだ言葉としても使われているものです。
ですが、私達が口にするアイスクリームとジェラートには味や舌触りに違いがありますよね。
これはイタリアでジェラートと呼ばれている氷菓が、日本でアイスクリームとして扱われているものよりも乳脂肪分が少ないため。日本のアイスクリームは乳脂肪分8%以上ですが、ジェラートは5%前後の乳脂肪分で作られるものがポピュラーとされています。アイスクリーム類ではありますが、日本でジェラートはアイスクリームとは呼べないものなのです。
またオーバーランと呼ばれる空気の含有量も異なり、アイスクリームが60~100%、ソフトクリームが30~80%くらいなのに対して、イタリアのジェラートは20%~40%程度。オーバーランが低いとねっとりした味わいを、高いとふわっとしたライトな味わいを感じるそう。ちなみにジェラートの食べごろ温度は-8℃~-10℃と、ソフトクリームとアイスクリームの中間くらい。
アイスクリーム類の区分について
日本では凍らせて作ったお菓子類のうち、乳成分の量が3%以上のものをアイスクリーム類と区分しています。更にアイスクリーム類は乳成分の量によって種類別アイスクリーム・種類別アイスミルク・種類別ラクトアイスの三種類に分けられており、一般的にアイスクリームとして販売されているのは“種類別アイスクリーム”の規格を満たしたものとなっています。日本での規格と、代表的な商品をご紹介します。
アイスクリーム
乳固形分15.0%以上、うち乳脂肪分8.0%以上のもの。
乳脂肪分8.0%以上という規定を満たすために濃縮乳や生クリームなどを使用する事もあります。牛乳の濃厚な風味があることから、森永乳業「MOW」や「ハーゲンダッツ」などはバニラが種類別アイスクリーム、ほかフレーバーはアイスミルクという様に乳成分量を調節されています。
アイスミルク
乳固形分10.0%以上、うち乳脂肪分3.0%以上のもの。
乳固形分と乳脂肪分は牛乳とほぼ同じだとか。植物油脂を加えることでアイスクリームと同等の濃厚感を出しているものもあれば、脂肪分が少なめな事を活かした商品もあります。ちなみに、ジェラートと呼ばれているものも日本の区分では概ねアイスミルクに含まれます。
ラクトアイス
乳固形分3.0%以上のもの(乳脂肪分の規定はない)。
アイスクリーム類の中では最も乳成分の少ないタイプ。脂肪感の少ないあっさり目のものもあれば、植物性脂肪分(植物性油脂)を加えることでアイスクリームに濃厚さを加えたものもあります。前者のサッパリタイプにはロッテ「爽」やグリコ「パピコ」が、後者の濃厚タイプには明治「エッセルスーパーカップ 超バニラ」が挙げられます。沖縄県のブルーシールアイスクリームもラクトアイスに分類されていますよ。
氷菓
液体を凍結したもの、又は食用氷を粉砕したものに他の食品を混ぜて再凍結し凍結状のまま食用するもの。ものすごく分かりにくいですが、シャーベットやソルベ・アイスキャンディー類などの乳固形分3.0%未満のものや、かき氷などがこの氷菓に含まれます。乳成分が少ない・含まれていない、凍ったお菓子類は全てこちら。
アイスクリームの起源、改良の歴史とは
古代~中世のアイスクリームの原型
アイスクリームの起源も古代まで掘り下げれば、シャーベットやソルベと同じところに行き着きます。紀元前から中国・ペルシア・ギリシアなどユーラシア大陸の各地で「雪や氷を使って牛乳などを冷やして食べる」という食文化は存在していたと考えられています。このあたりはシャーベットの起源と歴史と重なる部分が多いので、古代~中世にかけて食べられていた冷菓について大まかに紹介させて下さい。
古代中国、ペルシア、ギリシアとローマ
アイスクリームの起源として紹介されることが多いのが、古代中国で食されていたとされる“牛乳(水牛もしくはヤギ乳かもしれない)に穀物粉を加えて加熱し樟脳を加えた液体を、容器に入れて氷の中に置いて冷凍した”という食品。諸説ありますが、古いものでは紀元前18世紀から紀元前11世紀頃に栄えた殷(商王朝)の時代には既に食されていたと紹介されています。アイスクリームのように濃厚で滑らかではなかったのでしょうが、今よりも3000年以上も前に類似食品が存在していたというのは驚きでは無いでしょうか。
そのほかに氷菓としては紀元前500年頃からアケメネス朝ペルシア(現イラン)で食べられていたとされる、氷と果汁や蜂蜜などを組み合わせた冷菓“ファールーデ(faloodeh)”や、紀元前5世紀頃からギリシアで食されていたとされる蜂蜜や果物に雪もしくは氷を混ぜた冷菓もあります。どちらもアイスクリームと言うよりはフラッペやシャーベットに近いものだったと考えられますが、ギリシアでは雪に乳を混ぜたものを飲んでいたそう。『旧約聖書』に登場する“乳と蜜”も、牛乳と蜜に氷を入れたもの、もしくは氷で冷やして半冷凍したしたものではないかという説もありますよ。
偉人達は氷菓が大好きだった?!
紀元前から東西様々な場所で食べられてきた冷菓。食べ方はそれぞれですが、どの地域でも共通して「とても高価な食べ物だった」ことは間違いありません。中国では古くから硝石と塩を使って人工的に低温を作り出していたという主張もありますが、基本的に当時は暑い時期に冷菓を食べようと思えば、山頂などに行って天然の氷や雪を集めてくるか・氷室を作って氷をキープしておくしか方法がありませんでした。都市まで運んでくる間にかなりの量が溶けてしまいますから、氷というのはものすごい貴重品=特権階級の人くらいしか手に入れられないものだったと考えられます。
マケドニアのアレキサンダー大王(アレクサンドロス大王)は乳や蜜・ワインなどに氷や雪を加えたものを好んだという逸話が、ローマ皇帝ネロも万年雪を集めるためアルプスへと人を送ったと伝えられています。中国で食べられていた牛乳を凍らせたものも皇帝のために作られていたそうですし、日本でも平安時代にかき氷を食べたのは清少納言などやんごとない身分の方々のみ。近場で雪や氷を手に入れられる寒冷地を除けば、世界共通で一般庶民が食べられるようなものでは無かったと推測出来ます。
14世紀頃にイタリアへ氷菓が再導入される
ペルシアや中国では変わらずに氷などを使った食べ物・飲み物が継承されていきますが、ヨーロッパでの冷菓文化はローマ帝国が解体した4世紀末ころから停滞してしまいます。俗に言う“暗黒時代”ってやつですね。ローマ帝国が行っていた山から都市までの組織的な氷の輸送が停止してしまったそうな。ローマ帝国全盛期でもセレブのための食べ物とされていたものですから、自腹を切って氷の確保・輸送を行ってまで冷菓を食べる方は少なかったと推測できます。バチカンとかやってそうですけどね…。
ヨーロッパで再び氷を使った食べ物が注目されるようになったのは、アラブ人が口にしていたシロップに砕いた氷を入れたフローズンドリンクのような“シャルバート(shariba)”が伝わったからではないかと考えられています。というのも827年にはアグラブ朝によるシチリア島征服があり、アラブ人の文化が入ってきたと考えられるため。それとは別に13世紀末頃に『東方見聞録』の著者で冒険家のマルコ・ポーロが中国から氷菓を持ち帰った、中東やアジアとの貿易中継地点であったイタリアに13世紀から14世紀頃に自然と入ってきたなどの説もあります。
ともあれ、イタリアへと伝わった氷菓はイタリア人の好みに合わせ、細かく削った氷にレモン果汁やシロップなどを加えたものへと変化していきました。約1000年経って再びヨーロッパで冷菓が日の目を見たとも言えますね。おそらく15世紀頃にはこのソルベットがイタリアの富裕層の間で持て囃されるようになり、16世紀になるとヨーロッパの王族や上流階級へと広がっていきました。
17世紀頃にアイスクリームの原型が誕生
14~15世紀頃にイタリアでシャーベットの原型と言えるレシピが誕生し、16世紀に入るとイタリアでマルクアントニオ・ズィマーラ(Marcantonio Zimara)によって多量の硝石を使用することで水の温度を下げる方法が発見がされます。16世紀中頃には氷に硝石を加えることで-20℃程度の低温を作り出せることが発見され、水もしくは水分の多い液体を人工的に凍らせることが出来るようになりました。この成果によって冷菓を作るコストが低下したこと・凍らせる前に味付けが出来るようになったことによって同時期には一気に氷菓のバリエーションが広がっていったと考えられます。
…と、ここまではアイスクリーム史にせよ、シャーベット史にせよ、共通したエピソードや歴史家の推測。現代風のアイスクリームもしくはその原型と呼べるものが何処で誕生したかは断定されていませんが、世界で初めて売り出されたアイスクリームと考えられているのは1686年にシチリア出身のフランチェスコ・プロコピオ氏が創業したパリのカフェレストラン「ル・プロコップ(Le Procope)」。彼はシチリア島で食べられていたグラニタと呼ばれる氷菓をアレンジした氷菓を“グラス・ア・ラ・シャンティ(glace à la chantilly)”として売り出します。
シャーベットの歴史では、ここでシャーベットが売り出されたと紹介されます。が、人によって「ル・プロコップ」は世界で最初のアイスクリームパーラーである、もしくはジェラートを広めた “イタリアのジェラートの父”であると称されることもある存在。これは販売された“グラス・ア・ラ・シャンティ”が、卵型の磁器カップに凍らせたホイップクリームを入れたものだったと伝えられていることが原因。シャーベットとも、ジェラートもしくはアイスクリームの原型とも言える存在だったので、どの冷菓の歴史にも登場するという事のようです。
また、シャーベットでは全く登場しなかったイギリスもアイスクリーム発祥国の一つに数えられています。1620年代にイングランド王チャールズ1世にヘンリエッタ・マリア・オブ・フランスが輿入れする際、フランスからジェラート職人を伴ったという伝承もあります。チャールズ1世はその料理人の作ったジェラート(アイスクリーム)を大いに気に入り、一生年金を与える代わりに製法を誰にも明かさないように求め王族だけで独占したと伝えられています。ただしこの伝承については19世紀以前の文献には現れないことから、後世に作り出された話ではないかという見解のほうが強いそう。
ちなみに1686年にフランス「ル・プロコップ」で販売される以前からシチリア島にアイスクリームに近い食べ物があったのではないかという推測もありますが、今も食べられているグラニタ(グラニテ)はジャキジャキした氷感の強いシャーベットに近い氷菓。どちらにせよ17世紀頃に食べられていたアイスクリームも現代のものからするとクリーミーさはなく、シャーベット状のものだったようですが。
ちなみに最古のアイスクリームレシピは、1718年にイギリスで発行された『Mrs. Mary Eales’s Receipts』の“To Ice Cream.”とされています。このレシピもシャーベットに近い印象で、アイスクリームっぽい作り方になってくるのは1747年に発行された『The Art of Cookery Made Plain and Easy』あたりからのように感じます。こちらにはクリームを冷やす→かき混ぜる→冷やすという工程が掲載されていますよ。
18世紀頃アメリカへ、19世紀には量産化
ヨーロッパで富裕層を中心に最先端スイーツとして人気になったアイスクリームは、入植者によってアメリカへも伝えられます。アメリカで最古とされるアイスクリームについての記録は、1744年にメリーランド州知事ウィリアム・ブレーデンと共に食事をしたスコットランド入植者によるもの。このことから18世紀半ば頃にはアメリカへもアイスクリームが伝わり、食されていたと考えられています。また、1774年にはフィリップ・レンツィ(Philip Lenzi)がアイスクリームの広告を新聞(New York GazetteとWeekly Mercury)に載せたことが認められており、18世紀後半にはアメリカでもアイスクリームが販売されていたことが分かっています。
アメリカでは大統領のアイスクリームエピソードも多く残されています。1790年の夏の間にジョージ・ワシントン大統領は約200ドル相当のアイスクリーム(現在価格で約3,000ドル相当)を購入したと伝えられていますし、彼の死後にはピューターのーアイスクリームポットを2つ・ブリキのアイスクリームポットを8つ所有していたことが報じられました。そのほかトーマス・ジェファーソン大統領は美味しいバニラアイスクリームを作るために18工程もあるレシピを考案したと伝えられていますし、ジェームズ・マディソンの奥さんは1813年の就任宴会でストロベリーアイスクリームを出したそう。
こうしたエピソードが残っているように、1800年代前半まではアメリカでもアイスクリームは高級品であり、特別な日のためのご馳走という位置付けでした。販売しているお店もあったようですが、多くの人は冬に湖から氷を切って貯蔵しておいて、家で金属製のバケツとボウルの中間のような形状のアイスクリームポットを使って作っていました。このアイスクリームポットをキンキンに冷やし、そこに手を突っ込んで混ぜていたことが分かっています。氷を自分の敷地内に蓄えておけた方であればコストは下がりましたが、作るにも労力と気合が必要だったわけですね。
そんなアイスクリームでしがら、1840年代にアメリカでは主婦のナンシー・ジョンソン(Nancy M. Johnson)が手回しのクランク式の攪拌機を発明したことで量産しやすくなります。加えて1851年には牛乳屋のヤコブ・フッセルが余剰生クリームの処理に困り、売れ残った牛乳を利用するためにアイスクリームの生産販売を開始。これが世界初のアイスクリーム製造工場とされています。手回し撹拌機を使用して大量に生産されたアイスクリームは大ヒット。19世紀半ばになってやっとアイスクリームは高級品ではなく、一般庶民が食べられるデザートへと変化しました。最も古い起源説から数えれば約3000年かかって、やっとアイスクリームが大衆化…!
1800年代後半になるとドイツで製氷機が発明され、産業革命によって蒸気や電力などによって様々な技術の効率が高まります。アイスクリームの製造や輸送がより簡単に低コストで行えるようになったことで、アイスクリーム産業へと乗り出す方も増えていきました。禁酒法が制定されていた1920年~1933年になると酒造メーカーもアイスクリーム産業に参入し、各社オリジナルのアイスクリームの開発に力が入れられたそうですよ。同じく1930年代には機械による冷凍保存が可能になったことで、現在のように子供のお小遣いでも購入できるくらいの価格帯に収まるようになりました。
イギリスの “Queen of Ices”
19世紀から20世紀にかけてはアメリカだけでなく、ヨーロッパの国々も同様にアイスクリームもしくはフローズンデザート類の改良が行われています。その中で異彩を放っているのがイギリスの料理人で作家でもあった、アグネス・マーシャル(Agnes Marshall)。彼女はアイスクリームを筆頭としたフローズンデザートが得意で、1885年には『The Book of Ices』という様々な氷菓を紹介する書籍も出している方。
アグネス・マーシャルは氷菓を作り上げるだけではなく、1885年には5分でアイスクリームを凍らせるというアイスクリームメーカーを考案し特許を取得。アイスクリームを作るために液体窒素を使うことを提案したとも伝えられています。さらに1888年に発行したレシピ本には“cornet à la crème(コルネット・ア・ラ・クリーム)”というアーモンドを原料にしたアイスクリームコーンのようなものも掲載されれいます。ビクトリア朝時代を代表する冷菓専門家であり、その偉業から “Queen of Ices(氷の女王)”や“Queen of Ice Cream(アイスクリームの女王)”と呼ばれているそうです。
日本にアイスクリームが伝わったのは…
日本にアイスクリームが伝わり製造されるようになったのは1869年(明治2年)以降から。アイスクリームの存在いついては幕末、遣米使節団の人々がアメリカで口にして知っていたようです。日本で初めてアイスクリームを製造・販売したのも、町田房蔵さんという遣米使節団のメンバーだった方。彼は横浜馬車道通りで「氷水屋」を創業し、生乳・砂糖・卵黄を混ぜて凍らせたものを“あいすくりん”として販売します。今でもミルクセーキ・シャーベットのような氷菓がアイスクリンと呼ばれていますが、元々は遣米使節団の人々がアイスクリームという英語を聞き取った際に日本語風に訛ったのがアイスクリン。当時はアイスクリームとアイスクリンに差異はなかったそうです。
1869年に売られた“あいすくりん”、お値段は一人前で二分。現在価値で8,000円以上になるそうなので、めちゃくちゃ高価なスイーツだったと言えますね。少し後には洋菓子店や洋食店・カフェテリアなどでも販売が始まり“あいすくりん”よりは若干安くなったようですが、価格が落ちてくるのはアイスクリームの工場生産が行われるようになった1920年(大正9年)以降と考えられます。安いものもあったという見解もありますが、明治時代のアイスクリームは高級スイーツだった可能性が高そう。
昭和初期には自転車の後部荷台にクーラーボックスを積んたアイスクリーム売りが登場していたようですが、アイスクリームの大衆化が進んだのは戦後になってから。昭和28年に雪印乳業によって国内初のカップアイスが登場し、昭和30年になると1本10円の「アイスクリームバー」が発売されます。全国でアイスクリームがおやつ感覚で食べられるようになったのは1950年代以降からなのではないかなと思います。鎖国していましたし酪農も盛んではなかった、第二次世界大戦は普通に食べるものにも不足していたので当然とも言えますが…アメリカで庶民派スイーツとして定着してから結構な時差がありますね。
参考サイト:アイスクリームなんでもブック(日本アイスクリーム協会) /ice cream & ice – Food Timeline/The History of Ice Cream
アイス&ソフトクリーム大国(?)、ミルクランド北海道出身の筆者でございます。観光客の方はアイス食べてるけどね、地元民は普通にアイスキャンデーとかカップアイス食べてますよと言いたい。道民歴半世紀以上の母親に尋ねても「子供の時食べていたのはホームランバーかな。今? ハーゲンダッツ美味いよね」というリアクションです。まったくもって道産アイスではありません。。日本初期のアイスクリームの歴史を見ても北海道が出てこないあたり、アイスクリームが大衆食として定着→グルメ化する→牛乳の産地で新鮮なのが美味いんじゃない的な流れになったのかなと思ったりします。
何はともあれ、世界的にも数百年前までは超セレブ専用の食べ物・日本でも約100年前(日本の歴史は年号が使われるので分かりにくいですが明治45年で1912年なので)までは富裕層スイーツだったアイスクリーム。一年中同じ値段で、ど庶民の自分でも手に入れられるのは嬉しい次第。あまりにも暑くなってくると「アイスじゃない、シャーベットやかき氷が食べたい」なんて選り好みできるのは昔の人からすれば贅沢すぎると怒られてしまうかも知れないですね。
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