【30秒でわかる】七夕と、笹にお願いごとの短冊をつるす理由とは

【30秒でわかる】七夕と、笹にお願いごとの短冊をつるす理由とは

【30秒でわかる】七夕/笹の節句とは

七夕(たなばた)は別名“笹の節句”とも呼ばれる、日本に古くからある季節行事。
全国的には7月7日を七夕としている地域が多いです。

織姫と彦星の伝説から、古代中国では7月7日に乞巧奠(きっこうでん)という機織りや裁縫の上達を祈る行事が行われていました。これが日本に伝わると、供物や和歌を捧げて、習い事などの上達を祈願する行事に変わります。

そして、江戸時代。
7月7日は“笹の節句”として五節句の1つとして祝日化されました。五節句とは季節の変わり目になる日で、季節に適した植物を取り入れると邪気を払う・幸運を招くと信じられていました。節句の伝承・庶民にもお祝いする文化が普及したことで、江戸時代に七夕は現代のような短冊に願い事を書き、笹の葉につるして成就を願う」というイベントとして定着していきました。 

七夕/笹の節句の豆知識

七夕はいつ? 7月7日?

上で七夕は、7月7日としている地域が多いとお伝えしました。
全国区のTV/メディアなども多いので、元々7月7日の地域の方であれば「え?」と思われるかもしれませんが、実は8月7日などに七夕を行っている地域もあります。

というのも、7月7日に行われていたの乞巧奠が中国から伝わったのは奈良時代頃。五節句が制定されたのは江戸時代。どちらにせよ、日本ではまだ太陽暦(グレゴリオ暦)が使われる前のことです。七夕は元々、旧暦の7月7日に行われていた行事なわけです。

明治に入ると、日本でもグレゴリオ暦が採用されます。
この時に、新しい暦でも今まで通りの“暦上の日付”で行うか、今までと同じ“季節的なタイミング”でやるか、地域によって差が出たわけです。なお、後者の旧暦7月7日に合わせようとすると毎年変動して分かりにくいですから、月遅れにして8月7日を採用した地域が多くなっています。

七夕の織姫・彦星は中国由来

七夕の定番と言えるのが、お互いを愛しすぎ、私生活に悪影響が出て、引き離されてしまった織姫と彦星のラブロマンス。一年に一回、七夕の日にだけ、天の川を渡っての逢瀬が許される……というのが、今の七夕行事の由来といっても良いのかもしれません。

この「七夕伝説」と呼ばれる織姫と彦星の伝説は、牛郎織女や織女牽牛と呼ばれる中国の民話が元。紀元前からあったとされる、古い民話です。

牛郎ってなんだよ、と思うかもしれませんが、この民話で織姫は織物を織るのが上手な天帝の娘“織女”、彦星は牛飼いの青年“牽牛郎”として描かれています。固有名ではなく、織物が得意な娘、牛飼いの男、のようにキャラクターの説明が名前になったような…。

ちなみに、7月7日に降る雨は“催涙雨(酒涙雨)”なんて言い方をします。
催涙雨は「雨が降ったせいで一年に一度の逢瀬がダメになった」嘆きの涙であるとも、無事に「逢えたことを嬉しく思う」喜びの涙であるとも言われています。
このあたりは、個人個人の捉え方次第でしょう。

▼七夕伝説(七夕物語)・七夕行事の由来はこちら

七夕はどうして笹になった?

織姫と彦星(織女牽牛)にちなんだ7月7日の行事は、発祥の地と言える中国や韓国にもあります。が、7月7日の行事で、笹(笹竹)に短冊や飾り物を付けるのは日本独自の風習余談ですが、七夕は“竹の節句”と呼ばれることもあり、笹ではなく竹が使われていることもありますよ。

7月7日を“笹の節句”や“竹の節句”と呼び、笹を使うようになったのは、元々日本では笹竹を神聖な植物と捉えていたから。真っ直ぐに天に向かって伸びる、生命力が強く冬でも枯れない(緑を保っている)という植物的特徴に神秘性を感じていたのでしょう。古い時代、笹竹は穢れを祓う植物である、葉がこすれ合う音を使って天にいる神様やご先祖様に思いを届ける植物であると考えられていたようです。

こうした背景から、五節句(の邪気払い)に取り入れたい季節の植物として、また、短冊に書いた願いを天に届けてくれる植物として、七夕と笹竹はセットになったのでしょう。

▼七夕の笹竹、飾り物の意味はこちら