サンタクロースは何者? 歴史はある?
-聖ニコラウスやシンタクラースとの違いは

サンタクロースは何者? 歴史はある?<br />-聖ニコラウスやシンタクラースとの違いは

クリスマスツリーと同じくらいに、多くの人が姿を見ると「クリスマスだな」と感じるのがサンタクロース。非クリスチャンな日本人によってはクリスマスのマスコットキャラクターと言っても過言ではない存在なのではないでしょうか。雑貨・包装紙・クリスマスカードなど様々なところで使われているサンタさん。キリスト教の聖人がモデルだという話は知られていますが、その聖人がどんな方だったか・どうしてプレゼントをくれるのかご存知ですか?

サンタクロースについて

サンタクロースとは

サンタクロースは、クリスマスイブから早朝にかけての時間帯に“良い子”の元へプレゼントを届けに来てくれる伝説上の人物。国によって違う部分もありますが、日本人であればふっくらとした体格・白く長いあごひげ・白い縁取りがされた赤いコスチュームという姿を想像する方が大半ではないでしょうか。

サンタクロースのモデルについては断定されていないものの、キリスト教の聖人である聖ニコラウス(Saint Nicholas)であるというのが通説となっています。詳細は下記で歴史順に紹介していますが、大雑把にはオランダ辺りで聖ニコラウスをモデルとしたシンタクラースという神話的存在が登場→アメリカでサンタクロースへと変化したと考えられています。このため「サンタクロースはアメリカ発祥」という紹介をされることもあるわけです。

ちなみに、サンタクロースが赤い服を着ているのはコカ・コーラ社の広告によって普及したという説もありますが、この話には否定的な見解が多くなっています。というのもアメリカでコカ・コーラ社が広告でサンタクロースを使ったのは1931年から。それ以前、1800年代後半からサンタクロースは赤い服を着て描かれることが多かったことが分かっています。サンタクロースの起源とされるシンタクラースも赤い司教服を身に着けている事が多いので、かなり古い段階から聖ニコラウスをモデルとした人物と赤い服は結び付けられていた可能性が高そうですね。

サンタさんのお家は北極? 北欧?

アメリカや日本ではサンタクロースのお家は北極にあると信じられています。サンタさんの家には奥さんとエルフ・小人など妖精のような存在が住んでいて、クリスマスシーズン以外はみんなで子どもたちに届けるプレゼントを作っている――というお話も。サンタクロースは一家族だけではなく、サンタの村があるというバリエーションもありますが。

サンタクロースが北極にお住まいというのは昔から受け継がれてきた民話などではなく、19世紀の作家が書いたものが普及して定着したためです。このためサンタクロースの家のイメージに近い北欧の国では「我が国(町)こそサンタクロースの故郷」と主張していたり。日本でもフィンランドのサンタクロース村はTVなどで見かけますし、サンタクロースを公認しているグリーンランド国際サンタクロース協会があることからグリーンランドもよく紹介されているように感じます。

英語圏ではサンタクロースの笑い声は「Ho ho ho」というのが定番。このためカナダではサンタクロース宛専用の郵便番号として「H0H0H0」を採用し、子供のお手紙が届くように配慮しているんだとか。粋な配慮ですよね。アメリカでもアラスカ州ノースポールには“サンタクロースの家(Santa Claus House)”があり、市内はクリスマスっぽい装飾が多くなされています。アメリカではノースポールの郵便番号「99705」がサンタクロースの郵便番号とされており、お手紙を出すとクリスマスカードが送られてくるのだそうです。

サンタクロースは国により色々

私達はクリスマスにプレゼントを持ってきてくれる人のことを、アメリカ英語そのままのサンタクロースと呼んでいます。見た目のイメージもアメリカで描かれているものとほど同一と言って良いはず。そのためサンタクロースは世界共通で通じる言葉のように思いがちですが、イギリス・オーストラリアなどイギリスの影響が強い国ではファザークリスマス(Father Christmas)という呼び名の方がポピュラーだとか。フランスでもイギリス英語と同じ意味合いのペール・ノエル(Père Noël)かもっと砕けたパパ・ノエル(Papa Noël)と呼びます。オランダでもクリスマスの男を意味する“de Kerstman”と、聖ニコラウスとは別物っぽいニュアンスを出した呼び方をする国も多いみたいです。

また、ドイツやオーストリア、チェコ、スロバキアなどの地域では25日にプレゼントをくれるのは子どもや女性の姿で描かれるクリスト・キント(ChristusKind)という天使であるという伝承もあります。同じドイツでも北部はヴァイナハツマン(Weihnachtsmann/直訳するとクリスマス男)、南部はクリストス・キントがクリスマスプレゼントを持ってくる説が有力と地域差もあるようで、時々子どもたちの間で論争になったりするのだとか。クリスマスの歴史が古そうなドイツやオーストリアですが、元ネタの聖ニコラウスから掛け離れたデフォルメ&キャラクター化されているサンタクロースは「アメリカから入ってきた新しいもの」として導入されているらしいです。

私達からするとちょっと独特なのはロシア。
ロシアにも“ジェド・マロース”と呼ばれるサンタクロースと対応する存在がいますが、こちらは聖人ではなくロシアの言い伝えに登場する雪の精霊とされています。見た目はサンタクロースに似たふくよか体型で白ひげのおじいさん。赤い服を着ている場合もありますが、雪や霜を連想させる白や青色の服を着ていることもあります。ロシアの“ジェド・マロース”もプレゼントを配り、孫娘がそのお手伝いをすることもあるのだとか。ロシアでもやはりアメリカ文化としてサンタクロースが認識されているようで、ジェド・マロースとサンタクロースを対比させたサイトもあったり。

聖ニコラウスがサンタクロースになるまで

サンタクロースのモデルとされているのは、4世紀頃に小アジア地域で活躍した聖ニコラウス(Saint Nicholas)というお方ではないかというのが定説となっています。ちなみに日本の国内でも“Nicholas”の読み方の違いで聖ニコウスやニコラオスなどの表記がなされますし、国によってニコラ・ニコライ・ミコライなど呼び方は様々ではありますが、全て同一人物です。彼が聖人として人々に尊敬されている理由、サンタクロースというより神話的で世俗的なマスコットキャラクターとして愛されるようになるまでの歴史を追ってみます。

サンタのおじいさんイメージ

サンタクロースのモデル「聖ニコラウス」

聖ニコラウスはおそらく270年~280年頃に小アジア、当時はローマ帝国支配下のリュキア属州(現在のトルコの南海岸あたり)で生まれました。出身地はパタラという町で、その近くにあるの都市ミラで大主教を務めたことから“ミラのニコラウス”とも呼ばれています。聖ニコラウスの生涯は様々な物語として描かれていますが、歴史的に信憑性の高い記録はなく、どれだけ実際に歴史的事実に基づいているのかと疑問視する研究家の方も少なくありません。

両親や血縁者についても意見が分かれる部分が多いのですが、聖ニコラウスは裕福な家庭に生まれ、叔父はキリスト教の司教(主教)だったという話が通説。叔父は子どものニコラウスが聖職者に相応しいと感じ、教会での教育を受けさせてることを勧めたと伝えられています。司祭になったニコラウスはエジプトからパレスチナ地域にかけての聖地巡礼を果たし、故郷に近いミラへと戻ると大主教に就任します。当初ニコラウスは大主教になるつもりはなかったそうですが、人々に亡くなった大主教の後継者をニコラオスにすべきと天使からお告げがあったという伝説もあります。

そんな聖ニコラウスには多種多様な奇蹟の伝説があります。巡礼時のエピソードとしてもエルサレムに向かう海路でひどい嵐に遭遇し、波を叱責して暴風を鎮めたというものがあります。船から落ちて死んだ水夫を甦らせたというバージョンもあるそうで、この逸話から聖ニコラスは船員の守護聖人としても敬愛されています。船乗り以外にも学生・子ども・商人・約第し・射手・(悔い改めた)泥棒など様々な守護聖人にされていますけど。

さて、大主教に就任したニコラウス。
その時期は4世紀初頭、コンスタンティヌスがキリスト教を公認するよりも前でした。まだローマ帝国内ではキリスト教に対する弾圧や迫害が激しかった“大迫害”の時期だったのです。このためニコラウスもディオクレティアヌス帝による投獄・拷問を受け、306年もしくは313年にコンスタンティヌスが迫害を終わらせたことで釈放されたと伝えられています。2013年『National Geographic』には人類学者キャロライン・ウィルキンソンによる顔の復元の試みで“鼻をひどく骨折していた”ことが分かったと掲載されています。

迫害が終わり大主教としてキリスト教精神を存分に発揮した晩年のニコラウスについても、冤罪で処刑されかけた3人の人々を救った・謀反を疑われた三将軍の無実と釈放を訴えて彼らを救った・飢饉の際に肉屋に殺され樽の中で塩漬けにされていた3人の子ども達を復活させた――など、聖ニコラウスの奇蹟伝説は数多く存在しています。下記で紹介するクリスマスプレゼントのルーツと言われる逸話についても“3人の娘”が彼に救われているあたり、3人という共通性に作為的なものがあるような気もしますが……。

靴下にプレゼントが入っている理由

サンタさんからのクリスマスプレゼントは靴下に入れられる。実際にはプレゼントのサイズの関係もあってツリーの下や子どもの枕元に置かれることも多いですが、なんとなくプレゼント=靴下の中というイメージを持たれている方も多いのではないでしょうか。クリスマスツリーのオーナメントや小物類などでも靴下モチーフのものがありますよね。

このクリスマスプレゼントが靴下に入れられているというイメージの形成にも、聖ニコラウスの伝説が関係しています。聖ニコラウスがまだ若く、司祭になる前のお話です。細部が異なるバリエーションがいくつか存在しているのですが、クリスマスの風習に繋がる部分を含んだバージョンのお話を要約してご紹介します。

ニコラウスの近所には娘が三人いる家族が住んでいました。その家族は持参金を用意できないほど貧しく、一番上の娘は娼婦として売られそうになっていました。それを知った若きニコラウスは娘さんを助けてあげたいと、彼女たちが住む家の煙突から沢山の金貨を投げ入れることに。ニコラウスは投げ込んだ金貨は暖炉のそばに干されていた靴下の中に入り、翌朝それを発見した家族はビックリ。父親は「花嫁の価格を神から与えられた」と喜び、無事に娘を結婚させてあげることが出来ました。

次女のためにニコラウスは同じように金貨を投げ入れ、結婚できるようにと応援します。流石に二度同じことが起これば、父親も誰かが善意で金貨を入れてくれているのだと気づき、恩人にお礼を言おうと夜通し恩人が来るのを見張ること。すると三回目の金貨を投げ入れたニコラウスを発見し、何度も何度も叫ぶように感謝の言葉を口にします。しかし、ニコラウスは誰にもこのことを話さないよう口止めし、そっと立ち去って行きました。

聖ニコラウスと三人の娘のエピソードには煙突ではなく窓から金貨の入った袋を投げ入れたというものや、偶然靴下に入ったとは紹介されていないものもあります。このため後世(おそらくクリスマスの伝統が出来た後)に付け加えられたのだという説や、1世紀頃に活躍しイエス・キリストに対抗する人物と目されていた哲学者で魔術師だったティアナのアポロニウスによる施しの逸話をベースに作られた伝承だという説もあります。

どこまでが実話で、どこまでが古くから語られてきた伝説で、どこから後付けなのかは分からないのが現状。ただ聖ニコラウスが煙突から金貨を投げ入れ靴下に入ったという逸話が、サンタクロースが煙突から家の中に入ってくる・靴下の中にプレゼントそ入れてくれる元ネタであるというのが通説ではあります。殺されてしまった3人の子どもを救ったエピソードから「子どもの守護聖人」とされたこと、子どもを教育する上での戒めをミックスして、サンタクロース=良い子にプレゼントをくれるという民間伝承になったのではないでしょうか。

中世に登場したシンタクラース(聖ニコラウス)

実在した聖ニコラウスという人物がいきなり赤と白の服を着た陽気でふくよかなおじいさん=サンタクロースとして描かれるようになったわけではありません。サンタクロースが登場するよりもずっと前、中世、おそらく1200年頃に私達の知るサンタクロースのビジュアルの元となった存在が登場したと考えられています。

6世紀に聖人認定された聖ニコラウス、彼の命日とされる12月6日はローマ・カトリック教会によって「聖ニコラスの日(St. Nicholas’ Day)」と定められました。この日には祝宴や靴にお金を入れることで貧しい人々を支援するという福祉活動が行われており、その祝宴の中でオランダでは聖ニコラウスをモデルとした“シンタクラース(Sinterklaas)”もしくは“シント=ニコーラース(Sint Nikolaas)”と呼ばれる神話的キャラクターが登場したと考えられています。呼び名や細部には若干の違いが在るものの、聖ニコラウスをモデルにしシンタクラースと似たような姿をしたキャラクターはオーストリアやドイツなどにもいらっしゃいます。

聖ニコラウスとシンタクラース比較

聖ニコラウスがモデルとされるシンタクラース。しかしながら、こうして見比べてみるとかなり見た目の印象が異なっているように感じられます。もちろん聖ニコラウスを描いたもの=後世に画家が描いたものですから「コレが聖ニコラウスだ」とは言い難いですし、見た目は服装などはバラバラなんですが。少なくとも豊かな白髪と白ひげ・赤い服が定番ではないですよね。ちなみに現代では聖ニコラウス・シンタクラース共に白人の老人として描かれることが多いですが、遺骨や出生地などから聖ニコラウスはブラウンアイ&オリーブ色の肌をしていたと推測されていたりします。

ヒゲが描かれていない聖ニコラウスの絵はあれど、シンタクラースは白髪と長い顎髭があることが特徴堂々とした立ち振舞をする謹厳な人物とされているのは聖ニコラウスからの連想でしょう。また、シンタクラースの装いは私達のイメージするサンタクロースにも通じ白い司教服、赤いカズラ(上祭服)などの外衣、十字架が描かれているミトラ(司教冠)と呼ばれる先の尖った帽子。金色の司教杖と呼ばれる長い杖を持っている・ルビーのリングを着用している・白馬に乗っているなどサンタクロースには無い特徴もありますが、全体的な印象としては聖ニコラウスよりも私達の知るサンタクロースにかなり近いですよね。

こうしたシンタクラース像が出来上がった説明として、おそらく当時ポピュラーだった伝統的な司教の姿を反映させたと説明されています。しかし、それだけではなくキリスト教からすれば異教の神々の影響があったのではないかという見解も珍しくありません。シンタクラースの姿に影響を与えたと考えられているのが、北欧神話の主神であるオーディン。彼は長い髪と髭を持った、つばの広い帽子を被った老人として描かれることの多い存在。私達が想像する昔ながらの“魔法使い”という姿であり、確かに宗教的要素が強いシンタクラースの衣服以外の部分=人間的な特徴とは合致します。

13世紀頃から盛大に祝われるようになった「聖ニコラウスの日」、子供を救った・金貨を投げ入れたという彼の逸話にちなみプレゼントを贈り合うなどの風習が誕生したと考えられます。しかし、16~17世紀になると宗教革命によって誕生したプロテスタントが力を持つようになります。米英国ではピューリタンにクリスマスの禁止令が出たほどですし、彼らは聖人崇拝についても否定的でした。このため特定のプロテスタント宗派が力を持つ地域では聖クラウスのお祭りは禁止されることとなり、プロテスタント国家となったオランダでも公式には「聖ニコラウスの日」のお祭りを行わないことが決定されてしまいました。

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しかし、聖ニコラスの祝祭は国民にとっても人気のあったお祭り。そこで人々はシンタクラース(聖ニコラス)に似せた赤い服を来てストリートマーケットやフェアを開催し続け、最終的にオランダ政府は聖ニコラスの日に家族で個人的なお祝いをすることに関しては容認することになったそう。他にも同じく聖クラウスのお祭りが禁止されていたヨーロッパの国・地域はあり、オランダのように宗教家の目をかいくぐるように祝い続けた地域もあれば、贈り物を贈るという習慣を残しつつ聖ニコウラス以外からという形にする地域もあったようです。

聖ニコラウスのお供について

オランダではシンタクラースはズワルトピート(Zwarte Piet)と呼ばれる、皮膚と神が真っ黒でピエロのような服を着た侍従を連れているのが定番。悪い子供を袋に入れてスペインに持ち帰ってしまう・お菓子の代わりに石炭の塊をくれるなどの伝承があり、良い子にお菓子をくれるシンタクラースとは対象的な存在となっています。このズワルトピートは「聖ニコラウスの日」のお祭りが行われた当初から居たわけではなく、18~19世紀頃に誕生したと考えられています。ズワルトピートの同伴が伝統となっているオランダとベルギーでは“幻想的な道化師・妖精”と捉えているそうですが、かつて召使・奴隷として使われていた黒人を連想させ人種差別的だという非難の声も。もしかすると未来にはビジュアルが変わっているのかもしれません。

オランダ以外の国でも聖ニコラウスは一人ではなく、お供もしくは対になる存在とセットで登場します。例えばドイツで聖ニコラウスの従者はクネヒト・ループレヒト(Knecht Ruprecht)と呼ばれる人間。聖ニコラウスよりも質素な格好をした白ひげの老人・黒ずくめの姿をしていることが多いようです。クネヒト・ループレヒトは別名「黒いサンタクロース(ブラックサンタクロース)」とも呼ばれ、悪い子供を懲らしめるのが役目。良い子は甘いお菓子をもらえますが、悪い子には石炭の塊や小枝などをプレゼントする・お祈りの出来ない子どもを灰袋で叩くと言われています。

そのほかオーストリアやクロアチアなどでは、聖ニコラウスのお供はクランプス(Krampus)という悪魔のようなキャラクターがポピュラーだとか。クランプスは全身が毛むくじゃらで山羊のひづめと角を持つことが特徴と、日本の“なまはげ”に近い格好をしています。クランプスもクネヒト・ループレヒトと同じく、悪い子には嫌なプレゼントもしくはお仕置きをすると伝えられています。近年は北米でもSF/ファンタジー感の強いクランプス人気が高まり、クランプスが登場するイベントを開催されている方もいらっしゃるのだそうですよ。

アメリカでサンタクロースが誕生

アメリカのサンタクロース(イメージ)

オランダは1615年からアメリカへと入植し、17世紀初頭には北米東海岸にニューネーデルラントという植民地を建設しています。大都市ニューヨークも17世紀中盤まではオランダの植民地でニューアムステルダムと呼ばれていました。17世紀初頭と言えばイングランドからピューリタンが移住したのとほぼ同時期ですから、かなり古い段階からオランダ人は北米に移住していたと言えそうですね。

聖ニコラウスの日のイベントやシンタークラースもオランダ人によって北米に導入されたと考えられています。しかし初期のアメリカ移民にはプロテスタント系の方が多く、すぐに聖ニコラウスに関連するお祭り文化が普及することはなかったようです。18世紀末頃からやっとシンタクラースの風習が注目されるようになり、19世紀入ると詩人や作家が好意的に聖ニコラス・シンタークラースを取り上げたことで広く人々に知られる存在となっていきました。アメリカ文学のなかで聖ニコラスもしくはシンタクラースはサンタクロースへの変貌を遂げたと考えられているのです。

その皮切りと言えるのがワシントン・アーヴィングが1809年に発表した『ニューヨーク史』。彼はニューアムステルダムの歴史を紹介しつつ聖ニコラウスを“ニューヨークの守護聖人”と称し、煙突から降りてきて良い子にプレゼントを届けてくれるキャラクターとして紹介しています。空飛ぶソリに乗ってやって来るというのもアーヴィングの著書による影響が大きいようですし、この本が注目を浴びたことで聖ニコラウスを題材とした多くの作品が登場するようになったことからアーヴィングを「サンタクロースの父」と称す方もいらっしゃるほど。

また、現在サンタクロースとして親しまれている要素を決定付けた著作として、1823年にニューヨークの新聞Sentinelに発表された『A Visit from St. Nicholas(邦題:サンタクロースがきた/別題:The Night Before Christmas)』という詩も挙げられます。クレメント・クラーク・ムーアが書いたのではないかと言われているこの詩の詳細・内容についてはwikipediaに日本語訳が載っているので割愛しますが、この作品の中でで聖ニコラスは

  • 8頭のトナカイがひくソリに乗っている
  • おもちゃを沢山背負っている
  • 白いヒゲを生やし頬は桜色
  • 顔が大きく太っている
  • 陽気で元気なおじいさん

であると表現されています。スレンダーな方が多く性格は謹厳とされているシンタクラースに対して、ふくふくとしたチャーミングなおじいさんとして登場しているのが印象的です。宗教者・司教である聖ニコラウスの面影が強く残っているシンタクラースよりも、宗教色の薄いコミカルなキャラクター化していると捉えられますね。

ニューヨークで『A Visit from St. Nicholas』が発表された時期である1820年代は、アメリカで様々な店舗がクリスマスを活用しようとしていた時期でもあります。ムーアの描いた親しみやすい聖ニコラウスが魅力的だったのはもちろんのこと、商業的に取り入れるには宗教・宗派のないキャラクターの方が好ましかったという部分もあるように感じます。聖ニコラウスが12月6日ではなく25日に来ることになった理由としても当てはまるのではないでしょうか。ともあれアメリカでは聖ニコラウスをモデルにした作品が多く発表され、その中でサンタクロースのイメージは固まっていきました。“St. Nicholas”が”サンタクロース(Santa Claus)”になったのはアメリカに伝えたオランダ人の言葉が転訛したというのが定説ですが、アメリカ生まれのキャラクターとして確立していくにはサンタクロースのほうが都合が良かったのかもしれません。

1849年にはクレメント・クラーク・ムーア教授名義で『The Night Before Christmas』が書籍として出版され、その挿絵として紅白カラーでふっくらとしたサンタクロースが描かれています。サンタクロースのビジュアルがより明確に統一されたきっかけは風刺画家のトーマス・ナストが1881年に発表したサンタクロースの肖像画とされています。この時に参考にされたのが聖ニコラウスの姿と『A Visit from St. Nicholas』の描写なのだそうですよ。また1886年にはトーマス・ナストが北極で暮らしているサンタクロースの絵を発表したことから、サンタさんのお家は北極にあると信じられるようになっていったようです。クッキーやおもちゃを作っている奥さんのクラウス夫人もこの時に登場したそう。

サンタのトナカイにも北欧神話の影響が?!

聖ニコラウスからシンタクラース/サンタクロースと変化するにあたって、そのビジュアルに影響を与えたのではないかと言われる北欧神話の神オーディン。オーディン混在説の根拠としては“長いあごひげを蓄えた老人の姿”が挙げられる他、サンタクロースのソリをひくトナカイの存在もあります。

ヨーロッパでは各所に10月31日から翌春までワイルドハントと呼ばれる、亡霊や妖精・古き神々が一斉に移動するという伝承が残っています。北欧ではこのワイルドハントを「オーディンの渡り」と呼び、オーディン率いる狩猟団が移動してくると伝えられていたのだとか。この時に狩猟団長であるオーディンは8本足の軍馬“スレイプニル”にまたがって天を駆けると信じられていました。現在は色々なバージョンがありますが、アメリカで初期に書かれた『A Visit from St. Nicholas』の描写として「8頭のトナカイがひくソリに乗っている」というものがあります。これが8本足の“スレイプニル”をアレンジしたバーションだという説もあったりします。

日本にはいつからサンタさんがいる?

日本にサンタクロースが登場したのはキリスト教禁教・鎖国が解かれた明治というのが通説です。しかし、江戸ガイドさんでは1549年(天文18年)に日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル、もしくは戦国時代に日本に来ていた宣教師がクリスマスを伝えた可能性を指摘しています。江戸時代になっても隠れキリシタンたちはこっそりとクリスマスを祝っていたり、出島にいた外国人達と共に“阿蘭陀冬至”の名のもとにクリスマスを祝っていたのかもしれません。出島にいたのはオランダ人ですからサンタクロース、いやシンタクラースが伝わっていた可能性も否定できませんね。

可能性段階の話はさておき、日本でサンタクロースが初めて登場したと目されているのが1874年(明治4年)。クリスチャンだった原胤昭氏がクリスマスパーティーでクリスマスツリーと、知人が扮したサンタクロースを披露したと伝えられています。当時サンタクロースは“三太九郎(さんたくろう)”と呼ばれ、1898年には教会が子ども向けに『さんたくろう』という物語を発行しているそう。大正に入ると『子供之友』など児童向けの書籍・雑誌類にサンタクロースのイラストやエピソードが多く登場するようになり、現在でもお馴染みのサンタさんのイメージが定着していきました。昭和に入るまでにはクリスマス&サンタクロースはかなり定着していたようですから、日本でも100年くらいの歴史はあるんですね。

参考サイト:The History of How St. Nicholas Became Santa ClausSanta Claus – HISTORYSaint Nicholas – Wikipedia

サンタクロースは日本人の大多数が知っているであろうお方で、クリスマスシンボルとしても欠かせない存在となっていますよね。国によっては宗教的な要素があったりもしますが、長く愛され続けているのは子どもの時に体験した「プレゼントは何かな」というワクワク感を自分の子供にも味わって欲しい、そんな親心のリレーなのではないかなと思います。社会&小売店からの圧力も若干ありますけど(苦笑)

ところで、シンタクラースはキリスト教の司祭という特徴が強いだけではなく、12月5日の夜にプレゼントを届けてくれる方です。聖ニコラウスがモデルとはっきり分かる方は「聖ニコラウスの日」に活躍するんですね。オランダやドイツでは地域によって5日はニコラウス・25日がサンタクロースと二度プレゼントを貰えるそう。日本の子どもにしたら羨ましい話ですが、親になったときには大変そうですね…。