【30秒でわかる】ワッフルの発祥国と歴史とは

【30秒でわかる】ワッフルの発祥国と歴史とは

【30秒でわかる】ワッフルのルーツ・発祥国は

生地を二枚の鉄板(ワッフル型)で挟み、両面に凹凸を付けて焼き上げられたワッフル。発祥国の詳細は断定されておらず、“西ヨーロッパ”と広いくくりで紹介されます。

というのも、ワッフルのルーツは紀元前、古代ギリシアのObelios(オベリオス)にまで遡ります。オベリオスは、二枚の板で上下を挟んで生地を焼く、発酵させていない“種無しパン”のようなもの。

この“板”は時代とともに進化し、14世紀になるとオランダで直火型のワッフルメーカー(ワッフルアイロン)が考案されました。これは二枚の板に蝶番がついた、日本でいう“たい焼きの型”のような形状です。

また、同じく14世紀にはワッフルのレシピも登場しています。South Florida Timesでは、最古のワッフルのレシピは、1393年にフランスで出版された『Le Ménagier de Paris』であると報じられています[1]。

ワッフルのマメ知識・雑学

ワッフルの歴史

ワッフルのルーツ、古代ギリシアのObelios(オベリオス)って?

ワッフルのルーツは紀元前、古代ギリシアで食べられていたObelios(オベリオス)に行き着くというのが定説です。元々古代ギリシアで「オベリオス」という言葉は穀物粉を焼き上げたものの総称でしたが、古代エジプトから酵母を使って発酵させた“パン”の製法が伝わります。

このため、時代の流れの中で、オベリオスは“穀物粉を水などと混ぜた生地・穀物を粥状にした生地を、二枚の板で挟むようにして焼き上げる”という、薄焼きの種無しパンを指す言葉として使われるようになりました。

わざわざ呼び方を区別したのは、発酵させてオーブンで焼く一般的な“パン”が認知されたから。パンは存在していたものの、古代から中世にかけての時期、パン窯やパン製法は王侯貴族やギルドによって独占されていました。設備も必要なので、一般庶民が現在のようなパンを家庭で焼いて食べる、という事はほとんどなかったわけです。このため、庶民にとっては中世まで、種無しの薄焼きパンの方がオーソドックスだったようです。

古代ギリシアから食べられていた“オベリオス”も発酵不要。穀物を水でドロドロに煮込んだり、穀物粉と水を混ぜたものを焼けば完成します。1枚の鉄板や鍋のようなもので焼くパターンもありますが、オベリオス製法(2枚の板で挟んで焼く)も脈々と受け継がれていたと考えられます。

キリスト教が採用したことで装飾的に

古代ギリシアの衰退とともに力を持ったのが、古代ローマ帝国。
そして、キリスト教が誕生し、ローマ帝国が“国教”と認めるまでにキリスト教は力を持ちます。ローマ帝国が東西に分裂し、衰退・滅亡していく中でもキリスト教(カトリック教会)は絶大と言って良いほどの権力を維持しています。

そんなキリスト教でも、オベリオスの製法が採用されました。
それは、聖餐や聖体拝領と呼ばれる、聖書に書かれている“パンとワインがイエスの体と血に変わる”という言葉になぞらえた儀式。カトリックでは“聖体”のパンとしてホスチアと呼ばれる酵母を使わない薄焼きパン、パンと言うよりも薄焼きのウエハースのようなものを使っています。

この“聖体(ホスチア)”を作るのに、2枚の金属板で挟んで薄く焼く、という方法が採用されたわけです。その結果、時代とともにパンを挟んで焼く二枚の金属板には、宗教的なモチーフが彫られるようになりました。シンプルな十字だけではなく、聖書のワンシーン、宗教的に意味のあるモチーフを入れた装飾的なものが作られるようになったのです。

そして、13世紀頃までには教会の宗教儀礼用だけではなく、一般にも絵柄が彫り込まれた金属板(焼き器)が普及していきました。貴族家であれば家紋を入れたものもあったのだとか。ちなみに、ハニカム状の凹凸模様のワッフルプレート(金属板)も13世紀のうちに存在していたという説もありますよ。

現代のワッフルの形に

14世紀になるとオランダでワッフルメーカー(ワッフルアイロン)と呼ばれる、二枚の金属板を蝶番で留めたものに持ち手がついた形状が考案されました。それまで上下に鉄板を当て押しつぶすようにして焼いていたのに対して、より厚みのある形・型通りの厚さに焼き上げるよう進化したのがワッフルメーカー。

フランスで1393年出版された『Le Ménagier de Paris』に書かれているワッフルのレシピは、卵・塩・ワインに小麦粉を混ぜたものを型に入れて焼く、というシンプルなもの。なのですが、この頃からヨーロッパでは十字軍遠征によってシナモンやジンジャーなどのスパイスの流通量も増えます。

そのため、貴族や富裕層は、精白小麦粉に卵・牛乳・蜂蜜・スパイスなどを加えた、より贅沢なワッフルを食すようになったと考えられます。庶民も今まで通りワッフルを食べており、ワッフルの製造・販売を生業にしている人も多かったそう。1560年にはフランス国王シャルル 9 世が「ワッフル販売業者は互いに4 ヤード以上離れよ」という命令も出しています。

18世紀になると砂糖の入手もしやすくなり、砂糖とスパイスを使った“お菓子系”のワッフルも作れれるようになります。ベルギーで出版された料理本『Een Antwerps kookboek』には、ビール酵母を使って生地を膨らませるワッフルのレシピが登場[2]。このレシピでは生地を発酵させるだけではなく、バターや卵も使われています。このため18世紀頃には、現代のものに近いワッフルが食べられていたと考えられます。

ちなみに、英語で“Waffle”とい言葉が登場するのも1725年と、18世紀のことです。

ベルギーワッフルとアメリカンワッフル

ワッフルは作り方・形状などで、国や地名を付けて呼ばれることもあります。
代表的なものがベルギーワッフルとアメリカンワッフル。

ベルギーの料理本『Een Antwerps kookboek』に代表されるように、ベルギーワッフルは生地を発酵させて作ることが特徴。ビール酵母以外の酵母・イーストなどを使うこともありますが、一次発酵させた生地を使います。パンに近い、もっちりとした重めの食感になります。

ワッフルはヨーロッパ人とともにアメリカに渡り、アメリカでも食べられていました。そしてアメリカのワッフルは、マフィンなどと同じように「発酵させず、ベーキングパウダーで膨らませる」形に変化していきます。生地を混ぜてすぐ焼ける、ふわっと軽い食感がアメリカンワッフルの特徴。

【参考サイト】

  1. The Word “Waffle” First Appears In The English Language In 1725 – South Florida Reporter
  2. The Surprisingly Long History of Waffles